表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
瓶詰魔女  作者: 日向夏
1/7

できれば見るべきでないもの

 きれいなものは遠くから見ておきたい。それが、私の十二年というまだ短い半生の中で得た教訓だ。


 きれいなものは好きだけど、だからこそちょっとした粗が目についてしまう。欠点などどんなものにもあるので仕方ない。どんな神話の強い神様だって、妙に人間味があるのと同じなのだ。全知全能の神さまが、決して自分が持てない岩を作り出せないように、絶対に壊れない盾と絶対に貫くことのできる矛が同時に存在できないように、完璧なものなど存在しないのである。


 ダイヤモンドが最硬の石でありながら衝撃に弱く、どんなミスユニバースでも歳とともに老いていく。できるのは、いかに欠点の部分を見せないかだけである。そのために女優やモデルが美容整形で皮下組織に金の糸入れ込もうが、ボツリヌス菌打ち込もうが正義だと思う。彼女たちの仕事は、美しさであり商売道具なのだから、どんな手を使っても自分をきれいに見せることはプロとして当然のことだ。


 私こと冲方真綿うぶかたまわたのできることといえば視聴者として見ることだけである。ライトに照らされしわを隠した俳優、女優、アイドルたちを遠目で見ることだ。古い時代のテレビはブラウン管だったというが、今のテレビ画面では映像が美しすぎて、生物には当たり前にある毛穴すら見えてしまう。それらをうまくごまかそうとする努力するものたちを視聴者として、ただ見世物を見る側として、受け止める努力をする。それだけだった。

 結果、できたことと言えば、テレビを見ないことくらいだったが。


 おかげで私は、同年代の女子と会話がはずまない性格になってしまった。いわゆるコミュ障、コミュニケーション障害というやつだ。別に話などなくてもよい、私の趣味はたとえテレビや雑誌を見ていたとしても合いそうにない。私は昔から、自分の考えが口にださずに自分の中で解決してしまう性質があるという。何度か病院で先生に見てもらった結果、私は普通の子ではないらしい。普通ではない、そのことに祖父は眉間にしわをよせ、母は「ふうん」の一言で済ませ、父だけは頭を撫でてくれた。普通ではないと先生に言われたが、それで自分が特別かといえばそうではなく、世間的には面倒くさい子どもらしい。別に、面倒くさいなどと言われても、私は別に面倒ではないのでどうでもいいことなのであるが。


 色々と、話が脱線した方向にうつってしまったがもう一度言っておく。私はきれいなものは遠くから見ておきたい人間だ。

 なぜ、それを強調するかといえば、目の前の光景がまさに近くで見るべきものでなかったからだ。


 場所は、数年前に潰れた工場。散らかったままの工具や機材が散らばっている。空き缶や雑誌が散らばって、スプレーで品のない落書きがされていることから、悪い輩のたまり場になっていたようだが、ここ数か月は現れていないみたいだ。

 そんな場所に私はいる。廃退的な物語を読むに一番適した場所だと思ったからだ。ここ数日、放課後はこの場所に通っていた。もちろん、立ち入り禁止の札はかかっており、私はキープアウトの向こう側に来ている。

 そして、キープアウトのロープをくぐった者は、私の他に約二名いた。


 さらりとした柔らかそうな髪が揺れる。まだ二十かそこらと思われる女性は、柔らかな輪郭をのけぞらせていた。震える四肢は一般人のそれよりも長く細くしなやかで美しく、夕日に照らされた髪がきらきらと輝いていた。

 そして、もう一人いるのは男性、体格はできているがまだ幼さが残る。女性のたおやかさとはまた違った細さを見せる身体の線は、成長期の可能性をまだ残しているようだ。

 その二人の影は、長く伸び一つになっている。影だけを見たら一人しか存在していないようにしか見えない。だけど、二人いた。


 女性のつま先は、瓦礫だらけの床から浮かんでいた。ヒールを履いた足はだらんとぶら下がっている。彼女の指先は、少年、いや青年だろうか、どちらでもいい彼の手首をつかんでおり、彼の手は女性の首をつかんでいた。

 青年の手はゆるむことなく女性の首を絞め続け、女性もまた力なくぶら下がっている。


 私がいくら普通でないとはいえ、それがどういう状況だということは理解できた。そして、もし善意ある大人であれば今、この状況で一体何をすればいいのか答えがでるだろう。

 だけど、私はまだ義務教育真っ最中の子どもで、かつ善意というものが理解できない生き物である。私は動けずにそれを見続けていた。目をそらすべきもののはずが、そらせないでいた。それは、驚きや恐怖によって動けないわけではなかった。それとはまったく別の、とても不謹慎な感情によって動けずにいた。


 それは異常で奇妙な光景で、子どもの教育に悪いどころではない現場だということはわかっている。でも、目をそらせない。

 それは、二対の生き物がそれぞれ、私が見てきた中でとびぬけて美しい生き物であった。だからこそ、今のこの場面すら残酷な宗教画のように心臓を鷲掴みにして離さなかった。私が目の前の光景に抱いた感情は、美術品の類に対する感動と同じだった。


 埃まみれの廃工場、割れた窓からこぼれる夕日、そこにいるのは美しい青年に殺される美しい女性。廃退的で耽美な情景に目をそらせなかった。


 私は息をひそめた。声を出すことはおろか物音をたてないように息を止めた。一枚の情景をただひたすら網膜に焼き付けることに専念した。

 遠くで見ているべき、いやできれば見ないでおくべき光景は私から瞬きだけでなく呼吸すら忘れさせた。ゆえに、女性の動きに震えすら見られなくなったとき、私の身体は酸素を欲していたことを思い出した。


 大きく息を吸ったところで、かちゃんと音がした。足元の空き缶が転がり壊れた機具にぶつかって止まった。

 思わずもう一度息を止めても遅かった。

 一枚の絵画の登場人物だった彼がこちらを向いた。横顔しか見えなかった彼は、正面を向いてもきれいな生き物であって、きれいすぎて陶磁器でできた人形に見えた。


 私は鞄を持つと、その場を立ち去った。すぐそばには出口があり、出たらすぐ路地に入る。人気は少ないが、まったく人がいないわけではなく、逃げ出すことは簡単だ。私は普通ではないが、それなりの状況判断はできる。ごく一般的に考えれば、私は次の被害者になっていることだろう。あの人形のように美しい青年の手によって。


 私は、路地を走り抜ける。曲がりくねった道は無計画な開発によってできたものであり、それを熟知しているのは、私とこの辺を縄張りにしている猫位なものだと思う。三回曲がり、一回民家の庭を通り抜けたところで大通りに出る。大通りとはいえ、今は昔の話で現在では活気を失った商店街があるだけだ。


 心臓の動きはまだ落ち着かず、私は腹式呼吸で酸素を取り入れて呼吸が落ち着くのを待ちながら歩いた。やはり、緊張していたらしくねばった汗が全身から噴出している。たしか、緊張したときに出る汗は健康的でなく、匂いもきついというが、なんとなく汗臭い気がする。


 心臓が落ち着いたところで、私はバス停のベンチに座る。バスに乗るわけではなく、ただ休むためだ。

 そこで脳裏に焼き付けたあの光景を思い出そうとしたが、最後に見たあの顔が印象に残って浮かんでくる。

 色素の薄い髪、長いまつげ、黒い瞳。ビスクドールのような肌は、本当に触れて見たかった。おそらく、まだ青年とも少年ともつかない年齢だからこその危うい美しさがそこにあった。あと一年後、それが存在するかもわからない、そんな期間限定の美だった。美人薄命という言葉があるが、美しさ自体も儚いものだと言える。

 あの美しさをそのままにとどめることができたら、どれだけいいだろうか、ずっと壊れることなく眺めることができたらどんなに幸福であろうかと考える。 


 そのためには、どんなことをしてもいいと考えてしまう。


 喜ぶべきか、私は青年の顔に見覚えがあった。彼が何者であるがわかったのだ。


 私は普通ではないと言われたが、特別ではない。でも、やはり普通ではないというのは本当だ。私は先ほど首を絞められた女性のことなど、興味がなくなっていた。あの青年、いや少年とともに一枚の絵画の登場人物とくらいしか考えていない。

 そして、おそらく殺人者になったであろう青年に対してはあらぬ感情を抱いている。


 どうやったら、あの姿のままで、美しいままでいてもらえるかを。


 警察に届けるなどという考えは浮かばなかった。そんなことをすれば、困るのは私だ。


 私は急な全力疾走でぴくぴくと揺れていた筋肉が落ち着いたことを確認すると、通りの反対側へと渡る。シャッターが閉まった店が多い中で、かろうじて音楽ショップは開いていた。


 ウインドウに何枚も張られたポスターを見る。アイドル、演歌歌手、大物ミュージシャン。その中の一枚に私は手を添えた。もし、ポスターがガラスの向こう側になければ、はぎ取って盗んでいたかもしれないし、それ以前に他の熱烈なファンたちに奪われていたことだろう。

 それだけ人気のあるアイドルグループのものだった。芸能界に疎い私ですら歌のひとつくらい聞いたことがあるくらいなのだから。


 まだ十代の男性三人組のグループで、歌って踊れるを売りにする昔からいるジャンルのアイドルだ。その中の右側、どちらかといえば大人しめなイメージをうかがわせる少年の顔に私は指の腹を這わせる。


「桜木優か」


 少年の名前はそのように書いてあった。

 そう先ほど、廃屋で見た男はまさにポスターと同じ顔をしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ