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如来ストリーム  作者: 古屋裕
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如来ストリーム 普賢菩薩

やあ、皆さん、こんばんは。


素敵なゲストとお送りする、如来ストリーム。


今回は、リスナーの熱烈なご要望にお答えして、この方をご紹介します。


全ての女性の味方、普賢菩薩さんです。


どうぞ。


「よろしく、お願いします。」


さて、普賢菩薩と言えば、女性から絶大な信仰を集めた仏さまであり、前回、ゲストとしてお越し頂いた、文殊菩薩さんと共に、お釈迦さまの脇侍を勤める菩薩としても、知られています。


脇侍として、お釈迦さまの教化をサポートしたと言う事なのですが、その辺りを詳しく、お聞きしたいと思いますが、よろしいですか?


「分かりました。」


「人とは、多面的な存在ですね?」


「精神は、いかようにも、分割する事が可能ですし、人は、その時々に応じて、様々な顔を覗かせるものです。」


「仏陀には、前回、ゲストとして登場した、文殊菩薩のような、指導者としての厳しい側面がありました。」


確かに。


人々を導く、有無を言わさない力強さですね。


なら、普賢菩薩さんは、文殊菩薩さんのような、お釈迦様の、別の側面だったと言う事になるのですか?


「別ではありませんが、そのように見える側面です。」


「私は、指導者としての厳しい側面の文殊菩薩とは、相対的な、仏陀の慈悲を象徴とする側面だったのです。」


なるほど。


「ですから、私や、文殊菩薩が、仏陀の教化を手伝ったと言うよりも、仏陀の内面には、我々が存在していると申し上げた方が、より正しい表現なのかも知れません。」


なるほど、それでは、普賢さんは、慈悲を司る仏さまと言う事なので尋ねますが、そもそも、慈悲とは一体、何なのでしょう?


「全ての人が、そうだとは申しませんが、病を得て、それがなかなか癒えないのは、哀れと思われていた方が、大事にされ、生きるのが、楽だからと言う場合が、往々にしてあるものです。」


まあ、そうした事は、あるかも知れません。


「自己憐憫は、他人に気を留めて欲しいと言う、甘えと、強すぎる自己愛によって、引き起こされます。」


「逆に、そうした者を哀れむ事で、無意識に、その者よりも優位に立とうとする人もいます。」


「これも、強すぎる自己愛が、そうさせるのです。」


「ならば、慈悲は、そうした、哀れみとは無関係です。」


しかし、理不尽な扱いを受けた者や、貧困に喘ぐ者を見れば、胸が痛むのではないですか?


「その通りです。」


「人は、そうした者を見た時、深く感じ入らなくてはなりません。」


「精神が、無垢であるなら、そうした者を見た時に、深く感じ入るでしょう。」


「それが、慈悲と呼ばれるものです。」


「少し昔の話をしても良いでしょうか。」


勿論です。


「まだ、隠と陽が分け隔てられていない時代。」


「つまり、まだ、仏教と呼ばれるものが、成立していない時代は、地母神が、この世界を治めていました。」


「人は、土から産まれ、土に還ります。」


「更に人は、土から産まれたものを得る事で、生きる事が出来ました。」


それは、今も昔も変わりませんね。


「そうした、自然界の働きは、全て、地母神が担っていたのです。」


「ですから、人は、誰しもが、地母神の子であったのです。」


ふむ。


「そして、人は、死ぬと土に還ります。」


「当時の人々は、朽ちていく亡骸の、その光景に、我が子を喰らう、地母神の姿を見たのです。」


ああ、それは確かに、恐ろしい!


「人は、水が無ければ、生きていけません。」


はい。


「従って、治水の技術が未熟であっても、人々は、水辺の近くで生活するしかありませんでした。」


「河川が氾濫して、犠牲者が出る度に、地母神が生贄を求め、荒れ狂うのだと考え、更に、生贄を捧げねばなりませんでした。」


「仏陀は、そうした姿を、哀れだと感じ、地母神を、自然界の全てを育む母性と、人の力では、どうにもならない凶暴性とで、分け隔てたのです。」


ああ、なるほど。


それが、赤子を拐って喰らう鬼子母神の末子を隠す事で、鬼子母神を改心させたと言う、あの、お釈迦さまの逸話に繋がるのですね。


「そうです。」


そうか。


だから、お釈迦さまの慈悲である、普賢菩薩さんの眷属には、女神である羅刹女がいるのですね。


「その通りです。」


「そうした仏陀の慈悲により、私は、女性から絶大な信仰を得たのです。」


なるほど、なるほど。


「つまり、慈悲とは、自他の区別がない時にだけ生じるものです。」


「しかし、その慈悲とは、自分の中心と、他人と自分の境界が、明確である時にだけ、機能すします。」


ああ。


確かに、他人の顔色を伺って、誰かの願望を満たす為に、自分を犠牲にする人って、とても多い気がしますからね。


それは、優しさではありませんものね。


「だからこそ、自分をよく知る事が大事なのです。」


ふむ。


自分を含め、誰一人、犠牲にしない時にだけ、慈悲があるのですね。


「自分の本当の喜びが、何であるのかを見出す事が、肝要なのです。」


いやあ、今日は、ありがとうございました。


如何だったでしょう、今回は、ゲストの普賢菩薩さんに、慈悲について語って頂きました。


それでは、またお会いしましょう。


DJアフロの如来ストリーム。

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