第5話:不器用な二人の、特別な数センチ
二人の初々しさが爆発する、デート当日のエピソード
デート当日。午前七時。 湊の部屋の床には、何着ものシャツが散乱していた。
「……やりすぎか? いや、地味すぎるか……?」
これまでは香織の「引き立て役」として、目立たない服ばかり選んできた。けれど今日は、あんなに綺麗な冬華ちゃんの隣に立つんだ。鏡に映る自分を何度見ても、正解がわからない。 結局、迷いに迷って選んだのは、ネイビーのクリーンなシャツに白のカットソー。 「背伸びしすぎない、等身大の自分」でいこうと決めた。
一方、その頃の冬華の自室。 彼女は、まるで戦場のような有様だった。
「……このワンピース、甘すぎるかしら。でも、昨日の雑誌には『守ってあげたくなる清楚系』が一番人気って書いてあったし……。でも、湊くんは私の『氷室冬華』としての雰囲気が好きなんじゃ……ああっ、もう!」
普段は数分で決まる身支度に、すでに二時間以上を費やしている。 彼女の手元にあるのは、昨日必死に買い集めた「モテ系」のファッション誌。 湊のSNSの写真を何度も見返し、彼が好む「光の加減」や「色彩」を分析して、それに合う自分をプロデュースしようと必死だった。
「……よし。これで、変じゃない……はず」
鏡に映る自分。普段のタイトな制服とは違う、柔らかなアイボリーのワンピースに、淡いブルーのカーディガン。 彼女は震える手でリップを塗り直し、逃げ出したいほどの緊張を胸に抱えて家を出た。
駅前の待ち合わせ場所。 十時五分前。湊が先に着いて待っていると、人混みの向こうから、周囲の視線を一気に集める少女が歩いてきた。
「……あ」
湊は息を呑んだ。 そこにいたのは、学校での「氷の女王」でも、図書室での「不器用な少女」でもない。 春の陽光をそのまま形にしたような、眩しいくらいに可憐な冬華だった。
「……おはよう、湊くん。待たせちゃったかしら」
彼女はおずおずと、自分の裾をいじりながら湊の前に立った。 頬はほんのりと赤く、視線は湊の喉元あたりを彷徨っている。
「……ううん、今来たところ。……その、すごく似合ってる。びっくりした、可愛すぎて」
「なっ……!」
冬華は弾かれたように顔を上げ、すぐにまた俯いた。
「……嘘。湊くん、お世辞はいいわ。私……変じゃない? 頑張りすぎだって、思われてない?」
「本当だよ。冬華ちゃんのその色、僕が一番好きな色なんだ。……今日、会えて嬉しい」
湊が素直な気持ちを伝えると、冬華は小さく「……よかった」と呟き、ようやく少しだけ笑った。
映画館への道中。二人の間には、ちょうど拳一つ分の、ぎこちない距離があった。 歩くたびに手が触れそうになり、その度に二人はビクッとして、不自然に距離を離す。
「あの、今日の映画……ホラーじゃなくて良かったわ」
「あはは、メモに書いてあったもんね。キャラメルポップコーン、もう買ったよ」
「……覚えててくれたのね。ありがとう」
上映中。暗闇の中で、二人は同じバケツのポップコーンに手を伸ばす。 指先が、偶然触れた。
「あ……」 「ご、ごめん……」
暗闇の中で、お互いの顔は見えない。けれど、伝わってくる指先の熱だけで、映画の内容が半分も頭に入ってこない。 冬華は、意を決したように、触れた指先を引かずにそのままにしてみた。 湊もまた、そっと自分の小指を、彼女の指に重ねる。
ポップコーンの箱の上で、小さな、けれど確かな勇気が重なり合っていた。
映画が終わった後、二人は予約していた静かなテラスカフェへと向かった。 少しだけ縮まった距離。 冬華は、運ばれてきた紅茶を一口飲むと、ふぅと息を吐いて、ようやく湊の目をじっと見つめた。
「……ねえ、湊くん。私ね、今日のために……すごく勉強したの」
「え、何を?」
「……湊くんが好きそうな、服。それから、話し方。……でも、やっぱり上手くいかないわね。緊張して、足は震えるし、何を話せばいいかわからなくなっちゃう」
彼女は自嘲気味に笑った。その姿があまりにも愛おしくて、湊は思わず身を乗り出した。
「冬華ちゃん。……無理に何かしようとしなくていいんだよ。僕は、僕を助けてくれた時の、あの強くて優しい冬華ちゃんのことも、今こうして照れてる冬華ちゃんのことも、全部……素敵だと思ってるから」
「……湊、くん」
冬華の瞳に、じわりと涙が浮かぶ。 彼女はテーブルの上にある湊の手を、今度は自分から、そっと包み込んだ。
「……私、もう一度だけ、勇気を出してもいい? ……次からは、勉強した『私』じゃなくて、そのままの『私』で、隣にいてもいいかしら」
「もちろん。……僕も、そうしたい」
カフェの窓から差し込む光が、重なり合う二人の手を優しく照らしていた。 一方その頃、近くの別のカフェでは、香織が新しい彼氏と「写真が下手すぎる!」と大喧嘩をして、店を追い出されていることなど、今の二人にはどうでもいいことだった。




