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2-2

 聖徒の住む宿舎は、イ界から一キロ程離れた場所に点在している。

 各隊の宿舎の間には一般市民の営業する店が所せましと並んでいる。聖徒たちの周りで商売する事が一番儲かると、皆分かっているからだ。

 

 C隊の宿舎には五十二名の隊員が詰めており、それぞれに浴室、トイレ付きの個室が与えられている。五十二名の内、実際にイ界探索をするのは十名なので、残る四十二名は補欠として、日々雑用と鍛練を行っている。


 臙脂色の絨毯が敷かれた廊下の角まで歩くと、幸来はゆっくりと扉を開けた。食堂には既に、朝食を勢いよく掻き込む隊員たちの姿があった。フォークやナイフが触れ合う音や、雑談で溢れかえっていた喧騒が、幸来が入った途端ぴたりと止む。


「……おはよう」


 こうなる事は半ば予想していたので特に気にする事無く、バイキング形式の料理を取りに向かう。


「おーっす東城ちゃん。もう体は大丈夫なのか?」

「あぁ、まだ少し痛むけど私生活には問題ないよ。オムレツ、頼んでいいか?」


 料理は基本的に補欠の聖徒たちがローテーションを組んで行う仕事だ。だが、ある日『こんなのは料理じゃねぇ! 俺が作る!』と言い放った言葉をきっかけに、牧瀬が宿舎にいる時は彼が料理当番となっていた。

 牧瀬とは普通に会話できる事に、幸来は密かにほっとした。


「ほいさ任せろ!  卵の数は?」

「四つで」

「えーっと……一日二個以上卵摂取すると体に悪いぜー……?」

「二日間寝てたらしいからプラマイゼロって事で頼む」

「お、おぅ分かった」


 昨晩のアリアの話によると、どうやらイ界から帰って二日間、自分は目を覚まさなかったらしい。通りで腹が減るはずだと、幸来は一人納得した。


 食堂に置いてあるテレビから流れる、『邪楽は正しい。彼の存在は世界に必要だ』と公言する狂信者の話や、一ノ瀬グループの前社長が死んで五年目を迎える事などのニュースを聞き流しつつ、ボイルドソーセージやベーコンを取っていると、肩の下から声が掛かった。


「あ、あの! 東城さん!」


 目線を下げると、緊張した面持ちで稲垣が立っていた。


「どうした?」

「え? あ、えっと、あの……その……」


 口籠る稲垣がきちんと喋り出すのを、幸来は辛抱強く待った。早めに解消しなくてはならないわだかまりだと思った。


「その……すいませんでした!」


 ものすごい勢いで頭を下げ、謝罪の言葉を並べ始める。


「ぼ、僕……護ノとかSEROに追いかけられるの初めてで、普段の戦闘とは全然違ってすごく怖くて、だから……」

「稲垣」

「は、はい!」


 少し怯えた表情を浮かべた稲垣に、幸来は右手に付けたRを差し出した。


「これの調整、頼んでいいか? 自分でできない事もないんだが……」


 一息いれ、言う。


「やっぱりお前の腕が一番信頼できる」


 目の前にあるRと、幸来の顔を、稲垣は眼鏡の奥にある小さな瞳を忙しなく動かして見た。そしてしばらくすると


「はい! 任せてください! 全力でやらせてもらいまふ!」


 満面の笑顔を浮かべ、部屋の外へと走り去って行った。

 いくら「気にしていない」「大丈夫だ」、という言葉を重ねた所で、彼の心の中には何か、もやもやとした物が残っただろう。

 自分が一番大切にしている、命を守る為の道具を渡す事が、何よりも彼への信頼の証になると、幸来は思った。


「おやおや、あんなに嬉しそうにしちゃって。最期なんて噛んでたし。やっぱ稲垣ちゃんは可愛いねー。ほい、オムレツお待ちっと」

「ありがとう」


 牧瀬から皿を受け取り、カウンター席に腰を下ろすと、幸来はまだ湯気の立つ、出来たてのオムレツにナイフを入れた。張りのある表面が破れ、中からとろりとした黄味が顔をのぞかせた。


「東城」


 棚からケチャップを取り出し、オムレツに満遍なくかけた所で、また名前を呼ぶ声が聞こえた。料理が冷める前に話が終わる事を祈りつつ、幸来は顔を上げた。


「どうした、佐伯」


 確実に狙撃の邪魔になるであろう長い髪の間から幸来を見、佐伯は言った。


「お前が推薦組であろうとなかろうと、俺が態度を変える事はない。それだけを言いに来た」


 何だ、そんな事かと思いつつ、幸来はナイフとフォークを持ち上げた。


「構わない」


 昨日の今日で隊員からの風当たりが変わるとは、幸来は微塵も思っていなかった。


「俺は俺に与えられた仕事をするだけだ。お前たちの背中は俺が守る。前に進む為の解析は、お前たちに任せる。今まで通り、な」


 戦場において、無駄な感情は死に至る可能性がある。佐伯との様なドライな関係は、寧ろ好ましいともいえた。


「違うよ東城ちゃん。佐伯っちが言いたいのは、『俺がお前の事を気に食わないのは、推薦組だからとかじゃなくて、アリア隊長に一番好かれてるからだよ馬鹿野郎』って事だよ」

「牧瀬、こっち来い。その無駄に元気な口、今すぐ塞いでやるよ」

「え? ちょっと待って佐伯っち。目がまじなんですけど、怖いんですけど、あ、ちょっとやだやだ東城ちゃん助け――」


 突如すさまじい殺気を放ち始めた佐伯によって、牧瀬は食堂の中から姿を消した。助けを求める声が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。


(やっぱり隊長は人気があるな……)


 なんて事をぼんやりと考えながら朝食を平らげ、幸来は立ち上がった。


 一ヶ月後の探索まで、特に仕事は無い。各隊や政府に送る為の報告書や地図の作製は、補欠の聖徒の仕事だ。

 各種機器の調整や修正は専門知識のない幸来には手伝う事すらできない。この境会内で幸来のやれる事と言えば、常にコンディションを万全に保つための体調管理程度のものだった。


 千年の盾のRは稲垣に渡してしまったが、銃撃の練習や体術の型をなぞる事くらいは、あれがなくてもできるだろう。


(今日はとりあえず、二日間寝てなまった体を戻すとするか……)


 そう思い使い終わった食器を流しに入れて扉の方へ向かうと、見知った顔が姿を現した。


「讃良。おはよう」


 寝起きなのか、茶色がかった髪を束ねず、すとんと肩まで落としたままの讃良は、いつもより少し大人びて見えた。顔の輪郭が、髪に隠れているからだろうか。


「あ、おはよー東城君。もう体は大丈夫なの?」

「あぁ、讃良が助けてくれたから、傷も大したことないしな。ありがとう。そういうお前こそ、大丈夫なのか?」


 にこにこと微笑んではいたが、讃良の顔にはどこか、普段の活発さが見られなかった。


「まさか、『狂戦士』の影響がまだ出てるんじゃ……」


 彼女の持つR、狂戦士は特殊な電撃を持ち主に発する事で、ありとあらゆる身体能力を飛躍的に向上させる。

 鋼鉄の壁を歪ませる程の筋力を得る事も、敵を翻弄する速度で移動する事も出来るようになる半面、自分の限界を超えた動きをする為異常に体力を消耗するのだ。


「え? あ、違う違う! そっちは全然問題ないよー! もうあれから二日も経ってるし!」

「そっちは、って事は、違う所で何かあったんだな?」


 讃良との付き合いは、C隊に入る前も含めてもう二年近くになる。彼女が何かを隠していればすぐに分かる程度の期間は共に過ごしていた。幸来の問いかけを受け、讃良は一瞬ためらった後、言った。


「あぅ……えーっと、べ、別に大したことじゃ、ないんだけどね……」

「いいから言ってみろよ」

「うん……実はね」


 戦う者とは思えないほど白く華奢な手で髪を掬いあげ、ぱっと放した。たっぷりとした髪の甘い香りが辺りに漂った。


「わたし、いつも鍛錬の時とか、探索の時とか、髪の毛をシュシュでくくってるんだけど……一番お気に入りのやつを失くしちゃって……」

「もしかして、この前の探索でか?」

「うん……多分最後に大暴れした時に」


 大暴れした時、とは自分が助けてもらった時のことだろう。讃良の落ち込み具合から見て、失くしたシュシュは余程大切な物だったに違いなかった。多少の責任を感じ、幸来は提案した。


「んー、じゃぁ新しいの、一緒に買いに行くか?」

「え?」


 幸来の言葉が余程意外だったのか、驚きの表情を浮かべ、讃良が顔を上げた。


「いや、助けてもらったお礼も兼ねて、な。激しく動いても落ちにくいやつ、一緒に探してやるよ」

「ほんと? ほんとにいいの?」


 さっきまでの憂鬱な顔はどこへやら、いつも通り、いつも以上に元気な声で、讃良が言った。ぱっちりと開いた目の奥で、反射した照明がきらきらと踊っていた。


「あぁ、なんなら今からでも――」

「やったー! 東城君大好き!」


 小さく跳ね、小躍りすると、讃良は幸来の手を引いて鼻歌を歌いながら廊下を歩きだした。

 新しいのを買いに行くだけでこんなにも元気になるのなら、何故自分一人で買いに行かなかったのだろうか。


「おいちょっと待て、とりあえずまず部屋に戻って財布を――」

「どこへ行くのですか?」


 今日はよく声を掛けられる日だと思いつつ、幸来は別の部屋から現れた声の主へと顔を向けた。前かがみで讃良に引っ張られている、ひどく不格好な姿を見られた事が、恥ずかしかった。


「隊長、おはようございます。ちょっと大通りの方へ出て、讃良の買い物に付き合おうかと思っています」

「そうですか。傷が治ったばかりなのですから、あまり無茶はしないで下さいね。それと……」


 少し間を置き、神妙な面持ちで続けた。


「最近、聖徒だけを狙った暴漢がいるそうです。どうか、気をつけて」

「……暴漢、ですか?」

「ええ、遠い所ではJ隊、近い所ではB隊の隊員が、計三名、亡くなっているそうです」

「亡く……っ、殺されたって、事ですか?」


 話を聞いていた讃良が、思わずといった感じで口をはさんだ。


「ええ、無用な混乱を避ける為、メディアには隠ぺいしていたので、隊長格以外には知らされていませんでしたが、最初の死体が発見されたのは二週間ほど前。それから各地で事件が報告され、聖徒を狙った犯行であると、政府は結論付けたようです」


 神妙な顔でアリアは続けた。


「発見された死体はどれも無残な姿になり果てていたと言います。犯人の目星も動機も、まだ不明です。二人に限って暴漢ごときに後れを取る様な事は無いとは思いますが、一応頭に入れておいて下さい。今日中にC隊全員に通告を出すことになっています」

「了解、しました……知らせて下さって、どうもありがとうございます」

 

 一礼し、幸来と讃良はその場を後にした。

 聖徒だけを狙った、殺人事件。

 聖徒と言う職業ができてから今までの数年間、こんな事は一度も起こらなかった。

 聖徒がいなければ、邪楽から世界を救う事は出来ないのだから、半ば当然の事だ。その「当然」が、崩れた。


「一応、持っていくか」


 部屋に帰り、財布をポケットに突っ込んだ幸来は、右手首に予備のRをはめた。ただの銃と短刀だが、無いよりはましだろう。


 手首に巻き付いた銀色のRは、かちゃり、と冷たく音を立てた。


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