病弱な幼馴染を優先する婚約者が、伝説の薬草を求めて旅立ちました
「彼女を救えるのは僕だけなんだ!」
婚約者のアルベルト様が、今日も力強く宣言した。
「アルベルト様。お医者様が診察中です」
「わかっている! だからこそ僕が来た!」
「……何をしに?」
「彼女を励ますためだ!」
ここはリリア様の実家である伯爵家の病室。
寝台には病弱なリリア様。傍らには担当医。そして診察を邪魔する私の婚約者。
「リリア! 僕が来たからには安心だ!」
「……少し、静かにしていただけますか?」
「遠慮するな! 何でも言ってくれ!」
「ですから、静かに……」
「そうだ! 今日は花を持ってきた!」
アルベルト様が大きな花束を差し出した。
「その花は香りが強すぎます。患者の体調に障りますので、お持ち帰りください」
医師が制止する。
「こんなに美しい花なのに!」
「花の美しさと患者の体調は関係ありません」
「だが、心が明るくなるだろう!」
「患者は頭痛を訴えております」
「ならばなおさら!」
「お帰りください」
医師が断言した。
「君は医者なのに、患者の心を理解していないのか?」
「私は医者ですので、患者の身体を理解しております」
私は心の中で拍手した。
◇
私の名前はエレノア。伯爵令嬢で、アルベルト様とは三年前から婚約している。
彼は侯爵家の嫡男で、領地経営にも優れた有能な方だ。
ただし、病弱な幼馴染のリリア様が関わらなければ。
二人は幼い頃から親しく、婚約も検討された。しかしリリア様は侯爵夫人の公務を務められる体調ではなく、本人も療養を望んだため、代わりに私との婚約が決まった。
それ自体はよかった。
問題は、アルベルト様が婚約後もリリア様を最優先にしていることだ。
観劇も、私の誕生日も、婚約披露の打ち合わせさえも、彼女のお見舞いを理由に中止された。
「リリア様にはご家族もお医者様もいらっしゃいます」
「エレノア。君は健康だからわからないんだ。病弱な人間には支えが必要なんだよ」
「ですが、リリア様は……」
「君にも、いつか人を思いやる心が芽生えるといいね」
私は婚約解消を決意した。
◇
「本当に申し訳ない」
侯爵家の応接室で、アルベルト様のお父様が深々と頭を下げた。
「婚約解消には私も賛成なのだが、息子が頑として認めなくてな」
「……何とおっしゃったのですか?」
「『エレノアは素晴らしい女性です。僕たちは幸せになれます!』と」
私の幸せは、私に確認していただきたい。
「本人が拒否する以上、円満な解消は難しい。強引に破談にすれば、両家の関係にも傷がつく」
侯爵様はため息をついた。
「領地経営では優秀な後継者なのだが、リリア嬢のことになると話が通じん。あちらのご両親からも苦情が来ている」
婚約を解消できても、リリア様への迷惑は続く。
ならば、二つの問題をまとめて解決するしかない。
「アルベルト様に、遠くへ行っていただくのはいかがでしょう?」
「仕事で遠方へ派遣しても、リリア嬢が心配だと戻ってきてしまう」
「でしたら、リリア様のために遠方へ行っていただくのです」
侯爵様と父が顔を見合わせた。
「それも、何年かかるかわからない大仕事を」
私は微笑んだ。
「ご本人が長期不在を選べば、婚約を解消する正当な理由にもなりますわ」
侯爵様が目を見開いた。
「……なるほど!」
◇
三日後、侯爵家に三家の当主夫妻と担当医が集まった。私も同席している。
「娘がようやく眠ったところへ『リリア! 大丈夫か!』と飛び込んでくるのです」
リリア様のお母様が訴えた。
「先日は楽団まで連れてきまして……」
「楽団?」
「音楽には心を癒やす力がある、と」
担当医が淡々と答えた。
「発熱中の患者の寝室で金管楽器を演奏する必要はありません。三曲目で止めました」
私はこの先生を心から尊敬した。
「そこで、皆様にご相談があります」
私は一枚の紙を広げた。山脈の奥地に咲く青い花の絵である。
「万病を癒やす、伝説の薬草です」
「そんなものがあるのかね?」
「ありません。今朝、私が考えました」
沈黙。
「アルベルト様に探していただきます。古い薬草図鑑に記述を加え、遠方の冒険者ギルドにも協力してもらいましょう」
「私は嘘の診断をするつもりはありませんよ」
医師が手を上げた。
「もちろんです。先生には事実だけをお話しいただきます」
「それなら構いません。私は治療を続けます」
侯爵様が腕を組んだ。
「しかし、息子が冒険者になると言い出すだろうか?」
「だって、リリア様を救えるのはアルベルト様だけなのでしょう?」
リリア様のお父様が笑い出した。
「なるほど! それなら間違いない!」
「薬草図鑑はこちらで用意しましょう」
「ギルドには私から話を通す」
「遠征費用は侯爵家で負担しよう。護衛も必要だな」
「娘には私から説明しますわ」
三家の協力で、計画はあっという間にまとまった。
「皆様。息子のために、ここまで協力していただけるとは……」
侯爵様が感激している。
「当然ですとも! 三家は長い付き合いですからな!」
リリア様のお父様が力強く答えた。
こうして、三家合同の一大事業が始まった。
◇
一週間後。
「エレノア! 大変なことがわかった!」
アルベルト様が古い薬草図鑑を抱えて駆け込んできた。
私の父が用意したものである。
「北方の山脈に、万病を癒やす青い花が咲くという! 馬車で二か月、その先は徒歩で山を越えるらしい!」
「見つけるまで何年かかるかわかりませんね」
「そうなんだ! だからこそ僕が行くしかない!」
来た。
「侯爵家のお仕事は?」
「父上が快く送り出してくださった!」
当然だ。昨日から遠征資金を準備している。
「リリア様には?」
「涙を流して喜んでくれた! 何度もありがとうと言ってくれたよ!」
そうだったのか。
リリア様も相当嬉しかったのだろう。
「十日後に出発する!」
「十年かかるかもしれませんよ?」
「十年でも探す!」
「二十年かもしれません」
「二十年でもだ!」
「アルベルト様の決意、よくわかりました」
「ありがとう、エレノア! 君なら理解してくれると思っていた!」
理解している。
だからこそ、全力で応援したい。
◇
出発までの十日間、三家は驚くほど協力的だった。
侯爵家は遠征費用、私の実家は保存食と防寒具、リリア様の実家は寒冷地仕様の馬車を用意した。
さらに侯爵様は北方の山脈に詳しい元冒険者を含む、三名の護衛を雇った。
「若様。調査には何年もかかるかもしれません」
「望むところだ!」
「立派な覚悟です」
護衛には、危険な場所を避け、資金が尽きる前に連絡し、できる限り長く安全に旅を続けさせるよう指示が出ている。
出発の前日、私はリリア様を訪ねた。
「エレノア様! 今日はとても調子がよいのです」
「それは何よりです」
リリア様は申し訳なさそうに目を伏せた。
「本当にご迷惑をおかけしました」
「リリア様が謝ることではありませんわ」
「昨日もアルベルト様が最後のお見舞いだと、花束を持っていらしたのです」
「またですか」
「先生が取り上げてくださいました。歌も贈りたいとおっしゃって……」
「歌?」
「先生が止めてくださいました」
「本当に素晴らしい先生ですね」
「ええ!」
二人で笑った。
「エレノア様。婚約はどうなさるのですか?」
「解消します。正式な手続きは出発後ですが」
「どうか、お幸せになってください」
「ありがとうございます。リリア様も、お身体を大切に」
「はい。これからは、きっと静かに眠れますから」
◇
出発の日。
侯爵家の正門前には三家の関係者が勢揃いしていた。
馬車三台に荷馬車二台。護衛の冒険者も三名。
アルベルト様は新調した冒険者用の服を着て、腰に剣を下げている。
「父上! 母上! 長い間、お世話になりました!」
侯爵様が息子の肩を叩いた。
「立派になったな。何年かかっても、己の信念を貫くのだ」
「もちろんです!」
侯爵夫人は涙を拭っていた。
アルベルト様は感動の涙だと思っているだろう。
続いて、医師の許可を得て見送りに来たリリア様の前に立つ。
「リリア! 必ず薬草を持ち帰る!」
「ありがとうございます。どうぞお気をつけて」
「君の病は僕が治してみせる!」
「旅の間は私のことを心配なさらず、ご自身のお身体を大切になさってください」
「なんて健気なんだ……!」
アルベルト様は感動していた。
リリア様のお父様も感動しているようだった。
ただし、理由は違うと思う。
最後に彼は私の前に立った。
「エレノア。僕が戻るまで待っていてくれるかい?」
「私はあなたの決意を尊重いたします。どうか旅に専念なさってください」
「ありがとう! 君は本当に理解のある女性だ!」
「こちらのことは、何も心配なさらずに」
「では、行ってくる!」
馬車が動き始めた。
「必ず帰ってくるぞ!」
アルベルト様が窓から大きく手を振る。
「お気をつけて!」
「よい旅を!」
「どうかご無事で!」
私たちも手を振った。
馬車は街道を進み、角を曲がり、やがて見えなくなった。
しばしの沈黙。
「……行ったな」
侯爵様が呟いた。
「ええ。行きましたな」
私の父が頷く。
「ところで……」
私の父がわざとらしく咳払いをした。
「これほど長期の旅となりますと、娘との婚約はどうなりますかな?」
「ううむ。それは困りましたな」
侯爵様が眉をひそめる。
「十年、いや二十年かもしれません」
「娘をそこまで待たせるわけには……」
「もちろんですとも!」
侯爵様が力強く頷いた。
「息子の志を尊重する以上、婚約を維持するわけにはいきますまい!」
「では……」
侯爵様が私の父の手を握った。
「いやぁ、まことに遺憾ながら!」
「婚約解消ということで!」
「やむを得ませんな!」
「実に残念です!」
二人の父親が満面の笑みで握手した。
リリア様のお父様も加わる。
「いやぁ! 仕方ありませんな!」
「仕方ありませんとも!」
「若者の志を妨げてはいけません!」
「その通り!」
三人の父親が声を上げて笑った。
母親たちも笑っていた。侯爵夫人など、今度は笑いすぎて涙を流している。
リリア様も口元を押さえて笑っていた。
「では、私は患者を屋敷に戻します」
担当医が静かに言った。
「先生! これからは、ゆっくり休めますね!」
「ええ。ようやく治療に専念できます」
医師の口元が、ほんの少し緩んでいた。
私は青空を見上げた。
婚約者を待つ必要は、もうない。
約束を破られることもない。
これからは自分の人生を楽しめる。
「エレノア。今夜は三家で祝宴を開こうと思うのだが」
「まあ、お父様。何のお祝いですか?」
侯爵様が横から答えた。
「息子の、新たなる門出を祝って!」
「それは素晴らしい!」
その夜、三家合同の祝宴は大いに盛り上がった。
まず、侯爵様が杯を掲げた。
「息子の輝かしい前途に!」
「かんぱーい!」
続いて、私の父が立ち上がる。
「若者の勇気と、新たなる人生に!」
「かんぱーい!」
最後に、リリア様のお父様が満面の笑みで叫んだ。
「伝説の薬草に!」
「かんぱーい!」
私は笑いすぎて、お腹が痛くなった。
ああ、なんて素晴らしい一日なのだろう。
ちなみに、伝説の薬草が見つかるかどうかは誰にもわからない。
何しろ、存在するかどうかすら不明なのだから。
けれど、アルベルト様ならきっと諦めないだろう。
十年でも、二十年でも。
その強い意志を、私は心から尊敬している。
そして、心から願っている。
どうか、末永くお元気で。
できれば、ずっと遠くの山奥で。




