サジタリウス未来商会と「願いを紡ぐ糸」
駅前の広場では、毎年恒例のフリーマーケットが開かれていた。
雑踏の中で賑やかな声が飛び交い、行き交う人々の笑顔が溢れている。
その一角で、榊原修一は腕組みをして立ち尽くしていた。
40代前半、勤めている会社は順調だが、最近は漠然とした不満に苛まれていた。
「自分が本当にやりたいことは何なのか」と考えながらも、明確な答えは見つからない。
「俺の人生、このままでいいのか……?」
フリーマーケットを眺めているうちに、ふと視界の端に奇妙なテントが映った。
他の店が華やかな装飾で目を引く中、そのテントは質素で、ただの白布がかけられているだけだった。
入口には看板が掲げられ、手書きでこう書かれている。
「サジタリウス未来商会」
「未来商会?」
興味を引かれた修一は、人混みを抜けてテントの中へ足を踏み入れた。
テントの中は驚くほど静かで、外の喧騒が嘘のようだった。
そこには一人の初老の男が座っており、静かな微笑みを浮かべて修一を見つめていた。
「ようこそ、榊原修一さん。どうぞお掛けください」
「俺の名前を知っているのか?」
「もちろんです。そして、あなたが抱えている悩みも分かっていますよ」
修一は戸惑いながらも席に座った。
「俺の悩みって何だ?」
サジタリウスは懐から小さな箱を取り出した。
その中には、様々な色に輝く細い糸が巻かれていた。
「これは『願いを紡ぐ糸』です」
「願いを紡ぐ糸?」
「ええ。この糸を使えば、あなたの願いが一つだけ形になります。何を望むかを糸に紡ぎ、それを現実に織り上げるのです」
修一は半信半疑だった。
「願いが形になるなんて、そんなことができるのか?」
「できます。ただし注意が必要です。何を望むかは慎重に選んでください。叶えた願いがあなたにどんな結果をもたらすか、完全に予測することはできません」
修一は考え込んだ。
「一つだけ……それならやってみる価値があるかもしれない」
自宅に戻った修一は、机の上に糸を置いてじっと見つめた。
「何を願おうか……」
まず頭に浮かんだのは、仕事の成功だった。
だが、次に思った。
「成功を願っても、その後どうなるか分からない。それに、ただ金や地位を得るだけじゃ満たされないかもしれない……」
次に浮かんだのは「家族との絆」だった。
修一には妻と小学生の息子がいるが、最近は仕事が忙しく、家族との時間が減っていた。
それを取り戻せる願いを叶えるべきかと考えた。
悩み続けた末、修一は一つの願いを紡ぐことに決めた。
糸を指先に巻きながら、心の中で強く思い描く。
「もう一度、何かを心から熱中して追いかけたい。そのための道を見つけさせてくれ……」
糸が淡く光り、次の瞬間、修一の手から滑り落ちた。
部屋には静寂が戻り、何も変化がないように見えた。
「これで本当に願いが叶うのか?」
数日後、修一は仕事の帰り道で古びた本屋を見つけた。
店内に足を踏み入れると、一冊の分厚い本が目に留まった。
タイトルは「クラフトの世界」。
「クラフトか……」
何気なくページをめくると、そこには手作り家具や雑貨の美しい写真が並んでいた。
「面白そうだな」
修一はその本を購入し、自宅で読みふけった。
それからというもの、修一は休日ごとにクラフトに没頭するようになった。
最初はぎこちなかったが、次第にコツを掴み、自分なりの作品を作れるようになった。
家族もその活動を応援し、息子と一緒に小さな木製の置物を作ることも増えた。
「こんな風に熱中できるものがあったなんて……」
仕事では相変わらず忙しい日々だったが、クラフトを通じて得られる満足感が、修一の生活に新たな彩りを加えていた。
ある日、彼はフリーマーケットで自分の作った作品を並べて売ることを思い立った。
「たくさん売れるといいな」
予想以上に多くの人が足を止め、彼の作品を手に取っていった。
最後の客が去った後、彼はふと呟いた。
「何かを作り上げる楽しさ、これが俺の願いだったんだな……」
サジタリウスはフリーマーケットの一角で、次の客を迎える準備をしながら、どこか満足げに微笑んでいた。
【完】