2-4
◇◇◇
反射的に銃を顕現しつつ、幸来は声のした方へと駆けだした。
後ろから讃良が追ってくるのが気配で分かった。叫び声の上がった場所は、目に見えて明らかだった。蒼白な顔で、皆一点を見つめている。
「どいて下さい! C隊の聖徒です! どいて下さい!」
早くも出来始めていた野次馬を押しのけ、前へと進む。宿舎を出る前にアリアが言っていた言葉が頭の中をよぎった。
(聖徒だけを襲う……暴漢。この時間帯は、聖徒の数が増える……まさか)
ようやく人込みを抜け、体を捻りだすと、そこは辺りより一層薄暗い路地裏への入り口だった。元々散乱していたのか、空き箱や紙屑が辺りに散らばっていた。
「くそっ……」
そしてその奥には、血まみれの、物言わぬ亡骸が横たわっていた。手首に付いた銀色のブレスレット、Rが、彼が聖徒であった事を無言で告げていた。
「ひどい……」
遅れて着いた讃良が、青白い顔を浮かべ、口を押さえ立っていた。イ界で見る護ノの亡骸と、平和なはずの商店区で見る死体とでは、受けるショックの大きさも違うのだろう。
「讃良……ここの処理は俺がしておく。お前は、道を塞いでいる野次馬を解散させて、最初にこれを見つけた人を探しておいてくれ。いいな?」
「うん……ありがと、東城君」
小さく頷き、歩き出した讃良の背中を見送り、幸来は死体を見つめた。流石は聖徒、と言うべきか。今にも倒れそうな雰囲気だった讃良は、野次馬を解散させる為、張りのある良く通った声を出していた。
(さて……じゃぁ俺は、っと……)
合掌し、黙祷を終わらせ、死体の処理を始める。といっても、専門の知識のない幸来に出来る事は殆どない。
近くに落ちていたゴミ袋をちぎって広げ、死体にかける。正しい処理や、死亡原因、死亡推定時刻等の調査は、もうすぐ来るであろう医者たちがやってくれることだろう。
「どけ! 邪魔だ! どけ!」
「ん?」
空き箱を積み重ね、死体が大通りの方から見えない様にしていると、人混みの中からオールバックの男が現れた。随分と肩幅が広く、手首に巻いたRから聖徒である事が分かった。
「邪魔だ!」
幸来には目もくれず、空き箱を蹴り飛ばして、男は黒いビニール袋の被さった死体へと近づいた。
「ちょっと、勝手に触らないで下さい!」
「黙れ! 俺は……俺はなぁ!」
勢いよくビニールをめくり、死者の顔を再びさらけ出した。他の部位に比べ比較的損傷の少ない顔面を差し、男は言った。目に、僅かに涙が見えた。
「こいつの、ダチなんだよ!」
そう叫び終えると、男はぐったりと肩を落とし、すすり泣き始めた。やっぱりお前だったのか……、ちくしょう、どうしてこんな事に……、という独り言が、断片的に聞こえて来た。
気の毒ではあったが、医者が到着するまでできるだけ死体には触れて欲しくない。非情かもしれないが、この場から少し離れてもらおう。そう決断し、動こうとした時、一通りの仕事を終えたらしい讃良が声をかけて来た。
「東城君。一通り発見時の話は聞いてきたよ……後、お医者さんも後ちょっとでここに着くって連絡があったよ」
その、刹那。地に両手をつき、泣きじゃくっていた男が、こちらに顔を向けた。
「お前……だ」
そしてゆらりと、生気を感じさせない調子で立ち上がると
「お前が……こいつを……殺したんだろぉおおぉおおぉぉおおおお!」
「きゃっ!」
凄まじい形相で、讃良に掴みかかった。何かに取り憑かれた様な表情に些かの恐怖を覚えつつも、幸来は男の手首を捻り上げ、讃良から引き離した。
「落ち着いて下さい。この子の顔も名前も、あなたは知らないでしょう?」
讃良を庇う様に二人の間に割り込み、幸来は言った。
「ご友人の前ですよ? 少し、冷静になってください」
「冷静さ。これ以上ないくらいにな。その上で、そいつが殺人犯だと思ったんだよ」
電気の弾ける様な音が男の右手の中から聞こえた。ゆっくりと、武器が顕現されていた。
「イ界の外で聖徒を殺せるのはなぁ、聖徒だけなんだよ。特にこいつは探索にいつも加わってた。そんじょそこらの一般人には絶対に負けねぇ」
「……それで?」
「だがな、味方を殺すなんてトチ狂った奴はそうそういねぇ。…………唯一、お前らみたいな異端者を除いてなぁ!」
「――っ!」
背中越しに、讃良の体がぴくりと跳ねたのが分かった。
「見ろよ、こいつの傷跡……鈍器で殴られたみたいにぼこぼこじゃねぇか……こんな事が出来るのは他でもねぇ、その女の持つ、狂戦士とかいうRだけだろうが!」
男は更に続けた。
「なぁ、お前ら推薦組だろ? 俺はさぁ、前から怪しいと思ってたんだよ。邪楽に任命された聖徒? はっ、笑わせんな。他の隊員だって薄々勘付いてるさ。お前らが、スパイだってことになぁ!」
「……いい加減にしろ」
自分はいい。こんな風に罵られ、貶される事にはなれている。
だが、讃良は違う。持ち前の明るさから隊員たちと仲良くなった彼女は、殆ど経験がないはずだ。自分と同じ思いをさせる訳には、いかない。
「どれもこれも、あんたの馬鹿げた空想だ……。第一、今日俺はこいつと一緒に居たんだ。殺せるわけが、ないだろうが」
「だから、お前ら二人とも信用出来ねぇって言ってんだよ…………ほら、さっさと白状しろよ……、この、人殺しがぁぁあああ!」
最後の言葉と共に、男の右手があがり、左手がそこに添える様に動き始めた。
(――遅い)
男が銃の引き金を引くよりも早く、その手を打ち抜ける自信が幸来にはあった。男が銃を構える動作が、随分と遅く感じられた。いつの間にか、護ノと対峙しているかの様な冷徹な思考を働かせていた幸来は、既に顕現し終えていた銃を握りしめた右手に力を込めた。
だが――
「二人とも、動かないで下さい」
聞きなれた声が耳に届いた瞬間、動く事ができなくなっていた。何時になく冷たい声と共に現れたのは、他でもないアリア。
「隊……長……」
見えなかった。
どこから現れたのか、どうやってここに割って入ったのか。気付けばアリアはそこにいて、幸来の手首をつかみ、男の首元に破邪の刃をつきつけていた。圧倒的な力差を感じ、畏怖の念すら覚える。
「東城。冷静さを欠くなんて、らしくありませんね。一体貴方は今、誰に向かって発砲しようとしていたのですか?」
「すいません……でも、俺は――」
「疲れているのですね。後ろに居る讃良を連れて、今日は帰りなさい。後の事は全部、私が引き受けますから」
反論の余地を一切残さない、情のない声。昨日の夜とは全く違う声音だった。
「わかり……ました」
「おい、俺の話はまだ終わっちゃ――」
未だ不服そうな男の声は、アリアが地面に破邪を差す音と共に、ぴたりと止まった。
「貴方の話も、私が聞きましょう。何か、異論がありますか?」
一瞬視界の端で捉えた男の顔には、恐怖の表情が浮かんでいた。一欠片の同情の念も抱かずに、幸来は讃良の背を押し、その場を去った。
後の事を全てアリアに任せる事が、今自分にできる最良の選択だと、分かっていたから。
カップから立ち上る湯気と、ダージリンの香りが心を落ち着かせた。一口飲むと、熱い液体が喉を通り、体を温めていくのが分かった。
「美味い」
「えへへ、ありがとー」
いつも通りの感想を述べると、椅子に腰を掛けた讃良が嬉しそうに微笑んだ。一日一回、讃良は幸来の部屋に来て紅茶を入れてくれていた。それは、Tバッグであったり、ポットを使って葉から入れてくれたりと、日によって異なるがどれも美味しく出来あがっていた。
一日の疲れが溶けて行く様な気分を味わいながら、幸来はカップを置き、大きく伸びをした。
あの後、アリアからの報告で事件のあらましを知る事が出来た。被害者は死後一時間程しか経過していなかったという。
死因は鈍器で殴られた事による内臓破裂、及び出血死。讃良の事を犯人扱いした男は、自分の行いを軽率だったと反省してはいたそうだが、死亡した友達は、そう簡単に後れをとる様な腕の持ち主ではなかったと、強く主張していたという。
殺されているのが聖徒である、と言う事以外何の手掛かりもなく、不穏な空気が漂っていた。
「今日はごめんね、東城君……色々、迷惑かけちゃって」
カップを両手の中でゆっくりと回しながら、讃良が言った。
「讃良が謝る必要はないよ。買い物に行こうって言ったのは、そもそも俺だしな。こっちこそ、すまなかった」
「そんな事ないよ。また東城君にプレゼント貰えて、わたし、とっても嬉しかった」
「……また?」
「うん」
讃良が淡く笑みを浮かべ、頷く。
「覚えてないかなー? 初めてRを使って鍛錬した頃の事」
眉をひそめ、記憶の糸を辿る。初めてRを使った頃と言えば、もう二年程も前の話だ。
「それって、俺と讃良が出会ったくらいじゃないか?」
「そだよー、あの時は大変だったよね。いきなり聖徒に任命されて、色んな知識一気に詰め込まれてさー」
「あぁ、そうだったな」
邪楽から聖徒に推薦されたと政府から通達があったそのすぐ後、讃良と幸来は半年ほど、聖徒としての基礎知識と、戦闘訓練を施された。
常に死と隣り合わせになる戦場に送りだされるのに、その準備期間はあまりにも短い物だったが、当時の幸来たちにとってはハードすぎるスケジュールだったので、一日でも早く終わって欲しいと願っていたのを今でも覚えている。
「最初の鍛錬の時、狂戦士の能力に振り回されて、色んなところに体ぶつけて……。体中に痣が出来ちゃったんだよね」
狂戦士は身体能力を飛躍的に向上させる。今だからこそ上手く扱えている能力だが、確かに讃良は最初、自分のRを御しきれていなかった。
「その一番の原因が、これだったんだー」
そう言って讃良は、セミロングの髪を人差し指に絡め、回した。
「狂戦士起動するとさ、すごい速さで動けるようになるでしょー? そしたらまぁ、風に煽られた髪の毛が目に入る事入る事」
「……思い出した」
鍛錬が終わり、白い細腕が青紫色に変色しているのを見かね、近くの売店まで行って適当な髪留めを買って来たのだ。
「確かあれ、シュシュ……だったな」
「ぴんぽーん、大正解! あれ、すっごく嬉しかったんだー。訳分からない世界に入れられちゃったけど、わたしの傍には優しい人がいるんだなって、思えたから」
「そんな大した事じゃないだろ……っていうか」
話の流れで、幸来は一つの事実に気付いた。
「讃良が失くしたシュシュって、まさかあの時のやつか?」
「ピンポンピンポン大正解! いやー冴えてますねぇ東城君」
足をぱたぱたと動かし、とても嬉しそうに、讃良は答えた。
「思い出のいーっぱい詰まったシュシュだったからねー。失くした時はほんとにショックだったんだー。でも、今日また……東城君が買ってくれたから……」
そこまで言うと讃良は、今日買った二つの髪留めを撫でた。その愛おしそうな表情を見ると、胸の奥がむずがゆくなった。
「お、大げさなんだよ……」
「東城君はいつもそー言うよね。『大したことじゃない』、『気にするな』って。そんなぶっきら棒な優しさに、わたし、何度も助けられたんだよ?」
「それは……」
こっちの台詞だ。
讃良の透き通るような笑顔に、何度救われたか分からない。
数える事が馬鹿らしくなるくらい、それくらい助けられた。
「あの時、一緒に居てくれたのが東城君で、ほんとに良かった。ありがと東城君」
「……俺も、お前で良かった」
顔が火照っているのは紅茶の所為だと言い聞かせ、幸来は言葉をつなげた。
「お前がいなかったら、きっと俺はつぶれていた。讃良っていうたった一人の友達がいてくれたから、俺は俺でいられたんだ。所属した隊が分かれた時も……こうやってまた、一緒の隊になれた今も」
自分らしくない。まったくもって、自分らしくない言葉だと思った。気恥ずかしさを紛らわす為、カップを手に取る。
「えへへ、『たった一人』、かー。そう言われると何か嬉しいな。まぁ東城君、友達少なそうだもんね」
「うるせぇ、余計な御世話だ」
「嘘うそ、冗談。むくれないでよー。東城君に友達がいるのは知ってるよ。ほら、そこに写真が飾ってあるし」
讃良が指差した先には、木製のシンプルな写真立てがあった。飾られている写真には二人の少年が映っていた。
「それ、右がちっちゃい頃の東城君でしょ?」
「……あぁ」
肩を組み、笑顔でピースサインを作る少年たちは、まだ世の中の穢れを知らない、無垢な顔で笑っていた。
「とっても楽しそう……左の子とは今でも連絡取ったりしてるの?」
「…………いや」
写真立てを伏せ、幸来は窓の外を見た。大きくそびえ立つキェルケゴールの函が、黒々と鎮座していた。
「もう連絡は取ってない……。どこに居るか、分からなくてな」
「引っ越しちゃったの?」
「あぁ……結構近くに居るとは思うんだが…………遠いんだ」
遠い。遠すぎる。地位も、心も、何もかもが。
「東城君は……その子に会いたいの?」
「……あぁ、会いたいよ。何ていっても、友達だったから、な」
「じゃぁ」
一度伏せた写真立てを、讃良は再度立てなおした。
「探さなきゃ。遠くなんてないよ。東城君が近くに居ると思うなら、きっとそうなんだよ。だって、この写真の二人は、どこかで繋がっている様に、わたしには見えるもん」
ね? と小さく首を傾げ、優しい笑顔を幸来に向ける。讃良の言葉は、少し的外れだった。けれど、励まそうとしている心が、幸来を温めた。
「そう、だな」
楽しそうに笑う二人の少年に、幸来は目を向けた。
自分たちは、またこうして無邪気に笑う事が出来るのだろうか。
何のわだかまりもなく、何も、憂うる事なく。
物思いに耽っていると、空になったカップを片づけながら、讃良が幸来に問いかけた。
「ねーねー東城君。このお友達の名前、何て言うの?」
時計は、十一時を少し回った時間を差していた。明日に備え、そろそろ休む時間だ。
「あぁ、こいつか? こいつの名前は――」
この会話がひと段落ついたら、讃良を部屋に帰そう。
今日は思っている以上に疲れているはずだから。そんなことを考えながら、幸来は幼い頃の友人の名前を口にした。
「貫之、だ」




