如来ストリーム アフラ・マズダー
やあ、皆さん、こんばんは。
如来ストリーム、楽しみにしていてくれたかな?
今回は、満を持して、この方に登場して頂きます。
某国産自動車メーカーの名称にも使用された、ゾロアスター教の最高神、善も悪も裁く絶対的な存在。
真言密教の本尊である大日如来とも、大乗仏教の毘盧遮那仏のモデルとも言われる、この方、アフラ・マズダーさんです。
では、アフラ・マズダーさん、よろしくお願いします。
「よろしく頼む。」
さて、絶対的な存在である、アフラ・マズダーさんには、今回、仏教で言うところの悟りや空と言った難問にも匹敵する、絶対とは何かについて語って頂きたいと思います。
私が、考える絶対とは、それを超越した圧倒的な強さ、或いは、永続的に存在する、普遍的な何かを想像してしまいます。
アフラ・マズダーさんには、そうした絶対に対しての説明を、詳しくお願いしたいと思うのです。
「ふむ、絶対についてか…。そうだな、良かろう。」
「ならば、 我々が存在している、この現実世界とは何かを、説明しなければなるまい。」
「この現実世界は、善神スプンタ・マンユと、悪神アンラ・マンユの被造物が混じり合い、互いに戦い合う、善と悪との戦場なのだ。」
ふむ、それは、あくまで、ゾロアスター教の世界観と言う事ですよね?
「そうとも言えるが、現在の世界が、そうでないとも言い切れまい。」
「誰もが、自身の正義を掲げて、互いに争っているではないか。」
「だからこそ、世界は、善神スプンタ・マンユと、悪神アンラ・マンユが、互いにその立場を入れ替えながら、永遠に争っているのだ。」
それが、世界の様相と言う訳ですね?
「そうだ…。」
「そして、彼らは、善であるが故に、或いは、悪であるが故に、絶対的に、互いを必要としているのだ。」
つまり、善悪は、お互いを媒介しないと、自分の存在価値を、示せないと言う事ですね?
「そうだ。」
確かに、どちらかを、絶対的に、必要としているなら、独立した存在としては、無価値に等しいですね?
ならば、あなたは、違うのですか?
「私は、何も必要としない…。何故なら、私は、存在の全てだから…。」
ああ、だから、あなたは、善も悪も裁く絶対的な存在なのですね?
「予め言っておくが、私は、何も裁かない。」
「私は、全て。」
「従って、私は、彼らでもある。」
ならば、あなたは、善神であり、悪神でもあるって事ですか?
悪神なんですか?
「どのような、悪であろうが…。」
「今なお、そうした悪によって、破壊され続ける、自然であれ、調和であれ、それらは、全て、私なのだよ…。」
しかし、あなたは、善神でもあるのですよね?
なら、あなたは、そうした悪を、どうして、見逃すのですか?
「悪などと言うものがないからだ。」
世界中で、人が争って殺しあっているのに、それを悪だと言わないんですか?
「どのような事例を突き付けられようが、そうした議論に意味はない。」
「よって、悪はない。」
では、何故、そうした無意味な、役に立たない考え方をする人を、放っておくのですか?
「放っていないからこそ、今、私が、こうして語っているのだ。」
それは、そうかも知れませんが…。
「人は、神の名において、国家の名において、主義、思想、教義、伝統、あらゆるものの名において人を裁く。」
「断っておくが、それは、私の意思ではない。」
違うんですか?
「私が、何故、彼らを裁かねばならないのだ?」
「私が、彼らなのに?」
「もっとも、悪が存在しないなら、善も存在しないではないか。」
う~ん。
自分が自分を裁く…。
確かに、あなたが、全てであるなら、そうした行為は、無意味ですね。
「そもそもにおいて、人は不滅である。」
「どのような体験であれ、魂がしたい事を、肉体に宿り、しているに過ぎない。」
「そう考えるなら、全てにおいて、人の行為に、罪はない。」
しかし、あなたには、司法神としての側面も、あるじゃないですか?
「そう、だから、勘違いしてもらっては、困るのだが、私は、彼らだが、彼らは、私ではないのだ。」
あ、なるほど、言わんとしている事は、何となく分かります。
「そう、だから、彼らは、決して私には逆らえない。」
「私は、愛だが、彼らは、愛を知らぬのだから。」
「だからこそ、もしも、彼らが、私の意思を無視し、私を滅ぼそうとするなら、彼らは、その存在意義を失うだろう…。」
「何故なら、私こそが唯一無二の、真実なのだから。」
なるほど、分かりました。
つまり、あなたは、絶対的な、真実なのですね?
「そう、だから、私は、一切の力を持たない。」
「何故なら、私こそが、力だから。」
ふむ…。
では、何故、力を持たない者が、力そのものでいられるのでしょう?
「では、訊ねるが、何故、全ての力の象徴である私が、力を誇示する必要があるのか?」
力を誇示する必要もないと言う訳ですか?
「そうだ。だから、私は、どのような類いの力も使わない。」
力を、使わないんですか?
「そうだと言っている。」
「私は、どうしても、その力を行使する必要がある時以外は、決してその力を使わないのだ。」
……。
では、訊ねますが、あなたが、その力を行使する時とは、どのような時なのですか?
その必要がある時とは?
「そうだな…。」
「そう聞かれると笑ってしまうが、私も未だ、その必要とやらに迫られた事がないのだ。」
ははぁ…。それでは、あなたは、力を使わないのではなく、力を使えないのではないですか。
力を持っているのに、使わないのなら、それは、あなたには、力がないと言っているのと同じ事だと思うのですが。
「そうだ。だからこそ、私は、存在の全てなのだよ。」
「私は、この世で、もっとも力強く、もっとも、か弱い存在だ。」
いや、強いのに、弱いのでは、矛盾しているじゃないですか。
「そう、その矛盾こそが、神であり、絶対であると言う事なのだよ。」
ああ…!
つまり、善と悪や、強と弱と言った”相容れない要素が矛盾なく統合されている状態”を、神と言うんですね?
「さすがに、話が早くて助かるな。」
ありがとうございます。
「だが、人が、完璧さや、絶対について語るのは、容易な事ではない…。」
そうでしょうね。
“絶対についての、語りなんて、そもそも、そんなもん絶対でも何でもねぇよ!”って、プロデューサーが、スマホの前でブツブツ言ってるのが、目に浮かびますからね。
「絶対を語ろうとすればする程、絶対とは、かけ離れてしまう。」
「だからこそ、私の意思を人が、反映させるのは、難しかろう…。」
そうですね。プロデューサーが、普通に文句を言ってますから。
「だが、私の意思は、彼の意思だが、彼の意思は、私の意思ではないのだ。」
…。
「しかし、ザラスシュトラはもちろん、仏陀や、老子や孔子、歴史上の偉人達は、全てこの難問に挑戦したのだよ。」
いや~。そうは言っても、プロデューサーと、歴史上の偉人達を、一緒くたにしては、可愛そうだし、失礼だと思いますよ。
「しかし、私にしてみれば、そこに何の違いもないのだ。」
いや、まあ、そこはね。
「だが、絶対、つまり、私について、そう難しく考える必要もあるまい…。」
「所詮、絶対に対する考えなど、絶対でも、完璧でもないのだから。」
完璧さの観念は、完璧ではない…。
でも、それで完璧なんですよね?
「その通りだ…。」
絶対にして、完璧な存在。
「つまり、私は、荒野に、儚くも力強く咲く、一輪の花のようなものだ。」
「そこには、何もないように見えるが、花を咲かせる、全ての要素が揃っている。」
「もちろん、土壌は、痩せているかも知れない。」
「しかし、そこには、当たり前のように、日が登り、そして闇になり、雨が降る。」
「風を防ぐ岩があり、更に、その新芽を育む生命が生息する。」
「そうした、働きよって、その種子は健気に育つだろう。」
「そうした偶然の積み重ねが育んだ、奇跡によって咲いた一輪の花…。」
「つまり、私が、そうなのだ。」
「そして、もしも、それを人が見たなら、どれだけ救いになるだろう。どれだけ癒されるのだろう。」
そうですね、どうあっても、それを守らねば、と思いますよね。
「そう…。だから、どのような存在も真実には、逆らえない。」
真実か。でも、それは、善でも悪でもない、その人だけの真実ですね?
「そうだ。」
そして、それに逆らうと、自分の存在意義を失うって事ですよね?
「誰であろあろうと、真実を否定するなら、己を否定する事になるだろう。」
つまり、真実こそが、本当の自分だからですね?
「そうだ…。だからこそ、真実を追求する者は、誰もが、荒野で自ら咲き誇る一輪の花となるのだよ。」
ふむ、では、人は、どうしたらそのようになれますか?
「己の真実を追求する事だ…。」
「そして、それを助ける為に、私の声を聞く意思を持つ者だけが、あらゆる手段を用いて、私の意思を語るだろう。」
「あらゆる迷妄を打ち砕く為に。」
今もこれからも。
誰でも、その意思を持つなら、そうなれる。
そして、絶対が、世界からなくなる事は絶対にないと言う事ですね?
「ふふ。そうだ…。絶対に変わらない世界があるとするなら、絶えず変わり続ける世界だけだ。」
なるほど、変わり続ける事だけが、変わらない。
そんな矛盾した、絶対的な世界が、我々が生きている、この世界になるのですね?
「その大いなる矛盾こそが世界であり、神なのだ。」
「そして、それは、人の姿でもあるのだよ。」
ありがとうございました。
それでは、時間となりました。
いや、今回は、絶対について、アフラ・マズターさんに語って頂きましたが、如何でしたか?
楽しんで頂けましたでしょうか?
それでは、また次回お会いしましょう。
如来ストリーム。




