1-2
イ界の中のどこかにいる邪楽を探す事――探索。それは、想像以上に困難なものだった。
聖徒たちの探索はまず、一ヶ月に一度入る事の出来る、キェルケゴールの函を突破する所から始まる。
キェルケゴールの函とは、イ界を囲う要塞を指す。イ界の周りをぐるりと囲む円形の要塞は約六百メートルの高さを誇り、外円と内円に挟まれた、幅百メートルの空間には無数の箱が存在している。
箱の大きさは十メートル四方で、それぞれに無数の扉が付いている。一つの箱の出口が次の箱の入り口となり、迷路の様な複雑な羅列を形作る。これを進む事でイ界内部へとたどり着く仕組みとなっているのだが、この箱は曲者で一か月毎に組み合わせを変えていく。
つまり、前月の記憶を頼りに進んだとしても、出口に辿り着く事は出来ない。
その為、探索における最初の課題は、キェルケゴールの函の中を素早く敵に見つかることなく移動し、イ界の中へ入る、と言う事になる。
更にその後も、探索は続く。イ界の中はRPGの世界の様な作りになっている。
森林や草むら、山に湖、大部分は豊かな自然によって彩られ、所々に町や村、里が配置されていた。勿論、そこにいるのは友好的な人々ではなく、邪楽の手下である護ノたちだ。
探索は主に、ここを探し、制圧する事を目標としている。必然的に護ノと交戦することになるので多大な労力を強いられるが、食糧や寝床、護ノ側の武器や勢力の情報など、得られる物が多いからだ。特に、護ノ側の情報。これは聖徒たちが行動する為の重要な指針となる。
例えば、今までの世界中のイ界における探索で得られた情報を基に、一つの仮説がたてられた。それは、邪楽はどうやら『城』の様な所におり、聖徒たちを待ち受けているらしい。という物だ。真偽は定かではないが、最近ではもっぱら、その仮説を証明するための情報収集が探索の核となっていた。
「着きました」
歩くこと数十分。ようやく目的地に辿り着いた。
「……ぼろいな」
建造物が原型をとどめておらず、まるで激しい戦闘を終えた後の様な風景を前に、隊員の中の誰かがぽつりと呟いた。
ビルは、骨格となっていた鉄筋が丸出しで、風雨に晒された為か赤褐色の錆に覆われていた。道という道は至る所に亀裂が入り陥没していた。町を囲うコンクリートの壁は、最早その機能を果たしていない。
「ここが、『カントの里』……ですか」
片目を覆うほど長い前髪をかき上げながら、佐伯が言った。
町や村には総じて入り口に名前が書き記されている。今回の場合、ひび割れたコンクリートの壁には、こう刻まれてあった。『Village of E. Kant』。
「隊長、何故ここを目的地にしたのですか?」
「そうですね、第一に、発見されていながら未開拓の町で、かつ今回出た場所から一番近かったから、です」
キェルケゴールの函の内部構造は、入る度に変わっている。つまり、今いる函がどの出口に繋がっているか予想できない為、突破後の正確な場所が分からない。
Zまでの計二十四の聖徒によって構成された隊は、探索の度、太陽の位置や、町の名前、湖や山の場所から大まかな地図を作り共有している。
次の探索で、イ界の中のどの場所に行っても、迅速に行動出来る様にする為だ。しかし、イ界には未開の地が多くあり、その地図も完璧ではない。
「既に一度、確認されている場所なのですか?」
「えぇ、前回の探索、つまり一ヶ月前にE隊が発見。その後調査半ばにして撤退しています」
「撤退……ですか」
「はい、ここを選んだ第二の理由がそれです。報告によると、E隊はこの場所で相当数の護ノに襲われたそうです。知っての通り、E隊のメンバーの得意分野は戦闘ではありません。そこでこのカントの里の探索を他の、戦闘に長けた隊に任せたいと、そう通告がありまして」
イ界の中は、邪楽と護ノの天下だ。そして、護ノの中でも特に戦闘に長けた者達は、イ界の中に侵入してきた聖徒たちに襲いかかって来る。
「なるほど……」
「それと、この里から『ディオゲネスの弾劾』に通じる新しい通路があるかもしれないそうです」
「……! それが本当なら、くまなく探索する必要がありますね」
イ界の中に堂々とそびえ立つ岩山、「ディオゲネスの弾劾」は難攻不落と言われていた。それどころか、ふもとまで辿り着く事すら不可能なのだ。
ディオゲネスの弾劾の周りは深い谷になっており、そこを越え、ふもとに辿り着く為の経路は数える程しかない。そのいずれにも、地雷や落とし穴、一度入れば出てくる事ができない森等、尋常ではない数のトラップが仕掛けられている。
これだけ厳重に侵入者対策が行われている以上、ディオゲネスの弾劾には何かあるに違いない、と確信しつつも、手出しできていないのが現状だ。その為ここ日本のイ界においては、ディオゲネスの弾劾への経路を発見することが一つの大きな目標であるとも言えた。
「そう。これが邪楽発見のきっかけになるかもしれません……。間違いなく戦闘になります。『顕現』して下さい」
アリアの言葉を受け、幸来を含む隊員たちは何もない空間に腕を伸ばし、手を開いた。瞬間、手の中で細かく電撃の様なものが爆ぜた。ばちばちという音が鳴り響き、数秒後、幸来の手の中には銀色の薄い六角形の機械が握られていた。
聖徒、そして護ノの扱う武器は、『R』と呼ばれるブレスレットから生み出される。Rとはエレクトロン・リコンストラクショナーの通称であり、その名の通り電子を再編成し、記憶された武器を生み出す事が出来る。この過程は『顕現』と呼ばれている。
右手に顕現した刃渡り二メートルもの日本刀を優雅に構えて、アリアが言った。
「準備は出来ましたね……皆、生きて再び会いましょう」
静かに、そして重々しく、戦場へと幸来たちは足を踏み入れた。
カントの里に入ってからおよそ一時間。幸来たちC隊十名は誰一人欠ける事無く交戦を続けていた。ただ、状況は芳しくない。相手はこの廃墟だらけの町での戦いに慣れているらしく、数の差もあって聖徒たちは押され気味だった。
市街戦は固まって行動するよりは、少人数のグループに分かれて戦った方が効率的だ。しかし思わぬ強襲を受け、そのグループすらばらばらになってしまった。
発砲する音、壁が、地面がえぐれる音、そして護ノと聖徒たちの声が入り混じる中、時折聞こえる轟音はアリアの持つR『破邪』が建物を切り壊している音だろう。
(さすがに、銘付きは格が違うな……)
Rに名が付いている武器は銘付きと呼ばれる特注品で、持ち主の戦闘スタイルに合わせ調整が施されている。逆に、一般に流通しているRは無印と呼ばれ、平凡ではあるが万人に扱いやすい。銘付きは隊長のみが所有を許されており、隊員たちの憧れでもあるのだ。
(おっと……)
弾丸が近くのコンクリート壁を抉る。物陰に身を潜めつつ、幸来は気を引き締め直した。
状況は芳しくない。
主戦力であるアリアも、この弾幕の中では思う様に戦えていない様だった。讃良ならば、あるいは戦況をかき乱す事ができるかもしれないが、この先の事を考えると、今はまだ体力を消費し過ぎる訳にはいかないだろう。
「……全員聞こえていますか?」
耳につけたイヤホンから声が聞こえて来た。アリアの声だ。
「敵の装備が思ったより充実しています。捜索班が何か見つけるまでは、無闇に攻めず、自分の命を優先して行動する様に、以上です」
最後の言葉が終わるのと同時に、「イエス、マム」と言う何人もの声がイヤホンから零れた。幸来も襟に付いたマイクに向け同じ様に応答する。
幸来たちの今の役割は敵の殲滅では無い。この町の捜索をしている隊員が動きやすい様、陽動する事が目的だった。捜索に当たっている隊員は二人。 つまり、実質八人でこの戦闘を行っているわけだ。
(……やばいな)
今はまだ、守り、陽動するだけで良い。問題は――
「こちら捜索班! 明らかに隠蔽された経路を発見! 方角的にも、ディオゲネスの弾劾に向かう物だと思われます、至急こちらまで移動して下さい!」
先に進む時どうするか、だ。興奮気味の捜索班に向け、アリアの落ち着いた声が飛ぶ。
「御苦労でした。ただ、こちらもかなり厳しい状態です。すぐには合流できそうにありません」
「攻めあぐねているのですか?」
「はい、銃弾の応酬が激しく、下手に動けば一瞬で蜂の巣になりそうです」
「隊長」
イヤホンに違う男の声が混じった。
「佐伯、どうかしましたか?」
「俺に作戦があります。聞いてもらえますか?」
「どうぞ」
一瞬の間を置き、佐伯は言った。
「幸来を一人、囮にすると言うのはどうでしょうか?」
「却下です」
幸来が何か言う前に、アリアが提案を一蹴した。
「全員が生きて帰る。それが私の隊の規則です。違う方法を考えてください」
イ界という危険な領域においてそれがどれほど難しく、そして甘い考えか、分からない者はいないだろう。
しかしアリアは圧倒的力と強い意志を手に、さも当然の如く言ってのける。アリアが味方してくれた事を嬉しく思いつつ、しかし幸来は冷静な声を発した。
「隊長。佐伯の言う通り、俺が囮になるのが良いと思います」
「馬鹿を言わないで下さい。一人でこいつらを相手にするなんて、そんな事ができると本気で思っているのですか?」
「はい」
何の躊躇いもない返答に、アリアが僅かにたじろいだのがイヤホン越しに伝わって来た。
「あなたのRは守り専門です。陽動はできても、敵の数を減らす事はできないでしょう?」
「いえ、攻撃方法がない訳ではありません。ただまぁ俺のRと手持ちの銃だけだときついのは確かなので、予備の銃と銃弾のRを幾つか下さい。それで充分です」
「それは俺が貸そう。スペアが幾つか手元にある」
佐伯の声が割って入る。
「助かる、佐伯。受け渡しは入り口で行おう。あそこならまだ安全だ」
「待って」
アリアの声。
「待って……私はまだ……その作戦を承諾しては……いません」
彼女にしては珍しく、歯切れの悪い口調だった。
アリア自身、幸来が単独で囮になるのが、最善の選択であると理解はしているのであろう。
きっと囮にするのが誰であったとしても、彼女は今の様に葛藤する。自分に対する特別な感情では決してない。それでも幸来は嬉しかった。
「アリア隊長」
そしてそんな彼女だからこそ幸来は惹かれ、身を呈して戦いたいと、そう強く願うのだ。
「約束します。必ず生きて、合流します。だから――――行って下さい」




