できればやるべきでないこと
世の中面倒くさいことをする人間はたくさんいる。それは私が所在する一年八組の教室も例外ではなかった。
私は、自分の机の上に書かれた汚い文字を見る。『死ね』『ブス』『消えろ』などなど、没個性な言葉、書いた当人たちの個性の無さを感じさせた。ある意味、犯人は犯行がばれるのを恐れてわざとありきたりな言葉を書き連ねたのではないのだと勘繰ってしまう。すごい、凡人を装った知能犯だ。
私の性格はどうにも他人受けするものではなく、意図せずして敵を作ってしまうらしい。いや、敵というより生贄だろうか。思春期の多感な時期といえば、他人がなんでも敵に見えてしまうものだ、けれど自分が責められる立場にはなりたくない、古い青春小説で語られていた。だから、自分よりも格下の存在を作るのだという。つまり、私は格下だということだ。格付けは群れで暮らす生き物の本能なので、実に本能に素直な人間の犯行だと予想される。
私は机の上の文字を指先でこする。文字が消えていく。彫刻刀で掘り込んだり、油性ペンで書いたわけでもない。学校の備品は大切にするとは良い心がけだ。これなら、私が来たら雑巾で拭けば万事解決する。私の登校時間が比較的早いことを見越してのことだ。やはり知能犯である。
いっそ油性ペンで書いてくれたほうがありがたいと私は思った。そうすれば、雑巾でごしごし削る行為が無駄なので最初からやらなくてすむし、なによりまだ衣替えの終わっていない季節にペンの文字が肌につくことがないためだ。彫刻刀で削られると、筆記の際、文字ががたがたになってしまうのでそれはされてなくてよかった。
私は、教室のベランダに干された雑巾を取りに行ったが、それを使って机を拭くことができなかった。ご丁寧に雑巾は、牛乳を拭いてから数日という絶妙な風合いを醸し出していた。干してある雑巾すべてがである。たしか給食の牛乳を飲む際、笑わせあうのが先週の男子たちのブームであった。笑いというものは伝染するもので、一人が笑い出すと皆がつられて笑うのだ。教室は阿鼻叫喚の図になったのは記憶に新しい。
私は、そっとベランダのドアを閉めた。手に文字がつくのは嫌だが、牛乳スメルただよう机はもっと嫌だった。
さてどうしようかと思っていたとき、私は隣の机に目がいった。教室の机はどれも同じだ。私の隣の席は、いわゆるクラスの女子のリーダー格で、格付けに一番厳しい人物である。先日、私の上履きがトイレに捨てられていたときも彼女が一枚かんでいたようだが、証拠不十分で不起訴となっている。別に私としては、温厚という名の無気力教師が厄介事を解決するために上履き代をくれたのでどうでもよかった。ずっと学校の来客用スリッパを履き続けるのは体裁が悪かったらしい。色をつけてくれたおかげで文庫本を一冊買うことができた。
私は、隣の机と落書きだらけの机を入れ替えると、横にかけてあった体操着袋を交換した。これで完璧だ。
私は鞄からきれいにラミネートされた本を取り出すと教室をでた。
この学校のいいところは図書委員が真面目なことだろう。朝の八時前だというのに、図書室は開いており、すでに先客が何人か来ていた。
私は本の裏側についたバーコードを返却ボックスの前の機械に読み取らせる。読み取らせたら、隣の返却ボックスにいれれば終わりだ。しかし、機械は嫌な音をたててバーコードを読み取ってくれない。エラーかと思って本を見ると、私はある間違いに気が付く。バーコードの上には市立図書館の印が入っていた。そうだ、放課後に返しに行く予定だった。
私は今更教室に取りに戻る気もなく、本を小脇に抱える。返却日もまだ余裕があるので、明日でもいいだろう。せっかく来たのだから、と私は図書室の端っこ、専門分野コーナーに向かった。本棚につき一つずつ『化学』『生物』『地学』『地理』『歴史』となっている。私はその中で化学の棚の前に立つ。
昔、テレビで見たもっとも美しいミイラの少女の話を思い出した。棺に詰められた少女のミイラは、何十年経とうともみずみずしい姿のままだという。ごく一般的に、ミイラと言えば包帯に巻かれた干物というイメージしかわかない。それなのに、そのミイラは変わることなく美しかった。
パラフィンに塩化亜鉛、アルコール、他にはサリチル酸とグリセリン、そのミイラに使われていたという薬品だ。ネットで調べてみても、その製法は書かれていない。化学の本を開いてみたところで美しいミイラの作り方など書かれていなかった。せいぜい蝋燭の作り方くらいは応用であるのかもしれないが。
私は、化学の棚から右に移っていき、世界史の棚を眺める。古代エジプトの歴史本を手に取ると、かなり応用を加えないとまったく使えないミイラ精製法が書かれてあった。
私はそれを持つと空いている机に座る。こんな朝だというのに、図書館には案外人がいる。本当に不思議だ。そのどれもが、ぼんやりとした顔でうろうろしているだけで本を読もうとしない。別に、私は他人が何をしようと関係ないので読書に専念することにした。
新たに一冊だけ本を借りて教室に戻ってくると、中は大騒ぎになっていた。
何事かと見てみると、私の机の周りに人が集まっている。いや、正しくは私の机の隣だ。近づくと思わず鼻をおさえたくなるミルクスメルが漂っており、その匂いの元凶は騒音をまき散らす女子の手の中にあった。彼女の机には、半分だけ消された雑言があり、彼女の涙の原因はそこにあった。
選民意識の強い人間はそれだけその地位から引きずり降ろされることに恐怖するのだろうか。普段、女王のごとくふんぞり返る彼女の姿からは想像できない鼻水をたらす姿は見ているこっちが気まずくなってしまう。
クラスの女子の中には、それを見て笑う子もいた。女の子というものはそういうものである。
あまりの様子に無気力教師もなだめに入っている。彼女の母親が今期の役員をやっているのもあるだろうが、ああやって騒げばさすがに動かずにいられないらしい。駄々っ子と同じ原理なのだなと納得した。ひどく幼い生き物を見て、私は人の群れをかき分けて自分の席につく。
「誰だ、こんなことを書いたのは!」
先生は『書いた』ものを聞いていた。私はてっきり、泣いている彼女の指示で取り行われたと思っていたがそうではないらしい。でなければ、彼女がこんな風な失態をおかすことはなかっただろう。もし『置いた』のは誰だと聞かれたら私はでなくてはいけないのだが、『書いた』のであれば関係ない。そわそわとしている女子はたくさんいたけど、誰が犯人なのかなんてわからない、クラス全員の名前を憶えていない私は、誰が怪しいのか知っていても名指しすることはできないのだから。
それにしても、せっかく牛乳臭いのが嫌で取り換えたというのに、これでは意味がないなあ、と思う。あまりに臭いので、制汗スプレーを取りだし匂いのする方向へ振りかけてやったら、鼻水にしゃっくり混じりで疲れていた彼女の泣きがぶり返してきた。どうして泣くのかわからなかった。
私は普通じゃないらしい、その理由は他人の気持ちがわからないからだという。本当に不思議だ、周りは私の考えがわからないという。他人が私の気持ちがわからないのなら、私が他人の気持ちがわからないのは当たり前のはずなのに。
おかげで一時間目の体育は、学級会となった。やりたくもないダンスの授業がつぶれてとてもうれしかった。動かなくていいし、皆に合わせなくていい、とてもよいことなのに、クラス全員の顔は暗かった。
牛乳臭い机を残したまま、隣の席の彼女は二時間目の休み時間で帰っていった。なんだか、先生がぺこぺこと迎えに来た保護者に頭を下げていて、その保護者は私を含めたクラス全員をにらみながら帰っていった。大げさな親子だ、机の汚れは拭けば消えるのになんでそこまで大騒ぎするのだろうか。この後、学年集会になるらしい。体育は潰れてもいいけど、理科と社会の時間は消えては困るからやめてもらいたい。
私は、黒板に大きく『三時間目は多目的ホールへ』と書かれたのを見てうんざりした。
さぼってどこかで本でも読もうかな、と鞄をあさってみる。そこには、市立図書館の本と朝借りてきた世界史の本が入っている。もう一冊入っているはずの学校の図書室の本がない。廃退的な未来を描いたSF小説が入っているはずなのに。昨日の放課後にはあった。
そして、最後に読んだ場所は昨日の放課後にいた場所である。
つまり、あの廃工場である。