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瓶詰魔女  作者: 日向夏
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できれば気づいておくべきこと


 駅前のホテルはやはり望みの人物はいなかった。いや、いたとしてもベルボーイがそんなことを簡単に教えてくれるわけもない。私はただの中学生で、特別な存在というわけではない。


 中学生が高級ホテルのロビーをうろうろしていても怪しまれるだけなのでさっさと出る。駅前は人が多いけど、やはり私の目にうつるのは虚ろな人たちばかりだ。

 せっかくここまで来たので、私は文化会館のほうにも行くことにした。何があるかわからないが、ただ気になったことがあった。


 あの生中継の最中、桜木優は一体何を見たのだろうかと。

あのきれいな目がどんなものをとらえたのか気になった。きれいな目にうつったものは、どんな汚いものでもきれいにうつるのだろうかと思った。


 もちろん、そんなことはないのはわかっている。汚いものは汚いのだ。それに眼球は加工をしてしまえば、それをえぐり取り、代用品を詰めなくてはならないだろう。代用品は代用品であり、本来のものではない。表情はだから、目蓋を閉じて固定させないといけないと思う。






 てくてくと歩いていくうちに、人通りは減っていく。忙しい人たちは平日の何のイベントもない文化会館に向かうことは少ないだろう。昨日のイベントの片付けにあたる人たちがちらほらと、あと目的もなく歩いている人たちしか周りにいなくなった。

 文化会館は、アイドルのコンサート会場に利用されるくらい立派にできたものだった。そこに続くレンガ造りの歩道は、外観をよくするために海外から取り寄せたもので、一時税金の無駄遣いと罵られたものである。私は、悪くないと思うのだけれど、世の中にはコンクリートに安っぽいタイルを張り付けただけの歩道で十分だと思う人たちが大半らしい。


 今日だけでどのくらい歩いただろうか。健康のために歩くべき歩数は一万歩だというが、私の平均歩数はその半分くらいだと思う。学校と家、それから図書館くらいしか歩こうと思わない。動きたくない、できれば父の書斎か図書室の隅で丸くなって本を読んでいたい。段ボールの中にぴったりと詰まって本を読んだらどれだけ落ち着くだろうと思う。その中で本を読みながら、時折、アクアリウム越しに父を見て、ガラスケースに閉じ込めた桜木優を見ていたらどんなに満ち足りた気分になるだろう。それは父が絶対に許してくれないとわかっているけれど、頭の中くらいそんな幻想を見たっていいだろう。


 たしか、この当たりだろうか。トークは野外特設会場で行われていたが、歌を歌う時だけ、文化会館の中に移動していた。セットはもうほとんど崩されていた。私は、セットがあったと思しき場所に立つ。おそらくこの辺からあちらのほうを見ていたと視線を移動した。


 私は視線の先に、既視感のあるものがうつったのに気が付いた。私は視線の先へと吸い込まれるように近づいていく。文化会館の入口から少し離れた場所、改築を繰り返した際、無駄ともいえるスペースが出来上がる。建物と建物の隙間、人が一人通れるくらいの小さな隙間だ。


 偶然に偶然が重なれば奇跡になるというが、私はそれを見つけたことに感謝した。


 そこには、私が見たかったその光景がもう一度見ることができた。


 狭い隙間に桜木優は立っていた。まだ未成熟だけれど均整のとれた身体、人形のような顔はほんの少し悲しそうに歪んでいた。それもまた、テイストの一つだと思わせるはかなげな美しい少年は、両手を女性の首にかけていた。女性の身体はふわふわと浮かび、宙吊りになっている。


 宙吊りになっている女性は、最初醜く歪んでいたが桜木優の込める力が強くなるたびに、だんだんと柔らかく惚けた顔へと変わっていった。それは恍惚といってもよかった。

 それはとても見てはいけないもので、私には多分早すぎるのだろう。クリムトの『接吻』を見ているような気分になった。居心地が悪いのだが、目が離せないのだ。


 きれいなものは遠くから見るべきだ、わかっているのだけれど、私はその吸引力に負けてしまった。ふらふらと花の匂いに誘われてやってきてしまった。


 そして、近づきすぎたらどうなるのかわかっていたはずなのにやらかしてしまった。


 桜木優は、隙間からのぞく私の方を見た。その目は、真っ黒な黒曜石のようで、驚きで丸くなっていた。


「ええっと、これは……」


 桜木優は一回息を大きく吐くと、まるでテレビの前にでるようなきれいなだけの笑顔を見せた。何の面白みもない、つまらない笑顔だった。

 

「今日、ここは何のイベントもないよ。すぐ暗くなるから早く帰った方がいいよ」


 取り繕った笑顔はごくごく普通なことを言っている。でも、その両手は壁に押し付けた女性の首を絞め続けていた。


 こういう場合、どうすればいいのだろうか。彼は本当にこんな場面をごまかそうとしているのだろうか。あまりに無理があり過ぎる。

しかし、彼の顔は真剣だった。

私の中で、もしかしたら何か思い違いがあったのではないだろうか、という考えがよぎる。私はじっと壁に押し付けられた彼女を見る。その視線は、桜木優自身にもなにかを気づかせたようだ。


「もしかして、君。見えているの?」


 桜木優は『見ている』ではなく、『見えている』と確認してきた。


「もしかして、その制服。君、図書の本どこかで落とさなかった? そのとき見えていたものに驚いてさ」


 桜木優は、なぜか納得した顔で私を見る。

 見えているか、という桜木優の確認に、私の脳が反応する前に、私の身体は思い切り引っ張られた。

 引っ張る力は私の身体を浮かせるように走らせる。私の手首は女の手につかまれていた。


「何やってるの! あんなとこでぼーっとしてるなんて」


 聞こえてくるのは姫野の声だ。いつのまに来たのだろうと私は首を傾げる。


「冲方さんが私に挨拶もしないでどっか行っちゃったから探したのよ。そしたら、あんな殺人現場に出くわすなんて」


 普通の女子中学生とは思えない力で姫野は私を引っ張って行く。動きの鈍い私は、足をもつれさせながらなんとか走るのみだった。


 姫野はだんだん多くなってくる人の中にまぎれて駅へと入る。私は意味も分からず引っ張られる。改札で止められそうになるも、空気のように軽い姫野は私を引っ張り上げて改札を通り抜ける。

 駅員が私の手を掴もうとするが、そのあとくる人の群れに巻き込まれて動けなくなる。


「もう大丈夫」


 駅のホームにつくと私はようやく息を思い切り吸い込むことができた。吸い込み過ぎて苦しくなって咳き込んでしまった。


「もうすぐ電車が来るから、そしたらもう大丈夫よ」


 姫野は私の後ろで言った。

 言った通り、電車の音が聞こえる。


 白線の前に立ち、私は電車を見る。

 『白線の外側にでないでください』とアナウンスが聞こえる。


「常識をアナウンスするのって無駄だけど大切だよね」


 姫野の笑い声が後ろから聞こえる。姫野はいつも笑っている。本当になにが面白いのかと思うが、もしかしたら面白くなくても笑っているのかもしれない。


「それにしても、冲方さんってひどいよね。最後まで私と口聞いてくれなかった」


 そう言うと、後ろから強い力が加わった。

 走り過ぎて足ががくがくになった私は、衝撃に耐えきれず白線の外側へとはみ出した。そして、線路へと落ちて行った。


「やっぱり、別物って思っているんでしょ? 私の事」


 姫野はホームから私を見下ろす。


 私は右を向く。近づいてくる電車のライトが眩しくて、目を瞑るしかなかった。


 


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