如来ストリーム 思兼神
やあ。皆さん。
スタジオアガルタより、素敵なゲストと、楽しい時間をお届けする、DJアフロの如来ストリーム。
さて、今回のゲストは、日本神界よりお越し頂きました。
高天原の知恵袋。
天照大神が天岩戸に隠れてしまった折には、八百万の神々に、様々な知恵を授け、この世に光を取り戻す事に成功しました。
まさに、知恵において、並ぶ者なしのこのお方。
それでは、思兼神さん、宜しくお願い致します。
「ホッホッホッホッ…。
ワシも、この配信を楽しみにしておるものでな。
今回は、この場に来る事が出来て、嬉しく思うぞ。」
ありがとうございます。
嬉しいですね。
ちなみに、この配信、高天原では、どのような反応なんですか?
「ホッホッ。
また、妙な事を初める者がいるもんじゃと話題になっておるよ。」
ですよね。
本当、あの人、何考えてるんでしょうね。
「何も、考えておらんじゃろう。
自分が面白いと思っておる事を、他意も無くしとるだけじゃな。」
ちょっと、変ですよね。
「おおよその者が、誤解しとるようだが、神は、高い者には、寄り付かん。」
ええ!?
そうなんですか?
それは、何故なんですか?
「ホッホッ、面倒臭いし、気疲れするからじゃ。」
ええ~。
そんな理由ですか?
「ホッ、それは、冗談じゃ。」
しかしな、神は、もっとも低い所にしか宿らぬぞ。」
つまり、プロデューサーは、馬鹿者だと言いたい訳ですね?
「利口者は、ワシらも好まぬのでな。
他意のない大馬鹿者は、見ていて飽きぬ。」
「ホッホッホッ、大馬鹿者は、何を仕出かすか、全く読めぬからのう。」
高天原一の知恵者が、それを言いますか?
「ふむ。ならば、知恵とは何じゃ?」
「知恵とは、己の愚かしさを知ってるおると言う事じゃろう?」
「どう足掻こうが、人の中から、愚かしさは、決して消えぬ。
それが道理よ。」
「己の愚かしさから、逃れようともがくのも、それもまた愚かさ故じゃ。」
「ならば、己の愚かしさを、よくよく心得ておる者を知恵者と言うのじゃ。
違うか?」
なるほど…。
では、今回は、そんな知恵の神であるオモイカネさんに、お話を伺ってみたいと思います。
一説には、元始からのすべての事象が記録されているという世界記憶、アカシックレコードを神格化した存在が、思兼神さんであると言います。
そんな、高天原随一の知恵を誇る、思兼神さんですから、知らない事などないのでは?
「予め言うとくが、ワシにも答えられぬ事は、ままあるぞ?」
「本当に知らない事がないのでは、自分が知らない事がある事を知らぬ、阿呆になってしまうのでな。」
ああ、哲学的なパラドックスですね。
「ホッホッ、つまらぬ頓知じゃな。」
どんな話でしたっけ…?
確か、こんな感じだったかな。
この世の全てを、知っていると言う人がいました。
そんな、知らない事など何もないと言う人ですから、その人が知らない事だって知っている筈。
なので、質問者は、あなたが知らない事を、是非、私に教えてくれないか?と言いました。
すると、その人は、言葉に詰まり押し黙ってしまいました。
自分には、知らない事がある事を、その人は、知らなかったのです。
こんな感じでしたっけ。
これって、無知の知だったかな?
「ホッホッ。こうしたものも、頭の体操には必要やもしれぬな。」
なら、思兼神さんが、他に答えられないような事って、ありますか?
「そうじゃの。
未来を、確定させるような事は、言えぬだろうな。」
予言の類いですか?
「予測であれば、言う事は出来るぞ?
これをするからこそ、こうなるとはな。」
ふむふむ。
「もっとも、人の未来は、人が決めるもの。
確定された未来は、呪いの類いじゃ。」
「不安が勝れば、そうした呪いに、人は、簡単に囚われてしまうものよ。
それが、蛇の毒と言うものじゃ。」
「だからこそ、弱ったところを見計らい、ここぞとばかりに、手を差し伸べてくるような輩には、気を付けねばなるまいな。」
無意識に、そうした善意を使って、その人よりも、優位に立とうとする人もいますからね。
「己の弱さを自覚しておれば、そうした甘言には惑わされぬ。
己の弱さを自覚した者は、強かだからな。」
いや~。
やはり、神界は、なかなか厳しいですね。
失礼だと思いますが、神界は説教臭くて、仏界は理屈っぽいと、私はしみじみと感じております。
「ホッホッホッ。」
しかし、神界から見ると、人は、やはり弱いように感じますか?
「臆病になるのは、守る者があればこそじゃ。」
「人は脆く、そして間違うものだと言う事を知っておれば、謙虚にもなろう。
そうした強さもある。」
「負けぬように、挫けぬようにと、日々鍛え続けて培う強さもある。
「見栄や虚勢も、己の美学に殉じたいと言う、強い信念なればこそじゃ。」
ふむ。
「強さにも様々あるが、どれもこれも、芯がなければ、強さとは呼べぬ。」
「その芯とは何じゃ?
強さの芯とは、優しさであろう。」
仰る通りだと思います。
どのような強さも、優しくなければ、暴力になり得るものです。
「どこの神に縋ろうが、どんな保険を掛けようが、不安は決して消えやせぬ。」
「だからこそ、己の真実に生きる事が、誰にとっても、一番優しい生き方だとは思わぬか?」
確かに。
しかし、それは、自分を信じてないと出来ない生き方ですよね。
それが、安全だって保証も、ありませんから。
「だからこそ、大馬鹿者にしか、そうした生き方は、出来ぬのじゃ。」
ああ、だから、最初に、神は、もっとも低いところにしか宿らないと言ったんですね。
確かに、利口者には、そんな生き方は、無理だと思いますから。
「ふん、お主らは、カルマだのトラウマなどと、ありもしないものを持ち出すがのう。」
「それを信じている者には申し訳ないが、そんなものはない。」
ええ、それだと他のゲストさんが言ってた事と違ってしまいますよ。
「誰が、何と言おうとも、そんなものは存在せぬ。」
う〜ん。
「納得出来ぬか。
しかしな、それは、我らからすれば、何処まで行っても、何かの所為にする事で、それをやらぬと言う、言い訳でしかないのじゃ。」
「親が、社会が、仲間が、その他、己を縛る何ものかが、それを許さぬから。」
「お主らは、そんな取るに足らぬものを、カルマやらトラウマやらと呼ぶが、それを利用して、やらぬ理由にするのは、やってしまった時の事を恐れているからに他ならぬ。」
「ならば、カルマだのトラウマだのは、幻想にしか過ぎぬ事は、明白であろう。」
ああ。
あるのは、カルマやトラウマではなく、恐れだけだと。
確かに、周りの人が反対したから諦めたと言うのは、言い訳に過ぎませんよね。
どちらにせよ、それを決めているのは、自分なのですから。
なるほど、そうした幻想に縛られず、やってのけてしまうのも、大馬鹿者って事ですね?
「真実も、しかりじゃ。
真実も、もっとも低いところにしか宿らぬものよ。」
なるほど。
それこそが、真実だと言う事ですよね。
もっとも低いものは、もっとも高いものと言う事ですか。
「その通りじゃ。」
確かに、やらない理由を、何かの所為にしても始まらないですからね。
まあ、出来るかどうかは、別としても、ですが。
「ホッホッ。昔から口酸っぱく言われて来たであろう。」
ええ、出来る、出来ないではなく、やるか、やらないかって事ですよね。
なかなか、心が、痛い話ですけども。
いや、今回は、ありがとうございました。
「ホッホッホッ。
なんの、なんの。こちらこそ、楽しめたぞ。」
如来ストリーム、今回のゲストは、高天原の知恵袋、思兼神さんでした。
それでは、時間となりました。
また、次回お会いしましょう。
如来ストリーム。




