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2-1

 目を開けると、辺りは真っ暗だった。

 唯一の明かりは、窓から差し込む月の光。

 その優しい光に包まれながら、幸来はゆっくりと自分の置かれた状況を確認した。

 見慣れた天井と窓は、自分の部屋の物だ。少し体を動かせば、体のあちこちに治療の跡があるのが分かった。


「……っつ……」


 思い出した様に鋭い痛みが走る。


「そうか……俺は……」


 痛みが記憶を想起させた。いつもよりも遥かに死に近付いた、あの光景が脳裏に蘇る。


「東城? 起きたのですか?」

「た、隊長?」


 首を少し動かすと、そこには椅子に腰を掛けるアリアの姿があった。


「無理に動いてはいけませんよ。体中、傷だらけですから」


 そう言うと、起きた拍子にずれてしまった掛け布団を優しく掛け直し、アリアは扉の方へ体を向けた。


「貴方が起きた事、伝えて来ますね。皆、とても心配していましたから」


 その時、ちらちらと、脳裏に銃口がちらついた。自分に背を向け、暗闇の中に歩き出したアリアの背中が、胸の中に一滴の影を落とした。


「東城……?」

「待って、下さい」


 無意識のうちに、まるで水に溺れた子供が藁を掴むように、幸来はアリアの手首を握りしめていた。

 銃口の残像と、アリアの顔が交互に映った。耳の奥に残る護ノの嘲笑と銃声が恐怖心を煽る。


「俺は……生きてるんですよね?」


 手を掴まれたアリアはほんの数瞬驚いた顔をしていたが、直ぐに優しく微笑み、頷いた。


「えぇ、貴方は、生きています」

「生きてるんですね……」

「生きていますよ、東城」


 ただそれだけの言葉が、幸来の心を落ち着けた。幻覚は消え、静かな夜が訪れた。

 一定の間隔で内側から胸を叩く鼓動が、動けば走る痛みが、手から伝わるアリアの体温が、生を実感させてくれた。


「生きてる……」


 恐怖など、とうの昔に置いて来たと思っていた。

 

 けれど、違った。忘れたふりを、していただけだった。

 

 忘れなければ、戦場で生きていけないと、そう感じたから。

 だが、今回の探索で、何時に無く死に近付き、死に恐怖し、幸来は気付いた。


「生きてるんだっ……」


 命ある事が、何よりも尊いのだと。


 誰も死なせない、と言ったアリアの言葉は、死線を掻い潜って来た彼女だからこそ口にする言葉なのだと。


 何故か涙が零れ落ちた。言葉はない。嗚咽もない。


 ただ静かに、止めど無く雫が流れ落ちた頬の上を、アリアの指がそっと包んだ。



 暫くして、幸来が落ち着いた頃、アリアがすとんと、ベッドの端に腰掛けた。スプリングが僅かに軋む。すぐ側にアリアがいる事と、彼女に涙を見られた事に気恥ずかしさを感じつつ、幸来は言った。


「撤退……したんですね」

「えぇ。彼らを退けた、すぐ後に」


 イ界の中から外へ脱出する方法は、二つある。一つは、キェルケゴールの函を、エレクトロ・マーキングを辿って逆に進んで行く事。そしてもう一つは、エスケープ・ポッドを使う事だ。これは、フラフープの様な輪っか状の装置の上に立つ事で、聖徒の本拠地、「境会」にあるエスケープ・ポッドの母体にワープする事ができる移動法だ。


 エスケープ・ポッドは人の体を一度分子レベルに分解し、母体で再構築し、対象を移動させる。

 革命的発明ではあるが、人という巨大な物質を分子レベルに分解、再構築するのにはかなりの時間がかかる為、周囲に敵がいない時にしか使えない事、ポッドの母体はこちら側、境会にしかないので、イ界内部から境会への移動しかできない事等、使用条件が厳しい。


 また、使い終わったエスケープ・ポッドの片割れはイ界側に取り残されてしまうので、使用後は自動破壊される様プログラムされている。

つまるところ使い捨てであるため、コストパフォーマンスが非常に悪い。なので、可能な限り、キェルケゴールの函を辿って帰って来るのがベターであると言われていた。


「……すいません」

「何故、謝るのですか? 貴方のお陰で、今回の探索は成功したのですよ?」

「いえ、俺があそこでドジを踏まなければ、もう少し奥を調べられていたはずです。それこそ、ディオゲネスの弾劾に到達できたかもしれません」

「……馬鹿、ですね」


 罵倒の言葉にはしかし、棘がなかった。包み込む様な優しさだけが、あった。


「何を急ぐ必要があるのですか?一ヶ月後、確かめに行けばいいだけの話です」

「でも……」

「でも、じゃありません。まったく、私の隊にはどうしてこんな人しかいないのかしら……」


 最後の方は愚痴の様な口調で、アリアが言った。


「稲垣も貴方と同じ様な事を言っていました。自分が全て悪い、と」

「……そんな訳ありません。あいつの行動は責められるべきでは無いと、俺は思います」


 予測不能の自体。一瞬の判断で左右する自分の生死。

 そんな過酷な状況の中、常に正しい選択を選び続ける事などできるはずがない。


「そう思っているのなら、直接言ってあげて下さい。とても、落ち込んでいましたから。命を救ってくれた貴方に、合わす顔がないと」


 その言葉に、幸来は少なからず驚いた。


「『推薦組である自分の事を気にかけてくれるなんて』。そんな事を考えてる顔をしていますね」


 そんなに分かりやすい表情をしていたのだろうかと、幸来は思わず顔を触った。幸来の行動が面白かったのか柔らかく笑いながら、アリアは続けた。


「……ねぇ、東城? どうして私が、貴方をC隊に選抜したのか、分かりますか?」


 幸来は元々、A隊の隊員だった。

 聖徒になってからの一年は、そこで過ごし、鍛錬した。

 何か用があったらしく、一週間に一度程、A隊の宿舎にアリアが来ていたのを、よく覚えている。言葉を交わした事はなかったが、たまに見る彼女の鍛錬の美しさが、幸来の脳裏に強く焼き付いていた。そして半年前突然アリアに呼び出され、C隊に誘われたのだった。


「俺のRが銘付きで、高性能だったから、ですよね?」


 あの頃の自分が選ばれる理由などそれしかないと思い、即答する。


「ハズレ、です。大体、幾ら千年の盾の性能が良くても、使い手があの頃の貴方じゃ、使い物になりません」

「……酷い言われ様ですね」

「だって、本当の事です」


 女神の様な笑顔と共に彼女はずばりと言い放った。多少心に傷を負いつつ、幸来は考えた。


(何でC隊に誘われたのか……か。あんまり考えた事、なかったな……)


 大方、戦略の幅が広がり、絶対的な防御力を誇る千年の盾が魅力的だったのだろうとそう思っていたのだが、あっさりと否定されてしまった。


「分かりませんか?」

「はい」

「そうですか…………」


 独り言の様に静かに呟くと、アリアは顔をあげた。月の光を浴びた金髪がしなやかに波打つ。


「努力、していたからです」

「……はい?」


 予想だにしていなかった理由に、幸来は面食らった。


「私が、A隊の宿舎に時々訪れていたのは、覚えていますか?」

「えぇ、鮮明に」


 今でも目を瞑れば思い出す事ができる。アリアの美しい鍛錬の姿。


「あれ、最初の内は本当に用事があって行っていたんですけど――途中からは貴方を見る為に訪れていたんです」

「俺を、ですか?」

「はい。最初に貴方を……鍛錬中の貴方を見たのは、本当に偶然でした」


 A隊の隊長と話す為に宿舎まで来たはいいが、向こうの手違いで使いの者が来ず、宿舎内をうろうろとしていた時、アリアは鍛錬所の入り口に着いたらしい。


「驚きました。動きは雑で稚拙で、とても戦闘員には見えないのに、隊長しか持てないはずの銘付きを、使っていたのですから」


 見た事も無い武器に、素人の動き。後で、A隊の隊長に幸来が推薦組であるという話を聞き、ようやくその訳が分かったという。


「その日はそのまま用事を済ませて帰りました。貴方への興味も、まだあの時はなかったんです。けど――」


 その一ヶ月後。再びA隊を訪れた時、認識は変わったのだと、アリアは続けた。


「素晴らしい上達振りでした。立ち回り、足捌き、身のこなし。まだまだ粗がある部分はありましたが、一ヶ月前には感じなかった力強さがひしひしと伝わって来ました。それからです。貴方の鍛錬を、見に行く様になったのは」


 少なくとも二週間に一度、多い時には二日置きにA隊の鍛練所に顔を出していたという。

 C隊の宿舎から片道二時間の道のりを物ともせず。


「まるで恋する女の子みたいでしょう?」


 口元に手を当てくすくすと笑うアリアの姿に、幸来は動悸が早まるのを感じた。


「どんどん強くなって行く貴方を見て、私は思いました。こんなにも努力できる人間がわたしの隊にいてくれれば、どれだけ心強いだろう。きっとこの人は、どんな時でも全力を出して皆を助けてくれるだろう、って」


 過大評価だと思った。あの時死ぬ気で鍛錬したのは、自分の為だったのだから。


「そして貴方は、私の思った通りの働きをしてくれました」


 けれどそれを言った所で、きっとアリアは言うだろう。それがどうしたのだ、と。今こうして、貴方は立派に働いてくれているのではないか、と。


「もう分かりますよね、東城。私は貴方が素晴らしいと思った。貴方の持つRが、例え千年の盾でなかったとしても、私はきっと隊に招いていたと思います」


 自分を見つめ、月の光をその身に浴びて話すアリアが、どうしようもなく尊い存在に思えた。


「C隊の皆も、分かって居たはずです。貴方が毎晩鍛練所に居るのは有名ですから……。そして、今回の事で、隊員たちは貴方という人間を、推薦組というフィルターを通さずに見れたはずです。きっと分かって貰えます。きっと分かり合えます。だから……どうか、自分は推薦組だから、と卑屈にならないで下さい。だって」


 そして最後を、彼女はこう締めくくった。


「貴方は貴方。東城幸来なんですから」


 幸来は、何も言えない。喉に詰まった何かを押し退けてようやく出た言葉は


「……はい」


 たった一言の簡潔な返事だった。


 そんな幸来を見つめ柔らかく微笑むアリアを見返し、高まる想いを胸に思う。


(隊長……)


 ――貴方の下で戦えて、幸せです。


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