思い出の場所を歩く。
「朔夜、ごめん」
「謝らないでヴァレフォール」
待ち合わせに、ヴァレフォールはいつも遅れてくる。
そうして、かならず「朔夜、ごめん」と言うのだ。
「今日は植物園に行く約束だったよね」
「ええ」
お互い主に隠れての、ほんのひと時の幸せな時間だった。
いつも朔夜がヴァレフォールと待ち合わせていたのは大聖堂前の噴水広場。
ここなら礼拝に行くと言ってくることも可能だし、実際朔夜は毎日大聖堂の中で懺悔する。
マスターを裏切るような行為と、幸せを感じてしまう自分への罪悪感を消し去ることは難しかったが、それでもヴァレフォールに会うことは、朔夜のささやかな幸せだった。
「ヴァレフォール…」
初めて会ったのも、別れがあったのも全てこの場所。
そう思うと朔夜は胸が痛かった。
この国は凄く居心地が悪いと朔夜は思う。
特にこの場所は。
幸せな想い出も悲しい思い出も全てここにあるのだ。
今も目を閉じればヴァレフォールの空色の髪と瞳が、優しい微笑が、少しばかり背伸びしようとしいた装飾品が、無理して吸っていた煙草の臭いが……。
全てを鮮明に思い出せる。
耳を澄ませば、今にも、「朔夜、ごめん」と言って彼がぽんと肩を叩く音まで聞こえそうだ。
「あなたの居ないクレッシェンテでどう生きろと言うの?」
殺したのは私。
だけども……。
一緒に死にたかった……。
朔夜は今からでも遅くないのではないかと思ってしまう。
そう、この場所に来ると必ず『死』を望んでしまうのだ。
「朔夜」
「え?」
突然上から降ってきた声に驚く。
「玻璃ちゃん?」
上からの声の主は玻璃だった。
噴水の淵によじ登ったのか座って足をばたばたと動かしている。
「朔夜、この場所嫌い?」
「え?」
「いっつも哀しそうな顔してるから」
玻璃は何を考えているのかわからない表情で、大きな赤い瞳で朔夜の目を覗き込んだ。
「いいえ、嫌いじゃないわ。でも、色々思い出すの…」
そう言って、シルバもここで死んでいたのだと思い出す。
「ここは死者が多い。黄泉の国に繋がる門がこの噴水の真下にあるの」
「え?」
「だからかな、ここ、凄く落ち着く」
玻璃の言葉に驚く。
「また、アラストルと喧嘩しちゃった」
「まぁ」
「マスターが朔夜のこと待ってるよ」
玻璃の言葉を聞いて、アラストルとの喧嘩は嘘かも知れないと朔夜は思った。
「すぐ戻るわ。今日の夕食は何がいいかしら?」
「ピザ」
「昨日も食べたでしょ?」
「……じゃあポトフ」
「解ったわ。暗くなる前に帰ってくるのよ?」
「うん」
まるで子供に言い聞かせているようだと朔夜は思った。
そういえば、ヴァレフォールと一緒に居た頃も、玻璃はこうやって時々神出鬼没に現れた。
なぜか朔夜が沈んでいるときはそれを察知したかのようにここに現れるのだ。
「朔夜」
「なぁに?」
「私はこの場所、好きだよ」
「え?」
玻璃の言葉に少しだけ驚いた。
「だって、アラストルとあった場所だもん。それに、初めての任務でシルバがごご褒美くれたのもここだった」
玻璃が微かに笑って言う。
「ええ、私もこの場所が好きよ」
確かに哀しい思いでもあるけど……。
ヴァレフォールとの楽しかった時間もたくさん詰まっているのだ。
「……自然に足がここに向かってしまうみたいね」
ひょっとしたら期待しているのかもしれない。
『朔夜、ごめん』
『謝らないでヴァレフォール』
もう一度、幻でもあの日常を。