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異域ノ鬼

作者: 愚天 拓

TRPGのHO「スランプ中のホラー作家」として執筆したホラー作品。

 ずっと、荒野が続いていた。そこは夜だというのに薄ぼんやりと地平線が見え、まるで違う星にいるかのように体が重たかった。

 ずっとそこを歩いていた。手傷を負った獣のように、息も絶え絶え、しかし体は突き動かされた。

「誰かいませんか」

 遮蔽物のない世界では、音は遠くに響く。

「返事をしてください」

 喉を絞り、眉間に響かせるように。弦をしならせ、地平線の向こうまで。

 しかし世界は沈黙を固く守る。歩いても歩いても、叫んでも叫んでも、景色は動かない。

 方向も分からない。まるで油絵の中に入ったみたいだ。そう思うと、全てが無駄なことのように思えて足から崩れそうになる。

「誰か......返事をしてくれませんか?......誰か」

 縋るように声を絞る。誰を求めているのかもわからない。親兄弟、親友恋人、子孫、利害関係者、何一つとして思い出すことはできなかった。思い出せなくとも人を求めるのは、人に優しくされた経験があったからだろうか。そもそも、人とはなんだろう。優しさとはなんだったのだろう。

 ここにいると頭がおかしくなりそうだった。僕が、私が、誰で、何者で、どこにいるのか。

 顔のない景色に言葉を投げてそれが素通りしてゆくたび、自分の輪郭が柔らかく壊れてゆく。どうして自分が声を出せるのか、そんな前提すらも否定されているような気がして。

 ずっと前から、全て何もなかったような気がして。怖かった。

 ずっと前から、進んでいるのか、歩いているのかすらも分からなかった。

 ただ、誰かに答えて欲しかった。


<>


 鳥が囀る音に頭を揺らすと、カーテンを開く高い音と共に光が瞼越しに切り込んでくる。

 かつかつと地面を叩く何人もの足音と、カラカラと走る台車、専門用語の飛び交う廊下で交差する影の群れ。

 目を開けて、朝の音に体を馴染ませ、節々を伸ばしながら呼吸を整える。

 こわい夢を見た......。

 夢でよかったと胸を撫で下ろしているが、いまだに脳裏にはあの恐怖が染み付いていたから、僕は振り払おうと周囲を見回した。

 そこはどこかの病院の大部屋で、僕は先日から入院したばかりだった。部屋にはベッドが四つあるようで、他はカーテンで仕切られていて見えない。心電図の音などが聞こえるあたり、僕よりよほど重症なのだろう。

 何かやるべきことがあるわけでもなかったから、手持ち無沙汰になった僕は天井の穴を数えて二度寝をしようとした。まさかまた悪夢を見るわけがないだろうと、重みを増してゆく瞼に身を任せようとしたときだった。

「ねえ、お兄さん」

 隣でカーテンを引いた音と共に、その声は明らかに僕に向けられていた。

 そこには小学校高学年ほどの少年が、くりくりとした目を向けてベッドに腰掛けている。

「お兄さん」

 呆気に取られていても何か解決するわけではないので、とりあえず返事をする。

「ど、どうしたの」

 自慢じゃないがコミュニケーションは苦手な方だ。ましてや、多感な小さな子供の相手など、何を言って良くて何がダメかなんて考える余裕もない。

「昨日運ばれて来た人ですよね」

「あっ、はい......」

「僕、トモヤって言います。よろしくおねがいします」

「あ、はい」

 挨拶ができて満足したのか、トモヤは点滴を持って病室を出ていった。

 どう返事をすればよかったのかと僕が悶々としている間に、ようを足してきただけなのか彼は病室に戻り自分のベッドへ入ってゆく。

 カーテン越しに何か話すべきなのかと、何もない状況に戸惑っていると、「お兄さん」とまた彼のほうから話しかけてきた。

「大丈夫ですか? うなされていましたけど」

「あ、ああ」

 心配させてしまっていたのだ。こんな子供に気をつかわれるというのも申し訳ないけれど、大したことでもないのでここは正直に悪夢について話すことにした。

「こわい夢を見たんだ」

「どんな夢ですか?」

 声音は興味津々という雰囲気だった。

「だれもいない場所をずっと歩いている夢だった」

「どんな場所だったんですか」

「ものがなにもない......全方向地平線まで綺麗に見える荒野だったなあ。星一つ見えなくて。太陽もないのに薄明るい......」

「まるで違う星みたい」

「それ、僕も思った! そうか夢の僕は宇宙人に攫われていたのかもしれないな......」

「笑えるなら元気そうですね」

 トモヤは僕にあわせてケラケラと笑う。なんだかうまくいっていないけれどうまくいっているような気がしてきた僕は、外の景色を見ながら無理にでも話題を作ろうとした。

「大きな木だね」

「はい?」

「いや、今僕がきて見えなくなっちゃっただろうけど、窓の外に、木が」

「ああ、そうですね」

 窓枠から見える大木は、もしかしたら枯れているのか、葉一枚すら見つからなかった。

「こういう場所だとあれだね。かえって一枚も葉っぱがないから、それを数えて不安になる心配もないわけだね」

「......?」

「ええと、あれ。タイトルが思い出せない。この葉っぱがなくなると私は死んでしまう......みたいな」

「残金五千円しかない......」

「そうだ、最後の一葉! それそれ。そういうことにもならなくて良いよね」

「一昨日まではあったんですけど......」

 沈黙。そして僕は昨日ここに入ってきたのだ。

「あ、あはは......そうかー......じゃあ実はここは死後の世界だったりして」

 無理に作った会話は行き先も決まっておらず、僕は既に早く誰か止めてくれと命乞いをしていた。会話は苦手だ。話すこともないし、話しかけられることも分からない。

 ただ、彼は。

「面白いことを言うんですね。お兄さん」

 何か満足したように笑って、その先は黙り込んでしまった。

 入院生活は刺激がないので、こんなことでも面白いと思うのかもしれない。


<>


 また、夢を見ていた。

 夢は見ている間は現実のようだが、目を覚ましてからは虚像でしかなくなる。そこにははっきりとした主従関係が存在し、夢はあくまで記憶と印象のつぎはぎでしかないのだという。しかし、時に印象をむき出しに感じるそれは、現実よりも生々しく心に訴えかける。それは思い出すたびに鈍くてらてらと光り、思い出よりも鮮やかに心臓を擦りむいてゆく。

 思い出は紙芝居のようだが、トラウマは動画のようだ。

 恐怖に支配された体は、暗い映画館に閉じ込められ、スクリーンに目一杯の恐怖を繰り返し焼き付け直されることになる。ルドヴィコ療法さながらに釘付け磔にされながら。

 そこは枯れ木の森だった。盛り上がった土が視界を遮るほどに凸凹と道や壁を形成しており、遠くがどうなっているのか分からない。

 何か君の悪い、ガスが抜けるような壊れた管楽器のような音が聞こえる。

 血管のように根が走る道を、転ばないように僕は歩いていた。

 どうしてここにいるのかは知らない。夢はあたかもその瞬間から始まったことを隠すかのように、記憶を辿る余裕を与えずに次々と何者かを遣わしてくる。そこには過去も未来もなく、霧の中で時間だけが経過してゆくのだ。

「誰かいませんか」

 僕の声に、森が揺れた気がした。

「誰かいるのかぁ?」

 その声は遠くから聞こえたようにも、腹の中から聞こえたようにも感じた。

 僕は、やっと見つけた自分以外の存在に喜び、すぐに返事をしようとする。

「」

 突然、僕の口が何者かに塞がれる。驚いて振り向くと、そこにはトモヤがいて目に恐怖を宿しながら首を振った。唇の前に人差し指を縦に添えて、僕の口を塞ぐ手に力を入れる。

「あの声に応えちゃダメだ」

「おーーい。返事をしてくれぇ!」

 方角はわからないが、あの声は僕を探している。移動しているとは考えられないバラバラの方向から、何度も僕を呼ぶ声が聞こえる。

「あの怪物の声に応えたら殺されてしまうんです。大声を出さないで」

 目を伝って怯えは僕に届き、僕が頷くとトモヤは僕の口から手を離した。

 二人で静かに物陰に沿って移動すると、あるときトモヤがまた足を止める。その向こうで、あの声がまた聞こえた。

「返事をしてくれなきゃ見つけられないだろぉ?」

 怪物。その言葉を理解する。象のような灰色の固い皮膚に皺を寄せて、芋虫のような体に、珊瑚のような腕を伸ばした生き物が、気味のの悪い音を立てながら蠢いていた。

 壊れたラッパのような音を少しずつ、うめき声のように調整しながら、人の声の高さになった瞬間にだけ、口を開いて。

「どこだぁ」

 僕を呼んだ。

 怪物の顔は大きな黄色い目が二つ。ほとんどその大きな目で顔の大部分が満たされており、その下に歯並びの悪い小さな口がもごもごと動いていた。

 僕は動けなくなった。逃げようにも体が動き方を忘れたように固まっている。

 怪物は珊瑚のような腕を振るわせると、何かに気付いたようにピクリと体を痙攣させる。嫌な予感がした。

 怪物は嬉しそうに顔を歪ませながら僕の方へと振り向いた。

 ただ、ここから逃げ出したかった。


<>


 明け方は何か騒がしかった。僕の足元で人が往復して何かをしているのがわかった。

 段々と意識がはっきりするにつれて、僕はあれが夢でよかったと。心から安堵した。

「おはよう。トモヤくん。起きてる?」

 人の無意識は、自分で気づいていないことも拾い集め、それを不安に変えたり夢に登場させることができる。精神病になりかけているものが病識なしに精神科に相談することや、虫の知らせなどがそれである。これほど悪夢を見ると言うことは、僕の無意識に何か悪いものが巣食っていることは確からしい。

 早速僕は夢の話を共有してみようと思った。人に与太話として話してしまえば、恐怖が治まることを昨日で学んでいた。それに、トモヤ君なら笑って聞いてくれるだろうという確信もある。

「おはようございます。また、うなされていましたね」

 僕はまた悪夢の話をした。不気味な怪物。返事をしたら殺される。それをトモヤ君は面白そうに聞いてくれた。

「毎日面白い夢をみるんですね」

「トモヤくんは夢は見るの?」

「僕は夢は見ないなぁ」

「そっか」

 やはり病院は刺激がないから夢も見ないのだろうか。僕はといえば夢の方が刺激的なわけだが。

「そういえば聞きました? あのベッドにいた人、今朝死んじゃったんですって」

 明け方の騒ぎはそれだったのか。病院なのだから人が死ぬこと暗い日常茶飯なのだろうとは思いつつも、少しだけ寂しい気分になった。恐らく昨夜眠る時に、自分が死ぬなどとは思わなかったはずだ。

「次はどんな人が来るんでしょうね」

 ふと、トモヤ君の言葉に鳥肌が立った。僕もトモヤ君からすれば次の人だったわけで、そして明日死ぬことを知らずに眠るのだ。

 嫌な予感が絶えない。トモヤ君はなぜあのベッドの人が死んだと知っていたのだろうか?

 僕は、一刻も早く退院して、この少年から離れたいと思った。


<>


 夢だ。目を覚ますまでもなく、僕はそれを自覚した。

 夢日記のように内容を話していたからか、この景色を知っていることをすぐさま肌で感じ、そして夢であると理解する。違っていたところは、巨木の根が血管に置き換わり、赤く脈打っていること。そして辺りにこびりついた血の跡だった。

「どうして逃げるんですか」

 トモヤの声だ。

 僕は辺りに撒き散らされた血が、僕のものであると理解する。僕の腹は切り裂かれ、右足に滴った血が足元を濡らしている。

 これをトモヤがやったことはわかっていた。目を覚まして逃げたかったが、体の感覚がよくわからなかった。

 血の跡で気づかれると思い、その場を動こうとしたが、体の感覚が狂っていたのですぐに足がもつれて、鉛のように転んでしまう。

「見つけましたよ」

 顔を上げると、そこには血に汚れたトモヤの顔がある。

「どうしてこんなことを」

「退屈だからですよ」

 これは僕の作り出したイメージなのだろうか。それならこのまま殺されてしまっても夢は続き、そしてまた明日目を覚ますことができるだろう。夢が現実に影響を与えるのだとしたら、それは僕の意思決定に対してのみであって、僕が夢で死ぬことは現実の死にならない。だが、逆ならどうだろう。現実の死を感じ取って夢の中にそれを見ているのだとしたら、僕はこのまま無抵抗に殺され、夢は終わり、目を瞑ったまま。

「また面白い夢を見ているみたいですね。寝言で僕に返事をするなんて」

 ほら。わからなくなった。

 これが夢が予感に反応して現れたものなのか、現実の音を拾っているのかなんてわかりやしない。

 僕は早く目を覚さなければならないのだ。それだけははっきりとしているのに、目を覚ますことができない。

「やめてくれぇ」

 それは僕の声と同じ音だった。

「わかってるんなら逃げたらどうですか?」

 彼はそれに返事をした。僕は怪物に返事をしたら殺されるという話を思い出した。

「えっ......げぇ」

 骨の折れるような音と共に、あたりが静かになる。

 そして僕は安全を確認して意識を手放た。

 何も起こらないことを、全てが嘘であることを望みながら。


<>


 その日、僕はトモヤが死んだことを、看護師に伝えられた。


<>


 怪物は僕を捕まえてあの少年の声で語りかける。

「主よ、応えてください」

 珊瑚のような腕が僕の手足を掴んでいる。

「ここはあなたの世界です。主が望めばなんでも叶います」

 合間合間に気色の悪い音を立てながら、僕の返事を待っている。僕に返事をさせるために、都合のいい話をしているのだ。

「さあ、返事をしろ。現実に帰りたいだろう」

 返事をしなければどうにかなるのだと思った。この怪物は返事をしないものは殺せないのだ。


 看護師に起こされた。

「ご家族の方が面会にいらっしゃいましたよ」

 僕は病室で眠っており、そのあと何事もなく夜が明けたようだった。

 面会にきた僕の家族は誰だろうか? そもそも僕に家族はいたのだろうか。

 人間として生を持って生まれたからには、両親がいたのは確かだろう。だが、具体的な記憶は思い出せない。

 それどころか、僕が何故入院しているのかもわからなかった。

 記憶喪失だろうか。僕は個室の中央で頭を悩ませる。

 だが、扉の向こうから聞こえた声を聞き、息を止めた。

「兄さん。大丈夫?」

 トモヤだ。まだ夢は覚めていないのだ。

「兄さん?」

 僕はぎゅっと目を閉じた。二度と開かなくなるほどに固く閉じて、耳を塞いだ。

「返事をしてよ。兄さん」

 深く息を止めて。時間だけを進める。

 返事さえしなければ、どうにかなるのだ。そうやって、自らの殻の中に深く深く潜っていった。


<>


 あるとき僕は目を覚ました。

 そこは今まで見た通りのいつもの病室で、そこには僕以外誰もいなかった。

 病室から出ても誰もいなかった。そこには僕以外誰もいなかった。

 廊下は無限に続いていて、病室はどれも同じだったから、最初にいた場所がもうわからなくなった。

「誰かいませんか」

 僕はどこかで聞いた音を出してみるが、何も変わりはしなかった。

 それを確かめて満足した僕は、どこかの病室に入り、また意識を浅い眠りに手放した。

2024/5/26

スランプ(ガチ)なので書いていて悔しさしか感じなかったが、

GMやPLの方達に読んでいただけロールプレイにも活用され、書いた甲斐はあったと感じる。

みなさまありがとうございます。


ホラーって難しいね。人の心を動かすのは、やっぱり。

新しいUIのテストも兼ねて、供養。

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