黒海に響く遠吠え
俺の体は眠った状態で起こっているのだから視界と言うのは違う気もするが、自分が見ている事だし視界とよんでもまぁ問題はないだろう。
今、俺の視界には俺を囲う薄緑のドームが見える。大きさは公園綾地にあるジャングルジムくらいか、自由に歩き回る事はできそうにもない。閉所恐怖症の人には辛い空間だ。
だが幸いに俺は閉所恐怖症ではないしここが何処だという心配もない。何しろ一度来ているのだから。
そして待っていればもうすぐーー。
『ーーBeast of previous lifeにようこそ。これよりこの初期設定空間にてゲームの説明と初期設定を行わせていただきます』
何処からともなくまるで機会が喋っているような淡々とした声が聞こえてくる。
そう、ここはプレイヤーがゲームの世界に行く前に強制的に送られる空間。必要最低限の説明をしてくれる場所だ。
『説明を開始してよろしければ、はいを押してください。説明が不要ならは、いいえを押しください。いいえの場合は説明を省略して初期設定を開始します』
俺の正面にはいといいえの書かれた宙に浮かぶウィンドウが現れる。
俺は体験版をやっていたから説明は不要であるのだが、もしかしたら製品版は何か違うことがあるかもしれないと思った俺はとりあえずはいを押した。するとウィンドウは消失する。
『それでは説明を開始します。このゲームは大規模フィールドで大勢のプレイヤー同士の無制限対戦バトルがメインになり相手を倒して経験値ポイントを集め自身のアバターを強化していってもらいます。ポイントは武器、アイテムなどの購入にも使用されますので考えて使うことが大事になります』
ここまでは体験版と変わりはない。だだっ広いフィールドで敵を片っ端から倒してポイントを集め強くなる。
だからここからだ何か新しい情報があるとすれば。
そして声は新情報はあるのかとドキドキする俺に告げる。
『それでは次に初期設定に移ります』
はっ、これで終わり?他になんかないのか?体験版をプレイした者にはステータスやらアイテムを引き継げるとか?
がっくりとする俺だったが、ここでこの音声案内に疑問が浮かんだ。
あれ?そういえば体験版で初期設定なんてあったか?名前は先着の番号順だったし一般ゲームのような音質や画質、ボタンを設定する必要はなかった。
ならなにを設定するんだ?
そう思った瞬間俺のいる場所は濃い緑の光に包まれる。そして光の中で俺の体は体験版の時の全身真っ白の人型ロボットに姿が変わる。
そして音声案内は続けて声を発する。
『初期アバターに変換完了。これより初期アバターを通しての魂の解析作業に入ります』
今なんと言った。魂?解析?この声は何を言ってーー。
音声案内の言っていることがわからず混乱していると俺の意識は突如ブレッカーが落ちるように消え視界も音も何もかも消えた。
暗い、何も見えない。ここは何処だ?俺は今まで何をしていたのだろう。
まるで真夜中に海の中を漂っているようだった。暗さが平衡感覚を奪い水の中にいるような心地いい無重力感を感じながら俺は何処と分からない場所を漂っていた。
自身に関して何も分からなくなった俺は思った。このまま身を任せたらもしかしたら俺は死んでしまうのかもしれない。
もしくはもう死んでおり今は三途の川を流れている最中なのかもしれないと随分ネガティブな事を考えているがそれならそれでいいかもしれない。死んでいるのなら生まれ変われるチャスという事なのだから。
そう思い俺はこの流れに身を任せる事をよしと思うと何処からともなく声が聞こえてくる。
「ーーーーーー」
なんと言っているか分からないが、妙に好奇心を駆り立てられる。
遠い。もっと早く流れてくれ。気になるじゃないか。
「ーーーーーーン」
まだ遠い。もっと近くに。
「ーーーーーーォォン」
もう少し近くに。
今の俺はまるで水の中でもがきながら必死に何かに手を伸ばしているような感じだった。
たかだか声が気になるという理由だけで何処とも分かない自分自身の事も分からない中、わざと流され続けて、自殺行為もいいところだ。
生まれ変われるのならそれもいいと思ったが、自分から死ぬのは勘弁だ。
だがそれのおかげで辿り着いた。
「ウオォォォォォン!」
それは泣き声、いや違う・・・・・・これは遠吠えだった。聞く者に野生を感じさせ、恐怖を感じさせ、どこか切なさを感じさせる遠吠え。
姿は見えず声だけだが分かる。俺が何者でここが何処かも分からないが分かる。
これはライオンやトラなどの遠吠えなどではない。
「ウオォォォォォン!」
狼の遠吠えだ。
『解析完了。対象の拒絶反応なし。解析データをアバターに反映完了』
突如何か別の声が聞こえる。この声なんだっただろう。と、一瞬は思うがその声で俺は思い出した。俺は誰でここは何処だったか。
俺の名前は白峰狼だ。そしてここはBOPLの中、確か音声案内の訳の分からない事を言った後に意識が消えてここにいたのだった。
『対象の精神安定を確認。これより安全エリア、中央都市ロドスに転送します」
音声案内の何やら勝手な知らせ。
はっ!なに言ってんのこの音声案内!わけのわからない事しといて意識戻ったらポイとかどういう神経してんだよ!
文句たらたらなのだが意識だった俺はまたも突如黒一色だった世界に緑の光が煌めきそれに包まれると一瞬眠気に襲われる。だがそれは本当に一瞬だ。
眠気は直ぐに消えた。そして眠気が消えると俺の視界は鮮明になっており俺を包む緑の光を放つドームが見える。
どうやったかは分からないが元の場所に戻ってきたようだ。
だがそれは違うのだとすぐ分からさせられる。あの音声案内はこう言ったのだ。安全エリアに転送すると。
緑のドームがガラスのように粉々に砕ける。すると俺の視界にそれは飛び込んできた。
「・・・・・・すげぇ」
俺は心に思った事を思わず口にした。
病院のヘリポートのような高い場所に立って眼下に広がる街と歓喜の声を上げる数多のプレイヤー達の姿。それはもう現実と区別できないほどのリアリティだった。
この世界と現実、どちらが本物と質問されたらおそらく俺は答えられない。
もはやこの世界は一つの現実だ。見て分かる差などそこにいる人の姿くらいしかないだろう。
そんな俺の前に突如一枚の大きな鏡が出現した。
なんだと思う俺だったが思考はすぐに停止する。
何故なら鏡に映ったのは真っ白な人型ロボットの姿ではない。映ったのは全く別の姿。
「これは、俺なのか?」
自らの手で自身の顔を触り鏡を確認するら。
その姿は四肢が獣のように鋭くなり背中からはふさふさした尻尾が生え体を包む装甲も所々形を変え色は灰色に変わっていた。
そしてその顔は青い目をした狼のようだった。
自身の姿の変化に動揺する俺の前に最後の説明と書かれた文章が宙に表示される。
これより貴方は自身の前世で強くなる。そして人を超える。
「・・・・・・どういう意味だ?」
俺は理解が追いつかなかった。これはただのゲームではないのか?
説明文は数秒すると宙に溶けてゆく。そして溶けた文字が再び集まると新たな一文を作った。
常識を超えるゲームにようこそ。