Ðel Fómwi 火と風の物語4
バルバスとラルラーを乗せた橇は、ひとまず神殿まで五レドーズ(約5.5km)ほどにある畑にたどり着いた。そこでは落ち着かなげな風馬とラシエンの姿があった。ディーリニはブワッと鼻から煙を吐いたが、風馬を威嚇するようなそぶりは見せなかった。
ラシエンは硬い表情で一行を見ていた。
「それで……火を駆る者の長は……」 « Lor…… Arginya sea Gérdárker artz…… »
「彼を知ったが、彼は秘密を守るだろう」 « Sorkhoch'f voi, ó el'golvoch'f Firérna vík. »
バルバスの答えに、神官長は納得はしなかったようだが、ラルラーの前で議論するのはやめたらしい。
ラルラーは橇から降りてすぐバランスを崩した。お尻がじわじわする。
ラシエンが歩み寄り、彼のそばに膝をついた。
「大丈夫か?」 « Artz urot gariir? »
「うん」 « Lá. »
ラルラーは二人の目の高さが同じということに気づき、数日前に覚えたキスをラシエンの頬にやってみた。
ラシエンは目を瞠り、ぴくりとしてラルラーから離れた
ラルラーは首を傾げた。
「嫌だった?」 « Artz parot nartze kía? »
「……」 « …… »
ラシエンは首を振り、立ち上がってラルラーと手を繋いだ。
バルバスは愛馬との別れを惜しんでおり、一連の出来事に気づいていなかった。
結局、バルバスはコマーズから外套を借りたままだったのもありディーリニに一乗りしてから戻ることにしたため、ラルラーはラシエンと風馬に相乗りして戻ることになった。
ラシエンはかなりゆっくりと馬を走らせながら、前にいるラルラーに尋ねた。
「火を駆る者はどんな人物だった?」 « Höl urof Arginya sea Gérdárker? »
「元気。歌が上手」 « Urof etaliir. Ó Réya gariir. »
「そうか……」 « Ná…… »
「バルバス、火を吹いたよ」 « Bárbath dj'fulof Gerói. »
「……そんなことができたのか」 « Sorkhoch' nartze girnof gartz. »
「あのね、火種っていうのを口に入れて、やってた。からいんだって」 « Ná, dj'síonof fligoldán divarof Ligérh, ó dj'irnof. Urof goreer, dj'bašof. »
「そうか」 « Hmm. »
「オロシュが美味しかった」 « Ofhoš dj'afúlof kumeriir. »
「オロシュ?」 « Orhoš? »
「麦と花びらと砂糖でできてて、ねとねとしてた……」 « Ki, dj'olkóf sea Lenia, Innér, Rönia, ó urof ng'kiir…… »
特に脈絡なく話すラルラーに、ラシエンは淡々と相槌を打っていた。
「ラシエンは、元いたところに友だちはいるの?」 « Artz kadrof Tfároi, hérkár dj'uroch't?
「かつては……今はいない」 « Dj'kadroch'…… nartze udjer. »
「みんな?」« Nosk'eri urof nartze? »
「ああ」 « Lá »
「みんな?死んだの?」 « Nosk'eri? Dj'arðoch'f? »
「死んだ者もいる……」 « Flig sea vie, lá…… »
なんとなく聞いても教えてくれなさそうな雰囲気を感じたラルラーはそれ以上の問いかけをやめた。それから、友だちがいないラシエンはともかくバルバスはどうして仲間のもとを離れたのだろう、と思った。
神殿の近くまで来ると、例の非常に巨大なごつごつした生物が眠っていた。風馬が嫌そうなそぶりをしたので、ラシエンとラルラーは馬を降りて歩いて神殿に向かおうとした。
その時。
「おお!!それが風馬か!!」 « Ó Latú!! Kí yezartz'rof Loluk!! »
馴染みのない声にラルラーがびっくりしていると、なんだか奇妙な人が現れた。いや、きちんとあつらえられた旅人の服装をした壮年の見た目はさして奇妙ではなかったが、何やら形容しがたいオーラを放っている。
ラシエンが少し顔を顰めた。
「静かに……この生き物はとても神経質だ」 « Urte Dilim…… Ki urof lor kain djaniir. »
「おお、すまん」 « A'y, el'ronanó. »
ラルラーはこの人物が、彼が神殿を出るきっかけになった者であることに気付いた。
「帰ったわけじゃなかったんだね」 « Lor, dj'aiganoch'f nartze. »
「ああ……」 « Lá…… »
ラシエンは本当は神殿に向かう途中でこの話をするつもりだったのではないか、とラルラーは思った。だが、なぜか言いそびれたのだ。
その人はラルラーに手を差し出した。
「君が例の子どもだな!私はレイレ・セア=ネーメル・セン=ケールメジシャ(水の生まれ、狐の丘の)、生物学者だ」 « Té yezartz urót kér Koll! Uró Léire sea-Némér sen-Kérmezísia, Nátzaleya Šaborimea. »
「毒ニンジン?」 « Léire? »
レイレはラルラーと握手しながら、既に風馬の方に目を向けていた。
「そう──ラシエン、さっそくこの生き物に乗ってみてもいいかね?」 «Lá — ló, garz el'arkó Lúkia, Rašien? »
「ああ、だが──」 «La, ev— »
学者は非常に興奮しているのか、何とも言い難い奇声を発しながら ( *Urhaaaaaa!!! ) 風馬の前に躍り出た。
すると、当然というべきか、それが気に障った馬は高々と前脚を上げて彼を蹴りつけ、走り去った。
レイレは五クリシュ(約5.4m)ほど吹っ飛び、明らかに何らかの骨が折れる音がした。
ラルラーは目を丸くし、ラシエンを見上げたが、彼はやや迷惑そうな顔をしてレイレを眺めているだけだった。
「いてて……」 « Ó g'óš…… »
レイレは呻きながら上半身を起こし、身震いした……それで折れたり外れたりした骨はあらかた正しい位置に戻ったようだ。服は少し赤く染まっていたが、もう血は止まっているらしい。つまり、彼はかなり強い治癒の祝福を持っているようだ。
ラシエンが言った。
「だから馬を怖がらせるなと……」 « Dj'bašóch' NARTZE el'mol'rót Lúkoi……»
「すまんすまん、つい興奮してしまって。しかしこれでもう嫌われてしまったな?残念だ」 « El'ronanó, uróf Sèfer rúma. Ev'i yezartz yeveróch'f eói, ná? Háš módriir. »
レイレは土埃を払い、血痕を見て「やれやれ ( Ná-'a…… ) 」と呟いた。
後から聞いたところによると、彼は学問都市アリトゥリの研究者で、学者としては一流……のはずだった。
「学者ってみんなあんなふうなの?」 « Artz urof Natzaleya nosk rház …… kér? »
ラルラーが尋ねると、ラシエンは答えた。
「……そんなはずはないと思うが」 « ……Urof n'ezartze. »
神殿で一息ついてから、ラルラーは一番聞き上手な盲目のニスミレに火を駆る者の話をしようと思っていたが、彼は留守のようだった。たまにいなくなるので、誰も気にしていなかったが。彼は神官ではないが、なぜかここで暮らしている白い髪の人物だ。話すことができないが、舌を鳴らしたり身振りでやりとりができる。
ラルラーの《名付けの日》にはバルバスが帰ってきた。蜜の詰まった大きな蜂の巣を持っていたので結構な遠乗りをしたのではないかと思われた。
塩の荒野はたいてい雨も降らない灰色の空をしている。曇天の下、岩喰いの毛を織った敷物の上に、ラシエンが街で買ってきた香りの良いパンや砂糖漬けの果物、ソルハが用意した揚げ菓子などが慎ましく並べられ、ぎこちなく祝福を求める辞が唱えられた。
「言葉の神グロサーラよ、かの者に数多の語彙を与えたまえ……」 « Glosárha, ramontó via Glósoroi malii…… »
「癒しの神コマスよ、かの者に毀たれぬ肉体を与えたまえ……」 « Komas, ramontó via Ankoi neglinúsa…… »
「農耕の神ダナハよ、かの者に豊かな種を与えたまえ……」 «Danakha, ramontó via Lilmérna feganii…… »
「知略の神ロローサよ、かの者に出来事を見通す目を与えたまえ……」 « Lorósa, ramontó via Aronwi kér aynü meyanoi……
「狩の神ヴォヤよ、かの者に優れた手腕を与えたまえ……」 « Voyya, ramontó via Saverna it'khee…… »
「幾何の神ニヴォーよ、かの者に美しき神秘を教えたまえ……」 « Nivó, šatontó via Grunoi lionii…… »
「発明の神ダウケマよ、かの者に未知の閃きをもたらしたまえ……」 « Dáukema, véselontó via Vendim nesorkhiir…… »
「音楽の神レイダよ、かの者に途切れぬ歌を与えたまえ……」 « Réida, ramontó via Réimoi nadjimak…… »
「家屋の神セーよ、かの者に破られぬ守りを与えたまえ……」 « Thé, ramontó via Hanamói negwinúsa…… »
「諧謔の神アオイよ、かの者に喜びをもたらしたまえ……」 « Aói, veselontó via Finói…… »
本来は、それぞれの神に扮した者が儀式を顕すのだが、ラルラーを祝うのは四人の神官と客人レイレだけだったので、静かに辞が唱えられるだけだった。
レイレは漬けこまれた果実をじっと観察したり麦の品種について尋ねたりとだいぶ好き勝手にやっていた。たった一人増えただけで、灰色の神殿はいつになく騒がしくなった。
彼が連れている生き物は鎧猪というらしい。身体中を覆う鱗のようなものには太い毛が生え、巨大な爪とトゲトゲの凶器のような尾を持っているが、ラルラーが触ったり登ったりしても怒らないどころか、レイレが叫びながら飛び跳ねていてもまったく反応しなかった。まあ逃げずについてきているということは良い相棒なのだろう。
ソルハから許可が降りたため、ラルラーは生物学者と一緒に岩食いの調査に行くことになった。あまり外部の人と関わることのないラルラーが見ても、この人物は変わった人に見えた。岩喰いの抜け毛や糞を集めては拡大鏡で観察し、時折奇声を発しながら羊皮紙に猛然とペンを走らせる。彼の字はとても汚い上に乾く前に手をつくので、はたして覚書の意味をなしているのか怪しかった。スケッチにしても、ラルラーとはまったく別のものを見ているような出来栄えで、全体的に歪んでいて怖い。何を描いたのか分からずにじっと眺めていると、ラルラーがそれを気に入ったと思ったらしく何枚か譲ってくれた。なんとなくそうお目にかかれるものではないという気がしたので、岩喰いの角の欠片などを集めている箱にしまっておいた。
レイレはラルラーが集めているものにも興味を示し、いくつかの骨と貨幣との交換を申し出た。ラルラーは貨幣の価値が今ひとつ分からなかったのだが、ソルハがやってきて小言を言いつつ交渉してくれたので、いくつかの銀貨を手に入れた。
「これでなにが買えるの?」 « Háš gartz petlo oés kíe? »
ラルラーが尋ねると、ソルハは答えた。
「まあ、二週間は食うに困らないでしょうね」 « Ná, síonof gartze meya éše-Vänkio. »
ラルラーは感心して銀貨を眺めた。中央には穴が空いており、淵には三角の溝が彫られている。刻印されているのはYと……何かの魚だろうか。ソルハによると、これはイェレスティで作られた貨幣で、ツヴラエ地方を中心に流通しているものらしい。
「あなたがここを出る時に役に立つでしょう。ちゃんとしまっておきなさい」 « El'drídof hét el'rorof érha. Harimte krwi rásen. »
ソルハの忠告通り、ラルラーはそれを箱にしまった。
生物学者レイレは一年ほど神殿に滞在した。そして岩は良い燃料になるだとか、そもそもこれは岩ではなく古のゴリシャだとか、虫に火を点けると面白い燃え方をするだとか、興奮した様子で色々喋っていたが、ラシエンをはじめ神官たちは面倒そうに聞き流すだけだった。
岩喰いに踏み潰されて二週間寝こんだ後、彼はいったんアリトゥリに帰ることになった。機材の揃った殿堂でより精密な調査をするらしい。この頃では《無関心》の神官たちもうんざりし始めていたので、良い頃合いだったのだろう。
別れ際、ラルラーは拾った岩喰いのどこかの骨をあげたのだが、レイレのはしゃぎぶりは凄まじく、でかいの(というのが鎧猪の名前だった)が唸り声を上げるほどだった。
「君がいつかアリトゥリに来ることがあれば、ぜひ私を訪ねたまえ!」 « Het el'turelof hár Arituria, el'anrakof eia! »
レイレは岩喰いの骨や糞を瓶や袋に詰め、あまり機嫌の良くない鎧猪に乗って去っていった。
彼と入れ替わるように、ニスミレが神殿に戻ってきた。