Ðel Fómwi 火と風の物語3
結局バルバスは、ラルラーが灰色の神殿で生まれた子どもであり、訪問者がいなくなるまで隠れているということを話した。
コマーズはしげしげとラルラーを眺め、ひょいと抱き上げた。彼の耳から下がった大きな飾りがシャランと鳴った。
「九歳にしちゃ小さいな。ちゃんと食わしてるのか?」 « Bhi arhzúrr åinof bh'išeerr des mirho'rio. Arhz vi síonof šemkhå, hé? »
「努力はしている……」 « Yemadi…… »
コマーズは急に抱き上げられてびっくりしているラルラーの頭をくしゃりと撫でた。神官たちはめったにそんなことをしない。神官たちはとても痩せているが、この人は筋肉質でがっしりしていて、ラルラーを抱えていてもなんてことなさそうだ。
火を駆る者の長がニヤリとすると、歯が一本金色だった。
「俺たちの天幕に来れば嫌というほど食わしてやるのに。烟り牛の肉、食ったことあるか?」 « Rhont el'turhelóch'f eikå Klåubherr, el'síonof garhz lorr bheknå. Arhz síonoch'f Gålogárhik Gúzoi? »
「ない……」 « Né…… »
コマーズの話し方は荒々しく、ラルラーには少し聞き取り難しい。
バルバスが言った。
「十日後には神殿に帰りたい」 « Eío fartz el'aiganí hár Temníe ven älith-keumwi. »
「何かあるのか?」 « Arhz el'rhof Kélmerr? »
「この子の《名付けの日》だ。前日には近くまで戻ると神官長と約束している」 « Ki urof vik Šakhónkelm. Dj'évazoch' Divéserhye kér el'aiganí ar Atmoi Temnik kon Meykelmer. »
「ほう──お前、名前は?」 « Uhh — háš urróf Sákhå teik'? »
ラルラーは答えた。
「ラルラー」 « Lalulá. »
「なんだそりゃ」 « Háš urróf khi? »
「さあ……?」 « Sorkhó nartze ……? »
ラルラーはバルバスを見たが、彼も名前の意味を知らないらしかった。
コマーズは細かいことを気にしないたちらしく、肩をすくめて話を変えた。
「そうだ、炎馬に乗ってみたいか?」 « 'Åy, farhz arhkot Gerholukh? »
ラルラーは頷き、バルバスを見た。
「いい?」 « Lá'y? »
彼は微妙な表情だ。
「我々の衣服は燃やすい」 « Na, Erika Ktovla urof tav'lúša. »
「俺の外套を貸すが」 « Sébhrof garhz eik' Tåchítoi, ná? »
「君の乗り方は荒っぽいからな……」 « Ev, arkot šavoriir…… »
「若い頃の話だろう?」 « Hé, Khi urhof het urhoch' kholiirr. »
「たいして変わったようには見えなかった」 « Letanoch't teio artz dj'sásanoch't vekna. »
ラルラーは別のことを思い出した。
「ねえ……火、吹ける?」 « Ná…… gartz flót Gerdói? »
コマーズは声を上げて笑った。
「さっきのを見てたんだな?バルボト、お前がやってやれ」 « Dj'åškot yezhárhz khéroi, Há? Gírhnte hárhz teoi, Bárrbåt'! »
「火種を持っていないし、まだできるかどうか……」 « Kadró nartze Ligérhoi, inkér sorkho nartze gírno gartz ín…… »
「バルバスもできるの?」 « Gartz gírnot koi, Bárbath? »
ラルラーが尋ねると、コマーズが楽しげに答えた。
「できるとも!そうだ、俺が送って行こうと思ってたが、お前の雌馬を呼べばいいじゃないか」 « Lá lá! Ó, dj'ešfárho khér el'gilåno terhwi, ebh dibhårrte teík' Lùkhemå, he? »
ラルラーが見たことがないほどバルバスが困った様子だったので、少しだけ悪いことしたなと思った。
「彼女は応えまい」 « Jétzk el'faškhanóf eia nartze. »
「炎馬はああ見えて忠実だぞ!まあともかくやってみろ」 « Gerholukh
khådor'f Thoá, ün'eš desfarhi. Gírhnté tešån! »
コマーズはラルラーを下ろし、ベルトから下げた皮袋から黒い石のような、丸薬のようなものを一粒取り出し、バルバスに向かって投げた。
「ほら」 « É'y! »
バルバスはそれを片手で受け取り、ラルラーを見やってから天を仰いだ。
ラルラーはコマーズに尋ねた。
「それはなに?」 «Ki háš uróf? »
「分からん。俺たちの薬師だけが知ってる」 « Sorrkhó narhze. Eika Kómeyå Äliir sorrkof. »
バルバスが言った。
「二十年もやっていない……だから上手くいかないだろう」 « Dj'írnoch' nartze ki ðel esiþ-oreío …… zašt el'fáutóf nartze. »
「いいよ」« Garír. »
「大丈夫だ。ラルラー、こいつがシケた煙しか吐けなかったら俺がやってやるよ」 « Lá gárhiá. Rhont el'huloch'f äliirr Gérhoi nárånii, el'hulo Ebherhoi. »
バルバスは「それなら最初から君がやれよ……」という顔になったが、いつも表情が分かりづらいラルラーが明らかに期待の眼差しを向けていたので、一つため息をついた。
「我が核を燃やす火よ……地の下の熱のごとく、我が血をたぎらせよ……」 « Gadon, tavrhón Ošói eík…… Olóve el'hilkón Malnérói eík rhaz Gora díþ Múrthkói…… »
バルバスは丸薬を噛み、大きく息を吸い込んだ。そして何事か叫びながら──火の球を吹いた。それは上空に飛び出して散り散りになった。
「わあ」 « Ó láu…… »
ラルラーが感心して声を上げてると、コマーズは二、三度手を叩いてから言った。
「だいぶ小さかったが、まあ火には見えたな」 « Nálá, dj'urhó lorr išerr, ebh Gérh. »
バルバスはフーッと煙を吐いた。
「これではディーリニは来ないだろう」 « Dílini el'turelch'f jetzk n'ezartze. »die
ラルラーは尋ねた。
「もっと大きい火を出せるの?ディーリニってなに?」 « Gartz flót Gér üna vwi'itiir? Háš urot Dílini? »
コマーズはラルラーの頭をポンと叩いた。
「俺はもう三倍は大きいのを出せるぞ──」 « Fló garhz Gér komáz itiirr. »
「だから君がやれば良かったのに──」
« Hwiåt dj'írhnoch'te narhze…… »
「まあそう言うな!ディーリニはこいつの雌の炎馬の名前だ」 « Bašote narhze! Lå, Dílini urof Šakhå sea bhoi Gerolukemerr. »
ラルラーは少し考えてから言った。
「跳ねっ子?」 « Diling'a? »
「当たり!バルボト以外が乗ろうとすると跳ねて落馬させようとしたな」 « Šúmå! Vi dj'ikhårhof harhz húi nošk'erh' ínne'š Bárbåt dj'emådof. »
名前の割にかなりの暴れ馬だったらしい。
バルバスは顔を顰めて唾を吐いた。コマーズはニヤニヤしている。
「お前は昔から火種が苦手だったな」 « Hé, dígån dj'pårhot narhze Ligerhoi. »
「からい……」 « Urhot gorheer lorr bheknå…… »
「火を駆る者が熱さに弱くてどうする!」 « Rhaz Gérdárkio, urot ng'arhze üniirr årr Gorhói! »
ラルラーは言った。
「すごかったよ」 « Uroch'f it‘keer, Bárbath. »
コマーズは笑いながら言った。
「やって良かったじゃないか!ああ、バルボトは歌も上手いぞ!あとウズーキフも」 « Urhof gårhiir teoi! E‘y, Bárbåt' urhof Rheyå süliirr — ó Özúkikh Anthrhéleyå! »
「ウズーキフ?」 « Özúkikh? »
「馬の頭でできた弦楽器だ──なあ、やっぱり俺たちの天幕に来い、この子に火を駆る者の音楽を聴かせてやろう」 « Urhof Håthol dj'olkoch'f sea Özukér Lukik'. Ná turhelte hár eikhå Klåubherr ó' harhz bhiå el'nåkhof Leidoi Gérdárkik'! »
バルバスは何か言いかけ──ふと東の地平を見た。
松明のように明るい何かがものすごい速さでこちらに近づいている。
それを見たコマーズは声を上げた。
「なんてこった!ディーリニ!」 « Ó Gádon! Urhof Dílini! »
あとで聞いたところによると、炎馬は風馬と同じく、動物というより精霊に近いので、馬の何倍も長生きで、旋風のように早く移動することができ、言葉や力の動きに敏感だ。なので絆を深めた者が呼びかければすぐに駆けつけるのだそうだ。
やってきた雌の炎馬はまずコマーズの雄の炎馬と鼻を擦り合わせて挨拶をした。前者の方がややほっそりしており、鬣の炎も上品に整った爆ぜ方をしている。
バルバスはまだ信じられないよう表情で馬を眺めている。コマーズが自分の外套を脱いでバサっと彼にかけた。
「ほら、挨拶しろよ」 « Hé, bášte Krhóbhozi bhiå. »
バルバスは無言のまま手を伸ばし、炎馬もギャロップで近づいてきて手の匂いを嗅ぎ、首をバルバスの身体に擦り寄せた。二人の間で火花が散った。
コマーズはラルラーに尋ねた。
「お前、《灰の子ども》ってことは燃えないのか?」 « Te, narhzúrre tabhrrot rhumå urhot "Koll mébhirr" ? »
「燃えると思う……」 « Artz, desfáro…… »
少なくともオイルランプに指をつっこんで火傷した経験はある。
コマーズは腰に巻いていた長い布を解いてラルラーに巻きつけた。
「これで多少近づけるだろうよ」 « Ói'h el'ámgåšot garhze fligháš. »
「これ、牛の革……?」 « Artz utof Kárgan? »
「いや、麻布だ。特別な刺繍をしてあるから燃えん」 « Né né, urhof Chát', ev Jílitzim khobhåniirr rhámof bhiå Hánim rhumå, tábhof narhze. »
コマーズはピューイと口笛を吹いてディーリニを呼んだ。わしわしとバルバスの肩を噛んでいた炎馬は頭で主人を押すようにして一緒にこちらに来た。
近づくだけで感じる熱気にラルラーは目を細めた。コマーズに抱えられて、彼は馬と同じ目線になった。その目は暗いが、奥に蝋燭のような輝きがある。バルバスが炎馬に何か囁くと、鬣や尾の炎が小さくなった。
ラルラーがそっと馬の鼻面を撫でると、それはフンフンと匂いを嗅いだ後、鼻の穴からブワッと煙を吐き出した。咽せるラルラーの横でコマーズは笑い、バルバスは静かに馬を叱った。
コマーズがラルラーの肩をぎゅっと掴んだ。
「気に入ったらしい」 « Letånof arhz pårhóf teoi. »
「……そうなの?」 « Éveritza? »
バルバスはディーリニをコマーズの炎馬の方にやりながら言った。
「ひとまず食事にしよう」 « Mey'udjer, urof Niro ar'síon. »
火を駆る者が置いていった烟り牛の干し肉は、神殿の岩喰いの肉よりずっと新鮮で美味しかった。ふりかけられた黒い粒は胡椒といい、噛むとピリピリとからい。豆にしてもチーズにしても、彼らの食べ物は刺激的だった(岩喰いもからいことはからいが、火を駆る者たちの食べ物には美味くしようという工夫が凝らされていた)。ラルラーは穀物と花びらを砂糖で煮詰めた、ねとねとしたオロシュという食べ物が気に入った。
ラルラーがねとねとと戦っている間、コマーズとバルバスは昔話や知人の近況について話しているようだった。
「シドラハを覚えているか?」 « Garhz édešrhot Šidrakha? »
「湖を鳴らすカーザスが祝福した……?」 « Artzúr dj'urkhetoch'f oés Kázas Yéreðontzér……?
「ああ。イェレスティで神殿兵になった」 « Lá lá. Bhazoch'f Dumánåmya sen'Yérestiå. »
「もうそんなに成長したのか」 « Artz dj'rašidoch't lor itiir? »
「火の祝福が強いが、カーザスが手放さずに苦労しているようだぞ」 « Kådrhot Urkhetia Gadik rakhšee, ebh urhof årh Fådelói tåghomee rhumå Kázas n'harhze bhoi rhorof. »
「そうか……」 « Ná lor…… »
「デゾマは引退してのらくらしている」 « Dezoma, dilimtenoch'f ó urhof étfeerr. »
「デゾマが、のらくら?」 « Dezoma, urhof étfeerh? »
「二十年もありゃ、人も変わる……そういや、ヌニークからは十年も便りがない」 « Ešiþ-orhå urhü narhze lor ergåkiir hár Sáširhe …… Zánån, dj'nakhó sen N'ník årh Äliþ-orhoi. »
「十年も……?」 « Arh Äliþ-orhoi……? »
「アリトゥリが楽しくて過去を忘れているなら良いがな……」 « Rhúlo kérr urhof fimiirr ó bhémålof bhík Jérhkích…… »
ラルラーは指についたねとねとを舐めながら、琥珀やら水晶やら柘榴石やら、見たことのない宝石たちに想いを馳せた。
三人と二頭は数日、一緒に過ごした。その間にコマーズが飛ばした鷹がラシエンからの便りを携えて帰ってきて、それはとりあえず戻って来いという趣旨の内容だった。
コマーズは「今は何の依頼もないから暇だ」とのことで、何日か天幕を空けても問題がないらしかった。誰かが彼を探しに来ることもなかった。そもそもこのあたりは塩の荒野が近く何もないので滅多に訪れることはないらしい。
「だから、お前たちと会えたのは偶然の神の気まぐれってやつだ」 « Lórh, urhof Bherhd seå Setholik kér lerhåkjích' garhz. »
コマーズは火を駆る者の歌を何曲か歌ってみせてくれた。力強く胸踊るようなものだったが、訛りが強くラルラーには内容がよく分からなかった。そして何度か自分たちの天幕に二人を誘ったが、バルバスは穏やかだがきっぱりと拒否した。
さて、燃える馬でどうやって帰路に着くか。
試行錯誤の末、天幕とコマーズが拾ってきた枯木で簡易的な橇を作り、烟り牛の革で作った綱で引かせて帰ることになった。
別れ際、バルバスははっきりと火を駆る者の訛りでコマーズに言った(なのでラルラーは内容がよく分からなかった)。
「君に再び会えて良かった」 « Urho finiirr arhz lerhåkoch' ešån, Komáz. »
「どうだかな……」 « Sorrkhoch' narhze…… »
「どういう意味だ?」 « Háš farhz bas'šåt? »
「お前はまたシケた神殿に戻るんだろう」 « Arhz el'åigån kói Temnoi nárånii, hé? »
「ああ」 « Lá. »
迷いなく頷くバルバスを見て、コマーズはため息をついた。
「そもそも、お前がチェサルに行かなければ……」 « Arh ållye Ulzoi, glimoch' kérr dj'ánoch't narhze hár Chesalerr…… »
「私は後悔していない」 « E' bhidjoch' narhze. »
「俺は後悔していたぞ」 « É'y bhidjch' digån. »
「何を?」 « Ðerr háš? »
「お前を引き止めるか……俺もチェサルに行くか、そうでなくても何かするべきだった」 « Dj'urhåðo zarhz teiå…… ín dj'áno'eš teoi. Dj'írhnoch' yezarhz fligoldán tešån. »
バルバスは笑った。
「君が十分行動してくれたことを私は覚えている。それに君は都市の生活に耐えられまい」 « Édešrró kerr dj'girhnóch'f lorr bhékhnå lé eío. Téšån, nezårhze dj'šzkhóch't Zémšói ghrrirh. »
「そうだな……」 « Ná-lá……»
二人は抱き合い、それからお互いの顔を見た。
「さらばだ、我が友よ」 « Šeméni, Tenäy' eík'. »
「ああ、さようなら……お前の血が燃え続けるように……」 « Lá, Šeméni…… glimó el'ilkhóch'f Malnérrói teík' l'eråkhí…… »
コマーズは再びバルバスを抱きしめ、頬に唇を寄せた。バルバスもコマーズに同じように返した。あれはなんだろう、とラルラーは思った。
バルバスとラルラーは並んで橇に乗った。コマーズも自分の雄の炎馬に跨り、何か叫んでから南へ消えた。 « Palúš! »
バルバスはディーリニに向かって何か言い、橇は神殿に向かって進み始めた。 « Rhak'bhenå! »
なかなかの揺れに、ラルラーは「これはこれで気持ち悪くなりそうだな」と思った。
しばらく進んだ後、少し揺れに慣れたラルラーは尋ねた。
「さっきのはなに?」 « Háš urof? »
「何が?」 « Háš-háš? »
「ちゅっ……てやつ」 « Fligoldán…… chu't. »
「ああ……あれはキスだ。初めて見たのか?」 « Ná…… urof K'utz. Artz aynoch'f alláz? »
「うん」 « Lá. »
「親しい人にやるものだよ」 « Urof hás gírnof hár húi Lavotér gariír. »
「ふうん……」 « Uh-hu……. »
ラルラーはおもむろにバルバスの肩につかまり、その頬にむちゅっとやってみた。
「こう?」 « Rház kói? »
「……」 « …… »
バルバスはなぜか、声を出さずに笑っていた。どういう笑いなのか、ラルラーには分からなかったが。
少ししてバルバスは答えた。
「……そんな感じだよ」 « Rház kerói, lá. »
「ラシエンにやってもいい?」 « Nigartz'eói el'girnó hár Rášien? »
「良いんじゃないかな」 « Ná, efdzát. »
「ソルハは?」 « Ó hár Solkha? »
「……どこで覚えたのか聞かれるかもしれない」 « ……Jétzk el'alúlof hwiat dj'sorkhot koi. »
ラルラーは考えた。ラシエンはともかく、ソルハに火を駆る者の話をしたら……なんとなく面倒なことになる気がした。
「……しない方がいいかもね……ねえ、あの人はなんで《三倍》って名前なの?」 « ……Vwi'gariir nartze…… lá'y, hwiat urof Šakha vík Komáz? »
「それを教えたらソルハが怒るかもしれないな……」 « Ront em'išmoch' koi, jétzk Sorkha el'mávikof gatzi…… »
「悪い名前?」 «Artz urof Šakha laviir? »
「良い名前ではあるが──」 «Urof gariir, ev— »
ディーリニに引かれた橇は、来た時よりゆっくりと神殿に向かっていた。
●注
・ディリーニャ(跳ねっ子)は正確には「ぴょんちゃん」みたいなゆるいニュアンスです。たぶん仔馬の頃は可愛かったんだね……。