如来ストリーム 第六天魔王波旬
やあ、皆さん、こんばんは。
今回も、素敵なゲストと、お送りする、如来ストリーム。
始まりましたね。
今回は、この方を、ご紹介したいと思います。
仏道を妨げる天魔として、数多くの仏教徒を恐れさせたと言う、第六天魔王。
今回のゲストは、その六欲天の最高位である他化自在天の主、第六天魔王波旬さんにお越し頂きました。
波旬さん、宜しくお願いします。
いや、魔王とまで言われる方ですから、筋骨隆々で、強面な方を想像していたのですが、随分と優雅で、しかも美麗な方で驚いています。
「そう言われると、悪い気はしませんね。」
「しかし、私の姿は、あなたの心の投影に過ぎません。」
「何故なら、私は、特定の姿と言うものを持っていないからです。」
「ですから、その者の心の有り様が、私の姿を形造るのです。」
なるほど。
つまり、波旬さんは、鏡のような存在だと言う事ですか。
「そうです。」
「しかし、この世の事象とは常にそうしたものでしょう?」
「なので、人々が、私を忌み嫌うのであれば、そのような姿で、私は顕れるのでしょう。」
なるほど。
では、ここで、質問に移りたいと思います。
第六天魔王と言えば、お釈迦さまの悟りの邪魔をした存在であると、仏教では、言われていますよね。
なぜ、お釈迦様の悟りの邪魔をする必要があったのでしょう?
「邪魔をするのが天魔の役割と言えば、それまでですが。」
「残念ながら、私は、邪魔などしていません。」
「逆に、私は、彼の悟りの手助けをしたのです。」
う〜ん。
では、そこのところを、詳しく、お話をして頂いてもよろしいですか?
「六欲天の頂きに座す、私は、全ての衆上を愛しております。」
ああ、六欲天って、天界の事ですから、波旬さんって、つまりは、偉い神さまって事ですものね。
「なので、人々の望むものは、何でも与えますし、人々の願いを叶える為に、私は存在しているのです。」
「喜びも、悲しみも、そして、立ちはだかる試練さえも、その者が完成する為に、必要としているもの。」
「それを与えるのが、私の歓びであり、私なのです。」
「しかし、何かを獲得するには、何かでないものも、同時に獲得しなくてはなりません。」
そうなのですか?
「例えば、善が存在する為には、同時に、悪が必要となりますね。」
そうですね。
どちらかでは、存在できないと言う事なのですね?
「そうです。」
「ですから、人々は、私の側面を、自分の好きなように見るのです。」
なるほど、そう言う事なんですね。
「そうですね、例えば、仏陀と呼ばれる人物。」
「彼の話をしましょうか。」
「彼は、人々を救う為の悟りを、真剣に求め、願いました。」
「彼は、決意し、真理に至る、険しい道程を歩み始めたのです。」
「有名無名のグル達の元を訪ねて、彼は、ひたすらに、問い続けました。」
「そうして、彼は自分自身を見つけ出したのです。」
「彼の完成は、目前でした。」
「そして、彼は、菩提樹の下で、静かに目を閉じ、禅定に入りました。」
「完了とは、即ち、始まりの時でもあります。」
「つまり、相反する要素が同時に存在すると言う、一つの宇宙の誕生なのです。」
「私たちは、その祝福すべき瞬間を見守りました。」
「私を含め、数え切れない存在達が、その瞬間に立ち会ったのです。」
「そして、私は、彼に歩み寄りより、こう言いました。」
「あなたの、悟りを求める声に応じて、私は、ここへやって参りました。」
「あなた自身の、真理を感得する事を、助ける為、私は、あなたが必要とする、ありとあらゆる体験や、欲するものの全てを、贈り続けて来ました。」
「ですから、あなたは、あなた自身の真理に到達したのです。」
「どうぞ、受け取って下さい。」
「これが、あなたの望んだものです。」
「しかし、彼は、私に対して、穏やかに、こう言ったのです。」
「それでも。」
「それでも、最後には、あなたが、やって来るのでしょう?と。」
「彼は、私に、何も求めませんでした。」
「そして、逆に、彼は、私に対し、与えてくれたのです。」
「それが、彼が、本当に望んだものだったのです。」
いや…。
何と言って良いのか。
なかなか、深い話ですね。
思わず聞き入ってしまいましたが、可能であるなら、もう少し、リスナーのみなさまに、解りやすく説明してもらってもよろしいでしょうか?
「そうですね。」
「もしも、彼が、最後に、私を必要としていたのなら、彼の完成は有り得なかったでしょう。」
どういう事ですか?
「そのままの意味ですよ。」
「何かを欲するのであれば、同時に、何かが欠けている事になります。」
「ですから、彼は、それを得られるかも知れない希望も、それを得られないかも知れないと言う絶望も、否定しました。」
「私に対して、それを、もはや必要としていない事を、穏やかに、示したのです。」
「確信もなく、信念もなく、約束もない。」
「ただ、静寂と温もりが、そこにはありました。」
「彼は、それを私に与えてくれたのです。」
なるほど。
世間では、魔王と呼ばれている波旬さんも、本当は、お釈迦様が、悟りに至る為には、絶対に必要な、プロセスの一部だったんですね。
「そうですね。」
「それは、求めねば、得られないでしょう。」
「しかし、同じように。手放さねば、得られないものなのです。」
いやあ、なかなか、禅問答のようなディープなお話が聞けましたね。
さて、本当に残念ですが、お時間となりました。
今日は、ありがとうございました。
今回の配信で、第六天魔王のイメージが変わったと言う人もいると思います。
「こちらこそ、貴重な機会を与えて頂きました。」
それでは、次回、またお会いしましょう。
如来ストリーム。