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恋をするために生まれてきた。

 上司が要らないと言って押し付けてきた一枚のチケット。

 特に欲しかったわけでも、興味があったわけでもなかったが、なんとなく、無駄にするのももったいない気がして、休暇を使って観ることにした。

 けれども、すぐにそうした事を後悔した。


「……何が哀しくて勤務時間外に一人でこんなものを見なきゃならんのだ」

 ミカエラは深いため息を吐いた。

 ユリウスめ、貴様の実家に腐った烏賊でも送ってやろう。

 胸の奥で恨めしいと呪いつつ、思い出す。

 あ、あいつは既に家族が存在しないのだった。

 感が得ながらもミカエラは更に心の中で上司の悪口を言い続ける。


 彼女の上司が押し付けたのはロマンス映画のチケット。


 生憎、ミカエラ・カァーネという女性は甘ったるいロマンスとは無縁の人間だった。

「恋をするために生まれてきた」などとほざく人間は邪魔者以外の何者でも無いと彼女は感じていた。たとえそれが、芝居の中の人物だとしても。


「全く…騎士団長殿は何を考えているのか理解できん」

 なぜ自分にこんなにもくだらない映画のチケットを渡したのか。

 甘ったるいロマンスなどは宮廷騎士団長ユリウスのイメージには全く合わないし、もちろん自分にも似合わないとミカエラは考える。

「…嫌がらせか」

 結論はすぐに出た。

 彼とてこんな映画を観る趣味は無いはずだし、そもそもあの男に大人しく座って何かを眺めているなどという芸当は出来ないはずだ。

 折角の休暇を無駄に使ってしまった。うんざりする。

 しかし折角外に出たのだから焼きたてのベーグルでも買って帰ろうかとミカエラは馴染みのパン屋へと向かう。


「げ…」

「お前は…」


 パン屋に入った瞬間、嫌な相手に会ってしまったと思った。

 見慣れた顔で、軽い茶髪と緑色の瞳の若い女。

「…ヴェント、なぜ貴様がここに……」

 ミカエラは警戒心を隠さずに問う。

「悪いかよ。ただの使いだ」

 ヴェントもまたうんざりした様子を隠すつもりはないらしい。

「貴様が?」

「仕方ねぇだろ? マスターがここのベーグル食いたいと駄々こねて大変なんだよ。ディアーナで一番足が速い私が買いに来ただけだ」

 その言葉を聞いて、ミカエラは鼻で笑う。

「よくそんな上司の下で働けるな」

 しかし、ミカエラの上司もそう、変わり無いかもしれない。

 一瞬考えた言葉を押し込み、ヴェントを観察する。

 ヴェントと言う娘は、裏表など無いように何もかも顔に出てしまうようだ。

「全くだ。早く転職してぇよ」

 彼女のその言葉に、ミカエラは笑みがこぼれた。

「貴様がディアーナに飽きたら私のところに来い。使ってやらんこともない」

 貴様ほどの実力者ならすぐに昇進できる。

 そう告げると、彼女はにやりと笑う。

「悪いが、一箇所に留まるのは苦手なんだ」

 それだけ言って、彼女はまさに風のように駆けていった。

 まったく、こまったじゃじゃ馬娘だ。

「全く、慌しい奴だな」

 笑みがこぼれる。

 ベーグルとコーヒーを買ってミカエラは職場兼自室である看守長室へと戻ることにした。





「ミカエラ、今日は出かけていたのですか?」

「ああ、休暇だったからな」

「ふふっ、外の臭いがしますよ」

「そうか。貴様は、鼻は利くのだな」

 ミカエラは看守長室のすぐ傍の牢で拘束されている男に話しかけられ、少し笑いながら答える。

「ああ、噴水広場前のあの店ですね。他の店とは微かに違う小麦の臭いがします」

「…貴様は犬か」

「犬は貴女でしょう? ビアンコ・カァーネ」

 ミカエラは呆れ、ため息が出た。

「貴様と私では意味が違う」

「ええ、知っていますよ。それで? 外はどうでした? 少しでいいので話を聞かせてください」

 ここに捕らえられて二週間。檻の中の男は外の話を聞きたがる。

 完全なる拘束をされ、光さえ目にすることの出来ないその男にとってミカエラの声のみが情報源だった。

「そうだな。騎士団長殿に頂いたチケットでくだらないロマンス映画を観て来た。その跡に貴様が先ほど言っていたパン屋でヴェントに会った、そして、ベーグルとコーヒーを買って帰ってきた。それだけだ」

「映画、ですか」

 少しばかり不思議そうな声色だ。

「私が映画を観てはおかしいか?」

「いえ、少し意外だっただけです」

 そういう男にミカエラは少しばかり苛立つ。

「それで? どんな映画でした?」

「くだらなかった。男が『君に恋するために生まれてきた』などというなんともありがちなくどき文句を言う甘ったるいロマンス映画だった。まぁ、女優はなかなかの美人だったがな」

「貴女の話はいつもそうだ。見た女性の感想が入る」

「悪いか?」

「いえ、そんな貴女も嫌いではありませんよ」

 マスクに覆われていて見えないが、おそらくはこの男は笑っているとミカエラは思った。

「私は寝る。見張りは四人つけよう。話し相手はそいつらに頼むんだな」

「おやおや、貴女意外は僕に話しかけようとすらしませんよ」

「だったら一人退屈な闇の中で過ごせ」

 それだけ言ってミカエラは部屋に篭る。


 あの男と長く話すのは良くない。

 それはミカエラが良く知っていることだった。

 目を見てもいけない。

 すぐに幻術をかけられ惑わされる。

 特にあいつは人を騙すことにかけてはクレッシェンテ一を誇る。


 ミカエラは深いため息を吐いた。





 甘ったるいロマンスなんてくだらない。

 このクレッシェンテに生まれるのは『恋』なんかのためじゃない。

 この国で生きるのは、この国に生まれるのは戦うためだ。


 くだらないロマンスは捨ててしまえ。

 ミカエラはベッドに腰掛け、靴を脱ぎ捨てる。


「今日は時間を無駄にしたな」

 明日あの上司に文句を言おう。


 ミカエラは強く心に誓った。


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