54 新たな出会い?
「さあ、こっちです、行きましょう!」
と楽しそうに指を差すエルナを、リゴベルトは顔をしかめて見ていた。
「貴様らの国では、王妃がメイドの服を着るのか。珍妙な国だな……」
「王妃ではなく、まだ婚約者です。着替えが他にないので仕方ないと思ってください」
リゴベルトは相変わらず濡れた服のままだ。袋にはカカミが旅の前にくれた『とっても薄くて小さく畳めるのにあったかいひざ掛け』も入っていたので使わないかと提案してみたのだが、断られてしまった。他にも袋の中には色々と便利なものが入っている。まったく、感謝というのはしてもしきれないものだな、と改めてしみじみと感じる。
エルナたちが歩く道は、人の手など到底触れたことのないような獣道だった。
いくらヴィドラスト山にて鉱石の発掘を行っているといっても、森を通り抜けて辿り着く道は限られているのだろう。崖から落ち、さらに滝に落ちた先で森を抜けようとする人間など、エルナたち以外にいないに決まっている。
実りの秋に近づくとはいえ、森はまだまだ緑の葉が見え隠れし、生き生きとした息吹を感じる。空は屋根のように立派に木々が生い茂り、日が少し陰っているので進みやすい。落ちた葉を踏みしめ歩くと、しゃくしゃくとリンゴを食べるような音がした。
水辺が近いからか火の精霊の数はやはり少ないが、精霊たちはころころと楽しそうに転がり笑って、エルナにこっちだよと教えてくれる。
「……ありがとう」
自身が聞こえる程度の、小さな声で礼を言った。リゴベルトに不審に思われるわけにはいかない。
そしてエルナは後ろについてくるリゴベルトを振り返り、ときおり彼の様子を確認する。あまりの頑丈さにうっかり忘れそうになるが、あちらは利き腕を怪我しているのだ。いくら布で縛ったところで、適切な治療を行わねば、悪化する一方である。
(クロスと同じくやせ我慢が得意な男は、こんなときはとても面倒だな……)
痛いときに痛いと言えばいいのに、肝心なときに何も言わない。
ため息をついて前を見て歩いた後で、エルナは先に進む足を段々と鈍くする。
(けどその体で、こいつは私をかばって落ちたわけなんだよな……)
本来ならきちんと礼を伝えるべきだというのに、あまりの混乱が続き、すっかり失念していた。
なぜこの男がエルナの命を救おうとしたのか、まったくもってわからない。エルナを竜とわかってのことかと懸念したが、どうやら違うようだ。
「…………」
人の命を虫けらのように扱うリゴベルトの姿が脳裏をよぎる。自身の失態を部下に被せ処刑し、ためらうことなく敵に向かって剣を振るう姿を。
あまりのおぞましさに、身の毛もよだつ。この男が近くにいるというだけで肌が粟立ち、胃の腑が震える。腹立たしく、今すぐに殴り飛ばしてやりたいほどだ。
……でも。それは、エルナが礼を伝えぬ理由にはならないだろう。
「まさか、こんなところで先がわからんと言うのか?」
唐突に森の中で足を止めたために、リゴベルトは訝しげな声を出す。腰に差した剣の柄に、手を当てていることは気配でわかった。
「……リゴベルト・ジャン・アルバルル皇帝」
「なんだ、仰々しい」
「あなたに命を救っていただいたことに、感謝を。命をお救いいただいたにもかかわらず、陛下への数々のご無礼、誠に恥じ入るばかりにございます。今後は心を入れ替え、精進いたします」
崖から落ちたところで、おそらく死にはしなかった。エルナには精霊の加護がある。
しかしそれは絶対とは言えないし、リゴベルトがそんなことを知るわけがない。力ない小娘を助けるために、彼は自身の命をかけたのだ。
エルナは静かに頭を下げた。エルナの頭に乗っていたハムスターが慌てたように移動する。わずかに濡れたままの長い髪が肩にかかり、さらりと下に落ちた。
どれほどの時間がたったのだろう。木々のざわめきや、動物たちの鳴き声がときおり遠くで小さく聞こえた。
「顔を上げろ」
淡々と告げた声の主は、どこかに表情を落としてきたかのように、ただ黒く、冷たい瞳をしていた。しかしその手はもう、柄にかかってはいない。しばし、エルナとリゴベルトは見つめ合い――。
「ころころと態度を変えて、気色が悪いやつだ……」
「…………」
それはもう、リゴベルトは全力で顔を歪めていた。
気色が悪いだの気持ち悪いだのといった言葉は義姉ローラに言われ慣れているのでなんとも思わないが、誠心誠意謝ったつもりの後なので、エルナは無の表情で受け止めるしかない。
こほん、と咳払いをついてごまかす。
「そういうわけで今後は……」
「不要だ。戻せ。先程から気味が悪いと感じていた。今更鳥肌が立つわ」
鳥肌が立つとかまで言われた。
気を使わなくていいのなら楽といえば楽だが、あまり素直に反応できない。
「じゃあ、まあ、そちらがそう言うのなら……」
今は二人(と、一匹)だけだし、問題ないというのならそうさせてもらおう。何があるかわからない状況でまだるっこしい態度や言い回しを使い続けるよりも、さっさと移動し終えた方がいいだろう。
優先順位というものがあるのだからと、ぷい、と前を向いて、エルナは道を進むことにした。
……とはいえ、もうちょっと言い方ってものがあるんじゃないか、とぷうっと膨れる頬は見せないようにした。リゴベルトにはエルナの顔は見えていない。
――同時に、エルナはリゴベルトの様子に気づかない。
絶えず気を抜くことなく、いつでも柄に手をかけられるようにと構えていた左手は、今は自身の体を支えて歩くように木の幹にのせ、エルナの後ろを追いかけるように、一歩ずつ、ゆっくりと足を踏みしめていた。硬くこわばり続けていた顔はわずかに解け、ふ、と小さな声で笑う。エルナには聞こえぬほどに、小さな声で。
ときおりエルナが振り向く度に、眉間の皺は深めて変わらぬ顔を作っていたが。
「ねえ。ついでだから聞くけどさ。今更だけど、あの襲撃ってなんなの? どう見ても、あなたを狙っていたよね。心当たりとかないの?」
「心当たりなど、ありすぎて知らん。俺の命を欲しがる者など、国外含めて星の数ほどいるだろう。いちいち把握などできるか」
「……はは」
渇いた笑いとともに、ああそう……と、エルナはなんともいえない感想を落とした。
「……おい。これから、どれほど歩くのだ」
「具体的に言うのは難しいけれど、人の足なら一日は歩かなきゃいけないと思う。今はまだ昼だから……明日には差し掛かるかな」
「なんとまあ、悠長な日程だ」
は、と鼻で笑われたが、『あなたに合わせているんだよ』という言葉は、さすがのエルナも呑み込んだ。怪我人に無茶をさせるわけにはいかない。これを言えば、後ろの男は絶対に無茶をし始める、というくらいは予想できる。
(……うん。でも鉱山の近くに着いたらまずは私だけ走って行くというのも一つの手か……。あまり体力を消耗させない方がいいかも)
エルナは水に弱いので、ずぶ濡れの服のままだと辛かっただろうが、今は元気満々である。可能なら食事もどこかで調達した方がいいだろう。
『ごんす!?』
「わっ」
ぶつぶつと考えていたために、注意力が散漫になっていたようだ。なぜだか頭の上が、のしりと少しだけ重くなった。もともとハムスター精霊を乗せているのでわずかな差だが、違和感がある程度には変化がある。しかもじたばたとハムスター精霊が暴れている。
木の実か木の枝か、何か落ちてきたのだろうか……と、手を伸ばして叩こうとしたが、うまく落ちない、というか。
多分、動いている。
「女、お前……」
リゴベルトが不審そうに声を上げ、片眉を吊り上げたとき。
「……ん?」
ぴろり、とエルナの目前に、長いしっぽが落ちた。白くて、細くてふわふわの、まごうことなき動物のしっぽである。
「…………ん?」
***
エルナがリゴベルトとともに崖から落ちたのち、襲撃者は蜘蛛の子を散らすように消えていった。
襲撃の狙いがリゴベルトであることは明白ではあったが、アルバルル皇帝の弟、ランシェロは大層な嘆きようだった。崖下に向かって、幾度も兄の名を呼び、しまいには従者に引きずられるように馬車に戻る姿を、クロスはただ冷ややかな目を向けていた。
「……よくぞまあ」
「へ、陛下……エルナ様、いえ、エルナは!」
護衛の騎士を振り切り、必死の形相でノマはクロスのもとに駆けた。
馬車の中から、彼女もすべてを目にしていたのだろう。ノマがエルナの友人であることは理解している――が、今は時間が惜しい。片手で制し、もう片方の手で服の下に隠すように下げた竜の鱗を確認する。
「……ふむ」
エルナは、生きている。もとよりそのことを案じてはいない――しかし。
「移動しているな……川に、流されているということか……?」
「陛下……?」
「クルッシュメントへ戻るぞ。御者に伝えろ。……あちらもそう動くだろうな」
「はっ!」
騎士は即座に反応し、踵を返す。ノマはおろおろと周囲を見回し、物のように転がる死体に気づき小さな悲鳴を上げ、すぐさま自身の悲鳴を手で押さえ隠す。あちら、とクロスが呼んだアルバルル帝国の馬車も、慌てて来た道を引き返していた。そうするしかないだろう。――クロスでも、そうする。
「死体から情報を抜き出すことができればいいが……まあ、まず無理だろうな」
「陛下、エルナは……!」
「ノマ」
跳ね上がるようにノマは肩を震わせる。自身が、自国の王を前にしていることを思い出したのだろう。怯えたように両手を合わせ、クロスを見上げる。
「エルナは、無事だ。わかるな?……お前は、お前の為すべきことを為せ」
低く響く声は、口調とは相反して穏やかだ。ノマは、大きく目を見開いた。は、と短く息を吸い込む。あったのはその程度の間だ。
「……はいッ!」
返事をするや否や、スカートの裾を翻し、馬車に戻る。
襲撃を受けたがために、馬車の一部が破損している。さらに死体をどかし、道をあける必要があった。手はいくらあっても足りない。ノマは御者に声をかけ、自身にもできることがないかと確認している。女の手でもできることを探し、必死に体を動かしていた。
クロスは息を吸い込む。
「怪我を負った者は必ず申告を! どんな小さな怪我でも、必ずだ! 襲撃者は毒を刃に塗っているやもしれん!」
重ねて届く返答に頷き、クロスは周囲の警戒をさらに深める。
敵の狙いはリゴベルトと見せかけ、追撃が来る可能性もある。気を引き締めておいて損はない。
エルナが暴れまわったおかげでこちらへの攻撃は浅く、怪我人はほぼほぼいないことは幸いだった。
――まったく、厄介なことになった。
という言葉は、心の内のみに留める。
マールズに呼ばれたときから、なんらかの事態に巻き込まれる可能性は予想ができていたことだ。
「……エルナ」
生きていることはわかっている。だが、この離れた距離では彼女の曖昧な状態までしかわからない。もしリゴベルトとともにいるというのならば、さらなる襲撃が待ち受ける可能性もある。
つい先程まで感じていたはずのエルナの熱が、まるで現実ではないように思えた。
「――約束を違えるなよ」
無事に戻れと伝えた言葉は、重く響いているといい。
言葉とは、力だ。語ることで力を持ち、いつしかそれは現実となる。
「……約束を、違えるな」
吐息のように吐き出したクロスの声は崖を吹き下ろす風に乗り――。
ゆるやかに、消えていった。
***
一方その頃、エルナは川に流され滝を落ち、ついでに川辺で目を覚ました。帝国の王とあれやこれやと揉めたのち、迷いの森を通り、頭の上で白い謎のしっぽを見つけ――。
「どっせぇーーーーいッ!!!!」
小川の中で力一杯に石を叩き落とし、がっつん! と音を鳴らして、魚釣りならぬ石打漁に明け暮れていた。




