3-7
◇◇◇
扉をノックする乾いた音が、部屋の中に響く。
「東城ちゃん……飯、ここに置いとくよ?」
「あぁ……」
「……いつまで、そうしてるつもりなんだ?」
「……さぁな」
アリアが死んで、三日経った。
貫之が去った後、鍛錬所の中で動かずにいた幸来を、隊員の一人が見つけた途端、一転して騒がしい夜となった。
繰り返し話を聞かれたり、怒鳴られたりした気もするが、あまり覚えていない。
連続殺人犯は邪楽で、アリアは邪楽に殺された。そう言った事だけは、覚えている。葬儀を終えてから、幸来は自分の部屋から一歩も外に出ていなかった。鍛錬をする気力も、外に出て誰かと喋る気力も、こうして牧瀬の運んでくれている料理を食べる気力も、ここから動く気力さえ無かった。
「他の隊員は皆、死ぬ気で鍛錬してるぜ? アリア隊長の為にも、連れ去られた讃良ちゃんの為にも、頑張るんだ、って言って」
嘲笑が零れる。
讃良は邪楽に連れ去られた、といった事を思い出した。その方が色々と説明せずに済むからだ。馬鹿正直にその嘘を信じ込んだ隊員たちは、助けるつもりらしい。
讃良という、存在すらしない架空の人物を。
「東城ちゃん、出て来てくれよ。一緒に戦おう。東城ちゃんの力が、必要なんだよ」
愛する人一人守れないような俺の力が? と言いかけ、口をつぐむ。牧瀬に言った所で、どうしようもない事だ。
「なぁ、聞いて――」
「うるさい」
覇気のない声だと思った。
死にかけた人間が出す声音に似ている。牧瀬が扉の前から歩き去る気配を感じ、息を細く、長く吐いた。
(まぁ、あながち間違っちゃいないか)
自分はきっと、死にかけているのだろう。
空虚だった。
心の中に、何一つ感情が芽生えない。そんな人間は、生きているとは言わない。人形だ。あの机の上に転がっている、ぬいぐるみと同じだ。
「……東城さん」
この自信なさ気な声は、稲垣だ。返事をする事すら億劫で、首を僅かに扉に向けた。
「どうしちゃったんですか? らしくないですよ」
首を動かした事で、鏡が視界に入った。寝台の上に座った男が映っている。ひどい顔をしていた。まるで生気が感じられない。
「ぼ、僕の知ってる東城さんは、ぶっきら棒で、ちょっと怖くて……でも、実は優しくて、仲間思いで、それで、とっても強いんです!」
誰の事を話しているのか分からない。少なくとも、自分でない事だけは確かだ。
「強くて、無口で、最近までずっと怖かったけど……でも、カントの里で助けてもらって! 僕がひどいことしたのに、許してくれて! ツァラトゥストラの森で、隊長と二人で道を切り開いてくれてっ! そんな……そんな東城さんを僕は少しずつ尊敬するようになっていたんです」
耳障りだ。
「出て来て下さい、東城さん! 僕が見たいのは、そんな恰好悪いあなたじゃない!」
扉の外で、ぎゃぁぎゃぁと。
「稲垣……」
「は、はい!」
「一人に、してくれ」
返答はなかった。ただ、諦めた様な、寂しそうな、そんな足音が小さく消えて行った。
(……尊敬、ね)
笑ってしまう。
そんな言葉を掛けられる日が来るとは思っていなかった。一週間前の自分なら、喜んでいただろうか? 照れていただろうか?
(まぁ……どうでもいいか)
今のやり取りで、稲垣も分かっただろう。抱いていた感情がただの気の迷いだったという事に。
カーテンの隙間から洩れる光の筋が、橙色に染まり始めた。外のランプが灯り始めたようだ。こうして今日も、一日が過ぎて行く。
部屋の中から動かなくても、誰と話さなくても、アリアが――この世に居なくても。
時は過ぎる。世界は回る。何事もなかったかのように、いつも通り。
「東城」
少し、ほんの少しだけ、幸来は意外に思った。二人に続き、佐伯まで声をかけてくるとは思わなかった。
「出てくる気はねぇのか」
「……あぁ」
「そうか」
興味もなさそうにそう言うと、佐伯は黙りこんだ。扉越しに、ライターを付ける音がした。煙草を吸い始めたようだ。時折、煙を吐く気配が伝わってくる。
「そういえばお前、アリア隊長と付き合ってたらしいな」
「……さぁな」
「隠したって無駄だぜ、今じゃ全員知ってる事だ」
掌に痛みを感じた。見ると、爪が食い込み、僅かに出血していた。無意識に拳を握り締めていた事に気付き、服の裾で血を拭い取る。
「意外だったぜ。隊長の好みが、お前みたいな腑抜けでさ。結構趣味悪かったんだな、あの人。俺、隊長の事憧れてたけど、それ聞いて一気に冷めたわ」
佐伯の言葉はいつもと同じ様に淡泊で、けれど、どこか違っているように思えた。
「そーいえば、あの人邪楽に負けたってことになるよな。あんだけ強い強いって騒がれてても、所詮はその程度って事だよな。あぁ、それか、皆に祭り上げられて天狗になってたのかもな。そう考えるとざまぁねぇっていうか、ちょっとは身の程を知れって言うか……まぁもう死んじまったけどな、ははっ。そうだ、知ってるか?実はあの人――」
何が起こったのか、自分でも分からない。
さっきまで暗い部屋の中で膝を抱えて座っていたはずの体は、いつの間にか扉の外に居て、握りしめていただけの掌は、何故か佐伯の胸倉を掴んでいた。そして
「隊長の事を、侮辱するなっ……!」
死んだ様な声を発していた喉は、怒りに打ち震えた台詞を捻りだしていた。
「残念だ……これで出てこなかったら、扉をぶち壊す予定だったんだがな」
驚きもせずに、胸倉を掴み上げられたまま佐伯は言った。その頬に一筋の跡がある事に気付いた幸来は、思わず手の力を緩めた。
「佐伯、お前……」
「何だ」
幸来の手をゆっくりとほどき、煙草を吸い、その白い煙を静かに吐き出した。
「煙草の煙は、目に滲みるんだ」
佐伯もまた、アリアの事を心から慕う者の一人だ。そんな彼が、アリアの死を悼まないはずがない。
そして、彼女の事を、心を痛めずに悪く言えるはずがない。その事に気付いた幸来は、自分の中にほんの少し、炎が灯った事に気付く。
黒い、長い髪に片目を隠し、壁に寄りかかると、佐伯は続けた。
「讃良は、邪楽に連れ去られたらしいな」
「……あぁ」
「それ、嘘だろ」
気持ち良い程ばっさりと幸来の言葉を切り捨てた佐伯は、淡々と話を続けた。
「隊長が殺されて、讃良だけが攫われる意味が分からない。加えて、讃良の拉致を目撃しているお前は無傷のまま残されている。ますます理屈が通らない。なら、讃良はどこに行った? これは、俺の個人的な推測だが、……隊長を殺したのは讃良だ……違うか?」
「…………そうだ」
「だが、お前は犯人の名を邪楽、と言った。イ界の中にいる、と皆が思い込んでいた人物の名を、だ。そんな事を、咄嗟に嘘で言えるとは思えない。つまり」
シガレットケースに吸い殻を捨て、
「讃良は邪楽だ」
流石、というべきなのだろう。誰もが騙された、この混沌とした状況下で整然としたロジックを積み上げる事が出来たのだ。称賛に値する。沈黙を是と受け取ったのか、幸来の言葉を待つことなく、更に続けた。
「そして最後に。讃良の正体は邪楽だと、どうやって見破った? 東城……お前、邪楽と何を話したんだ?」
「……別に」
「まぁ、その内容にも大方予想はつく。邪楽がお前を生かしておいた理由がそこにある筈だ。お前らは、何か取引をしたんだ」
まるで全てを見ていたかのような佐伯のロジックは、ほぼ完璧に真実を突いていて。それ故に、次の言葉を幸来は恐れた。
「当ててやるよ。お前は、邪楽に会いに行く。そうだな?」
肯定もせず、否定もせず、幸来は地に視線を落とした。
「行くんだろ? もうすぐ。邪楽の所に。恐らく、一人で来い、とか言われているはずだ」
「……そうだ」
「隊長の……仇を討つんだよな?」
幸来は、答えを返さない。
返、せない。
「……行かない、つもりなのか?」
沈黙の帳が下りる。
静寂が針の様に幸来の体を鋭く刺した。
「……そうか」
数分の後、佐伯が再び口を開いた。そして、さも当たり前の様に、言った。
「なら、代わりに俺が行く」
「なっ……」
「なんだ? 文句があるのか?」
「……いや……」
文句があった訳ではない。だが魚の小骨が喉に引っかかる様な嫌な感触を、幸来は感じた。唐突に佐伯が幸来の首元を掴んだ。長く力強い指が喉に食い込み、呼吸が妨げられる。
「おいおい…………甘えるのも大概にしろよ……お前の代わりに俺が行く? そんな事、できるわけねぇだろうが!」
首にかかった手が幸来を押し、後頭部が壁に叩きつけられた。鈍い痛みが走り、視界が揺らぐ。
「何なんだ、お前は? 隊長に愛されて、殺されたその日まで一緒に居て、殺された後は、お前だけ仇を討つ権利まで与えられてっ! 何もかも持っていて、どうしてそれを使おうとしないんだ!」
一年にも満たない期間。幸来と佐伯が共に過ごしたのは、たったそれだけの時間だったけれど。幸来は彼が絶叫する様を、初めて目の当たりにした。
「俺には、何一つない! あの人とはただの隊長と一隊員の関係で、その間には大きな壁があった! 今だって、邪楽を殺そうにも、その権利すら俺にはない! この身を焦がすほどの憎しみを、ぶつける事が出来ない! なぁ、お前は憎くないのか? 隊長の命を奪った讃良が、邪楽が!」
「……………………憎いさ」
当たり前だ。
今だって、あの時の事を思い出せば、心はどす黒い感情に塗りつぶされそうになる。飲み込まれそうになる。
「だったら行けよ!」
射殺す様な視線で幸来をにらみつけていた佐伯の表情が、歪む。
「…………行って、くれよっ…………」
いつの間にか、喉元にかかっていた手は外れていて。
佐伯は幸来にすがりつく様に立っていた。
「俺の代わりに……俺の分まで……」
時折、すすり泣きが聞こえてくるのはきっと気のせいだ。
佐伯の顔は、髪に隠れて良く見えないのだから。
「頼むからっ……!」
その言葉はとても利己的だった。
けれど、だからこそ。幸来の心の奥に眠る感情に、再び火を灯した。
例えその火が、醜悪な色で塗りつぶされた炎であったとしても。
◇◇◇
重い音を立てて、黒い扉がそっと持ちあがった。
午後三時丁度。
キェルケゴールの函内部へと続く道は、開かれた。
両手に付けた銀色のブレスレットの存在を確認し、中へと足を踏み入れる。後ろは振り向かない。目の前に広がる無機質な扉の数々だけを視界に入れた。
貫之に渡された紙に書かれていた順番は、もう完全に暗記していた。
最初は、入ってすぐ右にある扉。次は、左側、奥から二番目の扉。
『東城ちゃん。うまい飯作って待ってるから……絶対帰ってこいよ!』
進んでも進んでも、同じ景色の繰り返し。いつもならこの光景に嫌気がさす。心が折れそうになる。だが、今日は違う。確信を持って、進む事が出来る。
迷いなく扉を開け、歩き続ける。
『東城さん! 言われた通り、Rの調整やっておきました! これで、思う存分戦って下さい!』
幾つ目か分からない扉を開けた所で、目の前にSEROが現れた。頭部の赤いランプをちかちかと点灯させ敵を認識すると、体の中から機関銃をせり上がらせた。
発砲するまでの僅かな間に、既に顕現し終えていた千年の盾でSEROの機体を殴る。喧しい音と共にはじけ飛んだガラクタの残骸を踏み、歩を進めた。
『行くのか』
前方から二機のSEROが現れた。どうやら、さっき壊した機体が呼びよせたらしい。左手に銃を顕現しつつ歩き続ける。
『お前だろ。鍛錬所あんなにぼろぼろにしたの。一体どんな鍛錬したんだ』
短剣を振りかざし近づいてきた一体を殴り、直後、発砲してきた機体の銃撃を防ぐ
『まぁいい。そんなことはどうでもいい。問題は、あれの修理費だ』
ようやく顕現し終えた銃で残る一体を狙撃し、機能を停止させた。
しかし、静寂は訪れない。更に倍の数ほどのSEROが押し寄せる機械音がした。
『お前が払え、東城。自腹で、当然現金払いだ。だから』
だからといって、歩みを止める事は無い。
逃げもしない、隠れもしない。着実に、前へと進み続ける。
『帰ってこいよ』
扉を開けると、目の前には大量のSEROがいた。狭い空間にひしめき合う様に駆動音を響かせ、互いに自らの動きを狭めている様に見えた。
同じだ。ガラクタが何台集まった所で変わらない。どれだけの数が敵にまわろうと、今は負ける気がしない。手を、足を、腕を、体を。
捻り、殴り、振るい、伸ばし、ありとあらゆる動作で、機械仕掛けの玩具を破壊し、突き進んだ。止まらない。
決して、この歩みを止めはしない。
いつの間にか、目の前に大きな扉があった。豪華な装飾の施された、他の物とは明らかに違う扉、終着点。
周りは、水を打ったように静かだ。追いかけてくるSEROはいつの間にか消えていた。
すっと目を閉じた。
ありとあらゆる無駄な感情を削ぎ落とす、いつからか始めた、いつもの儀式。
恐怖、興奮、快楽、そして、情。感情を冷たく、鋭く、冷え切ったナイフの様に研ぎ澄ます。
ただ、今回だけは。
一つの感情で、刃を染めた。
それは、憎悪という名の色。
漆色の墨が透明な水を穢す様に、ゆっくりと滲み渡っていった。
扉は音もなく、滑る様に開いた。
さぁ、始めよう。
名誉も栄誉も伴わない、観客のいない復讐劇を。




