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2-3

 聖徒たちの拠点、境会、そして、店が所せましと並ぶ商店区。この二ヶ所に、太陽が照りつける時間は短い。六百メートルもの高さを誇るイ界を覆う要塞、キェルケゴールの函は、その大きさ故に地に大きな影を落とす。

 その為、イ界よりも東側に位置する場所では三時頃には既に辺りが暗くなり始め、西側では昼近くになるまで太陽を拝む事が出来ない。

 幸来たちC隊は東側に駐屯している為、宿舎と商店区の一角は既に影に蝕まれつつあった。早めに暗くなる対策として設置された仄かな光りを発する丸い照明器具が、少しずつ灯り始めている。


「東城君、早く早くー!」


 影の落ちた所と明るい場所の境目を、讃良は足早に進んでいた。

 聖徒だけを襲う暴漢の話は幸来たちの気持ちを一時的に暗くしたが、活気に満ちた商店区に入り、中を歩くにつれ、だんだんと気分は上向いてきていた。特に讃良は可愛い服やぬいぐるみ、アクセサリー類を見るだけで満ち足りた気分になるらしく、すっかりご満悦の様子だった。そんな楽しそうな讃良につられ、幸来の顔にも自然と笑顔が零れる。


「急がなくても大丈夫だろ。こけるぞ?」

「だって、久しぶりのお買い物なんだもん。ちょっとでも多く色んなところ回りたいよー」

「久しぶり?」

「うん、二カ月ぶりくらいかなぁ。実験とかで忙しかったから……」


 幸来と讃良に与えられたRは、邪楽側の研究者に開発された為、技術者達はその構造の分析にやっきになっていた。

 幸来のR、千年の盾は解析不可能として早々に諦められたが、どうやら讃良の狂戦士はそうではなかったらしく、未だに多くの実験を施されている様子だった。

 噂によれば、幸来のRの解析に携わっていた連中も総動員して、狂戦士の実験を行っているらしい。


「悪い、無神経だったな」

「別にいいよー、もう慣れちゃったし。研究者の人達も、ちゃんとプライバシーは守ってくれるしね。ほら、スリーサイズとか? 体重とか?」


 狂戦士は、讃良の身体能力を上げる事が主な機能である。その為、狂戦士の解析には被験者である讃良の存在が不可欠だった。

 その為、讃良の自由時間の多くは実験に費やされてしまっているらしい。余った時間は鍛錬に費やす為、買い物に行く時間もあまり取れなかったのかもしれない。実験では当然、讃良の体は調べられる。

 服を脱がされる、等のハードな実験は無い様だが、それでも、女性である讃良は抵抗を覚える事だろうと思った。


「そうだよな、色々隠したい事とか、あるもんな……」


 思わず讃良の薄い胸元を眼の端で捉えながら、幸来は言った。


「ねぇ、今すっごく失礼なこと考えたでしょ?」

「いや、全く」


 嘘をつくときに最も重要なのは、相手の目を見ない事だ。良い店を探しているふりをしながら、幸来はそっと目をそらした。

 視界の端で、讃良が幸来の顔を見つめているのが分かった。じっとりとした視線が絡みつく。


「ふーん……よしっ! そんな嘘ついちゃう悪い子にはお仕置きです!」

「は?」

「第一問! 邪楽はどうやって世界中の悪を手元に集めたでしょーか?」


 思わず、幸来は歩みを止めた。


「なんで、今……」

「えへへー。実は前々から聞いてみたかったんだー。ほら、東城君頭いーから!」


 にこにこと無邪気に笑う讃良の顔を見、幸来は溜息交じりに言った。


「……そんな事、俺が知るかよ……なんか、悪の親玉的なのと交渉したんじゃないか?」

「えー、非現実的。というか適当すぎ!」

「んな事言われても――――」


『悪を束ねる方法? そんなの簡単だよ』


「ほらほら、もっと良く考えてよー」

「――――居場所を与える」

「へ?」

「悪は『何か』をする事で世界に疎まれる。そう言う奴らは何かをしたい。認められたい。だから、そう言う事ができる居場所を与える。それが……最初の一歩」


 すらすらと、まるで自分の言葉の様に、脳裏に残っていた言葉が口をついて出る。


「居場所、かぁ……でも、どこに?」

「大企業とかの一部として最初は働かせる。そこから徐々に拡大して行くんだ」

「大企業って一ノ瀬グループみたいな?」

「……そうだな。例えばそんな所だ」

「ふーん……でも、悪、って言われてる人全員が全員、東城君が言ったみたいな人じゃないんじゃない?」


 讃良はそう言うと、小さな顎に人差し指を当て、首を傾げた。子供の様な仕草だ。


「いや、全員が全員、そういう人物だ。迷惑をかける人、反倫理的な人を、人は『悪』と定めてるんだから」


 『悪』など、所詮は人の定めた区分けに過ぎない。その定義も、観念も、とてもあやふやで。だから人は、都合のいい様に解釈するのだ。


「なーるほどー、やっぱ東城君頭いーねっ! なんか、東城君が邪楽に見えて来たよー」

「洒落にならないな」

「えへへ、ごめんごめん」

「まったく……ほら早く行こうぜ」


 歩を早めつつ、店を探すふりをしながら、幸来は讃良の言葉を反復していた。


(悪を束ねる方法、か……)


 それはとてもとても、懐かしい響きだった。



「じゃぁこれとこれ、どっちがいーと思う?」


 女性の買い物は、長い。忘れていた訳ではないが、讃良との買い物で幸来はこれを再認識させられた。


「こっち……かな。シンプルだし、俺は好きだな」

「なるほどー、じゃぁじゃぁ次はねー……」


 まさか、シュシュ一つ買うのに何件もの店を梯子するとは思わなかった。女性は買い物をする過程も楽しんでいると言うが、彼女の様子はまさにその通りだった。この調子だと、今日は讃良との買い物で一日が潰れそうだ。


(まぁ、別にいいけどな……)

 

 買い物をしている讃良はとても楽しそうだった。満面の笑みを浮かべたり、眉間にしわを寄せてじっくりと考え込んだり、ころころと変わる様子は微笑ましかった。

 時刻は、午後四時半。辺りにはすっかり影が落ち、色とりどりの照明器具があちこちで瞬いていた。暗くなったからと言って人通りが減ったかと言えば、そういう訳でもなく寧ろ宿舎では飲む事の出来ない酒類を求める聖徒たちが来た事によって人の数は増していた。


「よし、じゃぁこれで最後! 右と左、東城君は、どっちが好きー?」

「んー……左」

「左かぁ、なるほど。東城君はワンポイントのアクセントが付いてるのが好きなんだねー。勉強になるなぁ」

「何の勉強だよ……で、それにするのか?」

「うん! 東城君も好きって言ってくれたし、満場一致で決定です!」


 讃良が左手に握りしめていたのは、シュシュではなく、小さなガラス細工のついたゴムバンドだった。店員に聞いたところによると、こちらの方が激しく動いても落ちにくいらしく、女性の聖徒にも人気があるそうだ。


「じゃ、お会計行ってくるね!」

「待て」


 今にも走り出しそうな讃良の首元を掴み、引き寄せる。


「何の為に俺が財布持って来たと思ってんだ」

「へ?」


 説明するのも面倒だったので、不思議そうに小首をかしげる讃良の手から可愛らしいゴムバンドを取りあげ、そのまま会計に向かう。


「え? あ、そんな、悪いよぉ……」

「いいから、外で待ってろ」


 讃良を残して店内を横切り、人混みの中に紛れた。そこから讃良が店の外に出たのを確認し、覚束ない記憶を頼りにシュシュを手に取る。


「……死ぬほど見たから全部一緒に見えるな……」


 女性ばかりいる店内にいるのはどうも気まずい。むず痒い居心地の悪さを感じながら、幸来は品物を一つ一つ物色して行った。



 店を出ると、讃良の姿が見えなかった。トイレにでも行っているのだろうと壁に寄りかかりぼんやりと待つ。空の色は濃い群青色に染まっていて、一番星が小さく輝いていた。


「東城君!」


 待つ事数分、息を切らして讃良が走り寄ってきた。どこへ行ってたか聞くのはデリカシーにかけるというものだろう。


「よう」

「あの、ごめんね……。買い物付き合ってもらった上に、買ってもらっちゃって……」

「もともとそのつもりで付いて来たんだ。気にするな。はい、これ」


 そろそろ宿舎に戻らなければ、牧瀬が夕飯を作ってくれないかもしれない。それだけはご免被りたい。


「ありがとー……って、あれ? なんか二つ入ってる……」


 紙と紙の擦れ合う乾いた音と共に、讃良が中身を取り出した。出て来たのは、一緒に選んだゴムバンドと、淡い桃色のシュシュ。


「これって――」

「最初に欲しがってたのはそれだっただろ?」


 幸来が選んだシュシュは、店内を回っていた時に讃良が随分と気に入っていたものだった。店員の話を聞いてゴムバンドを物色し始めなければ、きっとこれを買っていただろう。


「失くしたのもシュシュだったし、普段の生活では使えるか思って、ついでだから買ったんだが……いらなかったか?」


 よくよく考えてみれば、随分とくさい事をしている気がした。若干の気恥ずかしさを覚えつつ、讃良に問いかける。


「そんなことないよ! とっても……とぉっても嬉しいよ! ありがと、東城君!」

「そうか……なら、良かった」


 そう、この笑顔だ。心から嬉しそうで、周りの空気まできらきらと輝かせてしまう讃良の笑顔が、幸来は好きだった。傷ついた時、落ち込んだ時、彼女と話せば、気持を落ち着かせる事が出来たから。


「ねぇねぇ東城君! 今日はこのまま夕御飯も食べて行かない?」

「そうだな……」


 このまま商店区をぶらつき、ゆっくりと食事をしながら、思い出話に花を咲かせるのも、悪くない気がした。急いで帰るような気分でもない。

 讃良の提案に乗ろうとした、その時。


「きゃぁぁぁあああああぁああああああ!」


 刃の如く鋭い甲高い悲鳴が、空を駆けた。


 

◇◇◇

「隊長……隊長!」

「はい? どうかしましたか?」

「お茶、こぼれてますよ!」

「え? あ、あら?」


 急須から注いでいたお茶は、いつの間にかコップの容量を遥かに超え、机の上になみなみと零れ落ちていた。慌てて急須を置き、布巾で机を拭く。


「すいません……ぼぉっとしていたみたいで……」

「珍しいですね。疲れてるんじゃないですか?」

「そんな事は……ないと思うのですが」


 食堂のカウンター席に座った牧瀬の言葉に、アリアは首を傾げた。自分に限ってそれはあり得無いと思うのだが、確かにさっきから些細なミスが目立っていた。

 ドアノブを捻りすぎて引き千切ってしまったり、使っていたペンを強く握りしめすぎたせいか真っ二つに折ってしまったり、お茶を注ぎすぎたり。


「どこか気持ち悪かったりはしません?」

「……確かに、胸がもやもやします」

「もやもや?」

「むかむか、かもしれません。食べすぎでしょうか?」


 アリアの言葉に、牧瀬は腕を組み、首を捻った。


「んー、それは精神的な物かもしれませんねー。何か、嫌な事とかあったんですか?」

「嫌な事……ですか」


 途端、何故か脳裏にさっきの光景がよぎった。楽しそうに廊下を歩く讃良と、彼女に引っ張られる幸来の姿。


「た、隊長! 布巾が! 布巾が!」

「あ、すいません……」


 見ると右手の握力だけで、布巾が絞られてしまっていた。折角拭きとったお茶が、また机の上にぶちまけられた。


「やっぱり、何かあったんですね……。そういう時は、別の事をしてリフレッシュすると良いと思いますよ?」

「別の事、ですか」

「はい、俺なら可愛い女の子をナンパしに行きます」

「そうですね……では少し、鍛錬をして来ます」

「え、突っ込みなしですか?」


 何故か寂しそうな表情の牧瀬を残し、アリアは席を立った。心を空っぽにするなら、鍛錬所程適した場所は無い。



 アリアはイギリス人の父を持つハーフで、髪や瞳の色などは全て父譲りだが、顔立ちは母譲りだと、良く言われていた。

 父は日本の武道に興味があり、剣道や柔道など、様々な競技を、暇を見つけては観戦し、やがてそれが高じて達人の門下に入った。その影響を受け、アリア自身も日本古来の武術を好んで嗜むようになった。その結果生まれたのが今の戦い方、「八刀式」だ。


 簡単に言えば敵の数、強さ、場の状況などを判断しつつ八つの型を使い分ける戦法だ。元々無印の日本刀を武器としていた頃は「五刀式」だったのだが、破邪のRを手にした事で、三つの型を増やす事が出来た。


 破邪は、ただの長い日本刀ではない。その刃に触れた物質は、強い双極子間モーメントとロンドン分散力の影響を受け、引き付けられる。

早い話、刃が切り裂いた周りの部分を引き千切り抉り取るのだ。非常に強力で、残忍な機能だが、この能力のおかげで、前回の探索では鉄鋼でできた扉を切り裂き、幸来を救出する事が出来たのだ。


 静かな鍛錬所の中で、アリアはゆっくりと顕現する破邪を眺め、物思いにふけっていた。自由電子の少ないイ界の外では、顕現に二十倍ほどの時間がかかるのだ。


(気分が晴れませんね……)


 自分の調子が悪い理由を、探る。原因は大体分かっていた。讃良と共に買い物に繰り出した男、東城幸来だ。とても楽しそうに話していた二人の姿を思い出すと、針で刺したように胸が痛んだ。


(私には……いくら言っても、あんな風には喋りかけてくれないのに……)


 確かな重量を持ち、顕現した破邪の柄を握り締め正眼の構えをとる。


(一の型――『ひらめき』)


 自分の身長よりも長い破邪の刃を、遠心力と共に鋭く振りきる。風がうねり、低い音をたてる。


(二の型――『れっか』)


 体の流れを刃に乗せ、型を移行する。棒高跳びの要領で宙を舞い、近くにあった壁を蹴り、地上二メートル付近から破邪を一気に振り下ろす。鋭い音と共に、刃と触れ合った床に断裂が入った。


「だめ、ですね……」


 動きに切れがでていない事が、自分でも手に取るように分かった。抉り取れ、引き裂かれた木の床も、いつもの様に一本の亀裂ではなく、何本もの歪んだ割れ目を生じていた。


「やはりこう言う事は、本人と話し合わなくてはいけません……いえ、話し合うべきです」


 そう結論付け、破邪の顕現を解除する。あんなにもずっしりとした質量を持っていた刀は、一瞬で煙の様に消え失せた。


「でも、何て言えばいいのでしょう……。『東城、讃良さんと話すみたいに私と喋ってください』? なんだか回りくどい気が――」

「アリア隊長!」

「ふわぁっ!」


 自分の口から出たとは思えない声に赤面しつつ、アリアは声のした方へ振り向いた。だが、そこには張り詰めた表情の隊員が息を切らして立っていた。自然と、気が引き締まる。


「どうしたのですか?」

「大変です……」


 呼吸を整え、汗をぬぐい隊員が叫んだ。


「聖徒が、襲われました」


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