第29話:藍染めの情熱と、夏祭りの魔法
おばあちゃんの破壊力で、女王らしさを少しずつ失い等身大の高校生らしくなっていく。。。
おばあちゃんの家での賑やかな昼下がりが過ぎ、西の空が茜色から深い群青へと溶け始める頃。村の鎮守の森にある神社からは、トコトコと小気味よい太鼓の音が響き始めていた。
「さあさあ、着付けができたぞ! 湊、ひっくり返るんじゃないよ!」
ウメの威勢の良い声に呼ばれ、湊が居間を振り返った瞬間、そこには——言葉を失うほどの「奇跡」が立っていた。
「……あ、あの。湊くん……」
冬華がそこにいた。しかし、その佇まいは、湊がこれまでに見てきたどの姿とも違っていた。 纏っているのは、ウメがかつて大切に着ていたという、伝統的な藍染めの浴衣。深い紺色に、白抜きの撫子が繊細に描かれたその浴衣は、派手さこそないものの、本物だけが持つ気品を漂わせている。
いつもなら、どんなに露出の高いドレスでも、どんなに前衛的な衣装でも、カメラを向けられれば無敵の「女王」として完璧に振る舞う彼女。だが、今の冬華は——。
「……その、あんまり、じろじろ見ないで。……おばあ様に、無理やりこの色にされて……変じゃないかしら」
冬華は、浴衣の合わせを気にするように胸元を何度も手で押さえ、視線を泳がせている。 うなじで緩くまとめられた黒髪から、細く白い首筋が伸びているが、その首筋までもが微かに上気し、淡い桜色を帯びていた。
「……すごく、似合ってる。綺麗だ、冬華ちゃん」
「…………っ。……お世辞は、いいわよ」
湊の真っ直ぐな言葉に、冬華は弾かれたように視線を背けた。 普段の彼女なら、「当然よ。もっと見なさい」とでも言い放つだろう。しかし、今の彼女はおばあちゃんに「天女様だねぇ」「いい嫁になるよ」と散々冷やかされ、背中をバンバン叩かれ、都会で塗り固めてきた「女王様の鎧」を完全に剥ぎ取られていた。
彼女は、ウメから借りた小さな巾着を両手でぎゅっと握りしめ、まるで初めてのデートを控えた中学生のように、小刻みに震えている。
「……本当よ。本当、……おばあ様に、鏡を何度も見せられて……自分じゃないみたいで、なんだか、落ち着かないの。……あなたの目には、いつもの『氷室冬華』じゃない、変な女の子に映っているんじゃないかって……」
彼女は、下駄の鼻緒をいじるように足元を見つめたまま、消え入りそうな声で白状した。 その無防備で、少しだけ奥手な仕草。 女王として君臨することに慣れていた彼女が、一人の「女の子」として湊の前に立つことに、これほどの気恥ずかしさを感じている。
「変なわけないよ。……僕は、今の冬華ちゃんが一番……その……可愛いと思う」
「……可愛い、だなんて。……そんな言葉、……卑怯だわ。……不意打ちすぎるもの」
冬華は顔を真っ赤にし、顔を伏せた。 長い睫毛が細かく震え、その隙間から見える琥珀色の瞳は、期待と羞恥が入り混じった熱を帯びている。 彼女は意を決したように顔を上げると、湊の浴衣の袖を、指先で震えながら、けれど決して離さないようにギュッと掴んだ。
「……なら、いいわよ。……あなたの目が、私を『可愛い』と言うのなら。……でも、絶対に、私の隣を離れないで。……今の私、……足元がふわふわして、あなたに捕まっていないと、どこかに飛んでいってしまいそうなんだから」
都会の夜景でも、スタジオの照明でもない。 古民家の行灯のような淡い光の中で、ただ一人、気恥ずかしさに震える「等身大の少女」がそこにいた。 湊は、その小さな指先に重なるように、彼女の手を包み込んだ。 二人の間に流れる時間は、夏の夜の風よりもずっと熱く、甘く、溶け合っていく。
神社へと続く石段を登り切ると、そこには別世界のような熱気が渦巻いていた。 夜の帳を下ろした境内に、等間隔に並んだ提灯が揺らめき、オレンジ色の光が人々の波を照らし出している。
「……湊くん、すごい音。心臓まで響いてくるわ」
冬華が耳を澄ませる先では、櫓の上で屈強な男たちが大太鼓を打ち鳴らしていた。 ドォン、ドォォンと空気を震わせる重低音。 都会のクラブミュージックとは違う、命の根源を揺さぶるような響きに、冬華の瞳が好奇心でキラキラと輝き始める。
「ほら、冬華ちゃん。これ」
湊が屋台で買ってきたのは、顔の大きさほどもある真っ白な綿菓子。 冬華はそれを両手で受け取り、信じられないものを見るような目で見つめた。
「……これ、全部砂糖なのよね? モデルとしては万死に値する食べ物だわ……。でも……」
そう言いながら、彼女は指先で雲のような塊をちぎり、おずおずと口に運ぶ。 「……っ、ふふ。一瞬で消えちゃった。湊くん、これ、魔法みたいね」
口いっぱいに広がる素朴な甘さに、彼女はいつものクールな表情を完全に崩し、ふにゃりと頬を緩めた。その口元にわずかに残った綿菓子の繊維が、今の彼女が「女王」ではなく「普通の女子高生」であることを物語っている。
次に二人が足を止めたのは、金魚掬いの屋台だった。 「……湊くん、私、これに挑戦してみたいわ。あのおばあ様に鍛えられた私なら、できるはずよ」
謎の自信を胸に、冬華はポイを手に取った。 しゃがみ込んだ拍子に、浴衣の裾から白い足首が覗く。彼女は驚くほど真剣な眼差しで水面を睨みつけ、狙いを定めた。
「……そこっ!」
ピチャッ、という音と共に、金魚は無情にもポイを突き破って逃げていく。 「……嘘でしょう? 私が……負けるなんて」
「あはは、冬華ちゃん、力が入りすぎだよ」
結局、三回挑戦して全敗した冬華は、悔しそうに頬を膨らませた。 「……リベンジよ。来年も、再来年も……私がこの金魚を捕まえるまで、あなたは付き合いなさい。いいわね?」
奥手な彼女が見せた、精一杯の「未来への約束」。 湊はその言葉が嬉しくて、店主からおまけで貰った小さな一匹が入った袋を彼女に手渡した。
祭りが最高潮を迎え、二人は人混みを避けて、神社の裏手にある高台の古びたベンチへと辿り着いた。 眼下には村の灯りが揺れ、静かな夜の空気が二人を包み込む。
「……おばあ様がね、着付けの時に教えてくれたの」
冬華が、繋いだままの手を見つめながら、静かに口を開いた。 「……想い人と一緒に花火を見る時、最後に上がる一番大きな花火が消える前に、相手の耳元で秘密の願い事を囁くと……その二人は、一生、魂が離れないって」
その時、遠くの空で「ドォォォン!!」と、腹に響くような重低音が鳴り響いた。 夜空をキャンバスに、大輪の花火が次々と咲き乱れる。 赤、青、金。色とりどりの光が、冬華の白い横顔を幻想的に染めていく。
冬華は花火の爆音に紛れるようにして、湊にじりじりと顔を寄せた。 最大の大玉が夜空を埋め尽くすように弾け、ゆっくりと光の枝を垂らしていく——。
「……湊くん」
彼女の熱い吐息が、湊の耳元に触れた。 奥手な彼女が、今、人生で一番の勇気を振り絞る。
「……私の、残りの人生……全部、あなたにあげる。……だから、責任取ってね」
囁き終わると同時に、冬華は湊の首に腕を回し、花火の残像が目に焼き付いている暗闇の中で、静かに唇を重ねた。
太鼓の音、屋台の喧騒、そして火薬の匂い。 すべてが遠ざかり、ただ二人の心音だけが重なる。 藍染めの浴衣に身を包み、等身大の少女として恋をした冬華。 その瞳には、夜空の花火よりも鮮やかな、湊への独占欲と愛しさが宿っていた。
ばあちゃん最強かよっ!




