如来ストリーム 聖徳太子
やあ、皆さん、こんばんは。
DJアフロの如来ストリーム、始まりました。
さて、官位十二階、十七条の憲法、国史編纂、遣隋使の派遣など、その業績は数え挙げたらきりがない程。
この日本の地に、仏教を伝来させた立役者。
今の日本人の精神性の発達に大きく貢献しました、日本屈指の、まさに聖者の中の聖者です。
前回の予告通り、聖徳太子にお越し頂きました。
それでは、よろしくお願いします。
「ははは、随分仰々しい紹介だが、こちらこそ、よろしく。」
いやぁ、太子には仏教的な部分だけではなく、色々と聞きたい事があるのですが、楽しみです。
ところで、太子は、上宮王、豊聡耳、上宮之厩戸豊聡耳命、法主王、豊聡耳聖徳豊聡耳法大王、上宮太子聖徳皇、東宮聖王、厩戸豊聰耳聖徳法王、上宮厩戸、厩戸皇太子…。
と、呼び名が数多くあって、どのお名前でお呼びすれば良いのか、分からないのですが…。
「好きなように、呼んで構わないよ。」
しかし、そうだな、私は皇位を継承しなかったので、先の通り太子で良い。」
そこです。
まず太子は、何故、推古天皇の後、天皇の座につかなかったのでしょうか?
当時の太子の名声や実力を考えても、それが妥当だと思われるのですが…。
「私は、私の仕事が出来れば、それで良かったのだ。」
「つまりは、自分の目的が果たせれば、地位や身分など、どうでも良いと考えていたからであろうな」
「それに、推古天皇の心の中には、竹田皇子がいたからね。」
竹田皇子、推古天皇と敏達天皇の皇子ですよね。
しかし、早くに病気で夭折していたと思うのですが。
「死についての観念は、現代と、あなた方の言う古代とでは、随分と違うものだ。」
と、申しますと?
「私が生きた時代は、死とは生の一部だったと言う事だよ。」
どう言う事ですか?
「つまり、人は、死なない。」
「恨みを持てば、死して尚、人に祟るし、その逆もあると言う事だ。」
ふむ。
そうした理由だからこそ、古代では、呪いなどの呪術が盛んであったと言う事になるのでしょうね。
「例えば、現代では、気象を科学の力で予測するだろう?」
はい。
「仏教が、当時の最先端の哲学であったように、見えない力を操り気象をも変える、私の時代の最先端の科学は、呪術だったのだよ。」
呪術と言うと、何かしらおどろおどろしさを感じてしまいますが…。
しかし、今の時代に、そう言う非科学的なものは、受け入れ難いかも知れませんね。
「ふむ、果してそうだろうか?」
「その者の意思と、振る舞いと、発言によって、見えない力が作用し、その者の世界が形作られていると言うのに?」
「私に言わせるなら、今も昔も、科学と呪術に特に違いは無いのだがね。」
ふむ…。
では、簡単に当時の時代の呪術について語って頂く事は可能でしょうか。
「それは、それを専門としている者に尋ねるのが良いだろうが、生きている者には、肉体に。」
そして、亡くなった者には、名にかけるものに、呪詛がある。」
ああ。
なるほど、だから、昔の人は、本当の名前を知られる事を嫌ったんですね。
「今の世には、私の実在を疑う者もいるようだが、それも呪詛の為せる業だよ。」
「私が、二度と蘇らぬよう、私の実在は、ぼやかされてしまったからね。」
では、太子は呪いをかけられるって事ですか?
いや、この話は、あまり深く追求しても、楽しくないので、少し話題を変えましょう。
ところで、太子の功績に、遣隋使の派遣がありますね。
調べてみると、一番最初は、600年に、隋に遣使しているようですが、そこで礼秩序の無い蛮族の国と思われたようで日本書記には記載が有りません。
そこで、冠位十二階などを急いで作り、607年には、小野妹子を派遣し、煬帝に初めて拝謁し、例の国書を渡した訳ですよね。
あの有名な「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々…」と書かれた隋書を渡し、それを読んだ揚帝は激怒したそうですが、結局、煬帝は小野妹子に国書を渡して帰国させてますね。
どうして、当時隋のような大国に、そのような事がまかり通ったのか、教えて頂きたいのですが。
「この国の古代の歴史は、北東アジア情勢と深く関わっているが、当時の大陸は戦続きで乱れていたのだ。」
「我々は、そうした混乱を逃れる為に、海を渡り、この地にやって来た人々からの情報で、大陸の内情は把握していた。」
「当時の隋は、高句麗を攻めるも失敗続きで、疲弊しており、同じように高句麗と敵対している我が国が多少無礼であろうと、それを許さねばならぬ事情があったと言う事だな。」
敵の敵は、味方と言う事ですね。
だから失礼な国書に対しても、煬帝は、返書を送ったんですね。
小野妹子が失くしてしまったようですが。
「それについては、命をかけて使命を果たした、妹子の事情を汲んでやって欲しい。」
なるほど、なるほど。
現代では、推古朝は大化前代における注目すべきひとつの画期であるという見方が強くなっていますね。
私は、てっきり太子は創作された人物で、この配信に登場するまで、その存在を疑っていたのですが、何と言いますか、目の前にしますと、彫りが深いご尊顔で、どこか中東の国の人物のようですね…。
それに背も高い。
「ははは、私は、間違いなく存在するよ。」
「この場に来ているのが、その証拠だ。」
「ただ、私に対する功績の多くは、蘇我氏との協力によるものだ。」
どう言う事ですか?
「私が没した後、大化の改新と呼ばれる革命が起こるが、この中央集権を目指した革新的改革の種をまき育てたのは蘇我氏だよ。」
「蘇我氏は、東アジア情勢急変の中で、我が国の政治を強くするため力を尽くした氏族だが、蘇我氏は、海を渡り、この地にやって来た、渡来系の氏族だった。」
「渡来系でかつ、天皇家と並ぶ勢力を持った蘇我氏を、そのままには出来ず、滅ぼした後、蘇我氏の功績を全て剥奪し、天皇家の手柄としたのだよ。」
つまり、それが、太子の功績になっていると?
「そうだ。」
「私が没した後、私に対する信仰が高まると共に、蘇我氏の悪人説が蔓延ると、馬子の業績の部分も含め、全が、私と中大兄皇子の業績とされてしまったと言う事だな。」
「可哀想なのは馬子で、私にしてみれば迷惑な話なのだが。」
ふむ。
「私が、天皇になってさえいればこんな問題も起きなかったかも知れぬと思うとな…。」
ふむ。
しかし、太子は、亡くなった後の事についても詳しいのですね。
「死が生の一部であるなら、少しも不思議な事ではないと思うがね。」
分かりました。
では、また、少し話しを変えましょう。
さて、太子と言えば、仏教をこの国に広めた人物として知られておりますが、やはり、太子は、敬虔な仏教信者だったのですか?
「無論、そうだ。」
「だが、私は、宗教家と同時に政治家でもある。」
「例えば、私が仏教の教えを、この国に取り入れる事で何を狙ったのか、語っても良いだろうか?」
おおお、待ってましたよ。
まさに、リスナーは、そうした話を求めているでしょうから。
「当時、最先端の哲学である仏教が、この国に入ってくれば、同じように、最先端にある、人や文化、金銭や技術と言った財も、自動的に大陸より入って来るだろう?」
はい。
「更に、現代と違い、我々の時代の人々の識字率は、決して高いものではなかった。」
「ならば、情報の伝達は口伝によるが、口伝は誤差が大きい。」
ああ、確かに、伝言ゲームをやってみると、その難しさが分かります。
「そう、仏教導入は、識字率を上げる為の狙いもあったのだよ。」
なるほど、教育の一環と言う事ですね。
「私は、ある三つの仏典の注釈書を著したのだが、それを知っているかな?」
三経義疏ですね。
確か、勝鬘経、維摩経、法華経の三つの仏典だったと思いますが。
「よ学んでいるではないか。」
少しだけ、太子について下調べしておいたんです。
「なるほどな。」
「これらの大乗仏教経典は、釈尊が入滅して数百年後に編纂されたものだ。」
「まず、勝鬘経についてだが…。」
「この経典は、舎衛国波斯匿王の娘で、在家の女性信者である勝鬘夫人が説いたものを釈尊が認め、一乗真実と如来蔵の法身が説かれている。」
ふむ。
「女性が大乗仏教の理想を語ると言う点は、女性は、成仏出来ないと考えられていた時代からすると画期的なものだ。」
なるほど。
「次に、維摩経になるが。」
「維摩経の内容を、簡単に説明するなら、こうなる…。」
「インドの富豪で、在家信者である、維摩が病気になったので、釈尊が、弟子である、舎利弗、目連、迦葉と言った当時、既に信仰の対象となっていた高僧や、弥勒菩薩などの菩薩に、見舞いを命じる…。」
「しかし、皆、以前に維摩に問答で、やりこめられている為に、誰も理由を述べて見舞いに行こうとしない。」
「そこで、釈尊の命を受け、文殊菩薩が見舞いに行き、維摩と互角に問答を行い、最後に維摩は、究極の境地を沈黙によって示したと言う物語になるのだが…。」
「この経典の面白いところは、出家者ではなく、在家の仏教信者が、知恵の文殊と問答で、対等に渡り合うと言う事…。」
「更に、内容としては、互いに相反する二つのものは、実は別々ではないと言う事を説明している。」
はい。
つまり、陰と陽だとか、生と死と言った相反する要素は、分け隔てる事が出来ない、と言ったようなものですね?
「そうだ。」
「維摩経は、悟りに至る為の実践的な方法が、具体的に説かれている経典になる。」
「最後に、法華経だが。」
「これは、身分の貴賎、男女関係無しに、一切の衆上は、必ず成仏すると言う内容だ。」
なるほど、素晴らしい平等性ですね。
「更に、この経典には、こうも、記されている。」
「神は、仏に帰依すると。」
「そして、仏教を奉ずる者を、必ず助けると。」
「従って、その内容により、この経典には、呪術的な要素が色濃くある。」
「さて、数ある経典の中で、何故、これらの経典を、私が選び、この地にもたらしたのかを、理解してもらえただろうか?」
ああ!
つまり、太子は、神と仏の地位を逆転させ、どんな者でも、実力があれば登用すると言う、ある種、実力主義と言うか平等な国家を建設しようとしたと言う事ですね?
それは、また随分、大掛かりな呪術ですね。
「適切な場に、寺院を築き、そこに信仰の力が加わる。」
なるほど、そうした、呪術によって、今までこの国は、保たれて来たのですね。
「ふふ、そうだ。」
「当時のこの国は、古い時代から土着していた氏族によって実権は握られていたからね。」
「流れが、止まれば川は、死ぬ。」
「それは、国も同じだ。」
いやぁ、恐るべき先進性ですね。
そうした改革を、太子は、蘇我氏や、秦氏、文氏と言った新興の氏族と行ったのですね。
しかし…。
一部では、大いに恨まれたのではないですか?
「何かをすれば、必ず良い面、悪い面はあるものだし、それは仕方のない事だとも言える。」
「一方では、私はこの世を救う、救世観音の化身だと崇められる。」
「だが、一方ではこの地に仏魔をもたらした大悪人として、呪詛の対象となる。」
光の中にこそ、闇はあるし、闇の中にこそ光もあるって事ですか。
「そうだ。どちらにもそれぞれ言い分はあるのだよ。」
「ならば、神とは何者であり、悪魔とは何者なのか。」
「神とは、苦しみに耐える人々の願望が生み出した、無秩序に、秩序を与える存在だろう。」
「だが、行き過ぎた秩序は、権威を生み、人々を規律や戒律で縛るようになる。」
「ならば、悪魔もまた、それを打ち破る為に人間の潜在的願望が産み出した存在なのではないか?」
つまり、この世は、そうして、絶えず善悪が揺れ動き、相互にバランスを取っていると言う事ですね。
ううむ…。
深いですね。
何が正義で、何が悪なのかと言う事ですか。
「さて、私の功罪として、仏教の導入があるが、ある部分では、私の狙い通りとなった。」
確かに、国は豊かになりました。
この国には、有り余る程の物に満ち溢れ、識字率も、ほぼ100パーセントになったと思います。
「そうだな。」
しかし、今の人達は、ただ、娯楽や、物に満ち溢れている事が幸せな事なのかどうかの決断に、迫られているように思います。
「それは、良い傾向だ。どちらの生き方を選ぶにせよ、人は、思い残す事がないよう、全力で、生きるしかないのだから。」
いやあ、当時の政治の話から、人の内面の話しまで、随分と有意義な時間を、楽しませて頂きました。
太子は、まさに、国を動かす世俗王でありながら、祭祀王でもあると言う、相反する両面を持つ、紛う事なき、稀代の聖者でした。
「ありがとう、こちらも楽しむ事が出来た。」
ありがとうございます。
それでは、如来ストリーム。
また、お会いしましょう。