手紙
もしも、過去に手紙を出せるなら、シルバにありがとうって伝えたいな。
そんなことを蘭に話したら、あっさりと「できるわよ」と言われてしまった。
「それ、本当?」
「時の魔女に不可能は無いわ。対価しだいでなんだって引き受けるわよ?」
「対価は?」
訊ねると蘭はくすくすと笑う。
「ケーキワンホール」
「え?」
「丁度甘いものが欲しいの」
蘭は楽しそうに言う。
「朔夜に頼んでみる」
「まぁ。じゃあ、手紙が書けたらいらっしゃい」
蘭はそう言って飲んでいた紅茶のカップを片付け始める。
「すぐ来るから」
慌てて蘭の店を飛び出してアジトへ走る。
途中で便箋が無かったことを思い出してお店に寄って、シルバならどんなのを選ぶのだろうかって考えてたら、前にアラストルの部屋にあったようなのと同じようなものを選んでしまった。
「朔夜!」
アジトへ戻って真っ先に朔夜を探す。
「玻璃、そんなに慌ててどうしましたか?」
部屋に居たのは朔夜じゃなくてマスターだった。
「朔夜にケーキ焼いてもらおうと思って」
「ケーキ? たまにはいいですね」
「食べるんじゃなくて持ってくの」
「持っていく? どこへ?」
「蘭のところ」
蘭という名を聞いた瞬間マスターは嫌そうな表情をする。
そういえばマスターは蘭が嫌いだった。
「シルバにね、手紙を書くの」
「アルジェンテに? 彼に手紙を出すことは不可能だ」
「時の魔女に不可能は無い」
そう告げればマスターは本当に忌々しいと言わんばかりの表情。
「シルバにね、ちゃんとありがとうって伝えたいんだ」
そうして、今、ちゃんと幸せだって。
「それと僕の可愛い朔夜の焼くケーキに何の関係が?」
「対価。蘭がケーキ食べたいんだって」
手紙を出してあげる代わりにケーキを要求されたとマスターに言えばマスターは深い溜息を吐く。
そんなマスターを無視して慌てて部屋に飛び込んだ。
久しぶりの自分の部屋。
ぷうんっと絵の具の臭いがする。
描きかけのまま放っておいたカンバスは既に乾いて、パレットも筆もとても使えそうに無い。
何を描いていたのかどうして放り出したのかももう思い出せないその画材をえいっと端に蹴飛ばして、引き出しからペンとインクを取り出す。
「あっ」
いざ書こうとして思い出す。
慌ててインクとペンと便箋を持ってマスターの所に駆ける。
「マスター」
「今度は何です?」
少し呆れた表情のマスター。
「字、教えてくれる?」
「……仕方ありませんね。何を書きたいのです?」
呆れつつも、ちゃんと紙とペンを用意して隣の席に座るように促してくれる。
マスターがマスターで良かったって心から思った。
「できた」
「玻璃、文字くらい覚えてください」
「うん」
アラストルにもいっつも文字を教えてもらうけど、やっぱり文字は苦手。
蚯蚓の這い蹲ったような文字になってしまうし、綴りが良く解らない。
「自分の名前を書けるのが奇跡的ですね」
「アラストルの名前も覚えたよ。あと瑠璃と朔夜の名前も書ける」
そう言って別の紙に得意気に三人の名前を書くとマスターは溜息を吐く。
「どうせなら僕の名前も覚えてください」
「だってアラストルは教えてくれないもん」
本来は口に出すのも良くないってアラストルは言う。
「それはそうだ」
マスターは豪快に笑った。
「笑い事かしら?」
「朔夜」
「セシリオ、貴方、未来の息子に既に嫌われているってことよ? それでいいのかしら?」
朔夜が良く解らないことを言う。
「待ってください。僕はまだ認めていませんよ」
「あら、認めてあげたら? ねぇ、玻璃ちゃん?」
朔夜の言葉に首を傾げる。
全く理解できない。
「それ、貴女は義母で義姉という微妙な立場になりますよ?」
「まぁ、それは仕方ないわ。セシリオがそう仕組んだのだもの」
朔夜はくすくすと笑う。
「ケーキ、用意できたわよ」
「ありがとう」
「早く行かないと、あの人気まぐれだから居なくなっちゃうわ」
「急がなきゃ」
朔夜からケーキを受け取って、手紙を封筒に仕舞って蘭の元へ急ぐ。
「蘭!」
「あら、早かったわね」
「うん」
少し息が苦しい。
でも、それ以上に楽しみで。
「これ、お願い」
「任せて」
蘭に手紙を渡せば、蘭は戸棚にそれを入れた。
「返信は、女神像の裏にあるわ」
「え?」
「ふふっ、あの子、隠すの好きだから」
蘭は笑う。
「ケーキはありがたく頂くわ」
お茶はいかがと誘われたけれど、断って、急いでアジトに戻る。
女神像の裏と言うことは祭壇の裏だ。
「マスター、ごめんなさい」
ばれなきゃ良いけれど、ばれたらお説教だ。そう思いながらも女神様を動かせば、猫の絵の描かれた封筒が出てきた。
「……これ?」
文字が書かれているけれど、読めない。
「玻璃? 祭壇で何をしているんですか?」
どうやらマスターに気付かれたらしい。
「これ」
「ん? ああ、アルジェントの。見つけてしまったんですね」
マスターは溜息を吐く。
「貴女宛ですよ」
「……ホント? でも……」
「ああ、文字が読めないのでしたね。読んであげますから下りましょう」
マスターはここに長居をさせたくないと言っている。
大人しく従う。手紙のためにも。
ありがとう。
素敵な女性になりなさい。
シルバの言葉はいつだって優しい。
思わず涙が流れたのは、目の前にシルバが居て、頭を撫でてくれるようなそんな感覚があったから。
けれども、マスターは不思議そうに首を傾げて「困った子ですね」と背中をさすってくれる。
俺も玻璃が大好きだよ。
その言葉が何より嬉しかった。