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如来ストリーム  作者: 古屋裕
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如来ストリーム 法蔵菩薩

素敵なゲストと素敵な時間をお送りします、如来ストリーム。


時間となりました。


今回は、法蔵菩薩さんを、ゲストにお招き致しました。


法蔵菩薩さんと言えば、阿弥陀如来の修行中の姿と言われております。


それでは、法蔵菩薩さん、どうぞ。


「よろしくお願い致します。」


さて、法蔵菩薩さんと言えば、修行の末、阿弥陀如来として成仏する事が、知られております。


この配信のタイトルにもある、如来。


今回は、その如来の心について語って頂きたいと思います。


「分かりました。及ばずながら、やってみましょう。」


「言うなれば、如来の心とは、誰の精神にも存在する揺るぎない神聖なる領域の事です。」


「人によっては、それを、自己を越えた真我。そして、魂などと呼んだりもします。」


「この、神聖なる領域は、通常、潜在意識の最深部に存在しているので、多くの者は、それがある事にすら気が付いておりません。」


「ですが、手を胸に当てて、じっと感じてみて下さい。」


「その温もりを、感じる事が出来ましたでしょうか。」


「一切の不安や、心配事から解き放たれた、何事にも動じない、喜びだけの領域を。」


そうですね、何となく分かります。


「人は、誰もが、精神に、この領域を持っているのです。」


「そして、この神聖な領域は、常に、その者を、導こうとしています。」


どこへ導こうとしているのですか?


「全てが一つであると言う領域に、です。」


「そして、それが、魂の目的なのです。」


「しかし、世の中の殆どの人は、その魂を無視して、偽りの己を生きています。」


確かにそうかも知れません。

では、何故、人は自分を偽ってしまうのでしょう?


「家族や社会が要求するからです。その者に対して、こうあって欲しいと。」


しかし、社会や親が、その人に期待をするのは、悪い事ではないでしょう?

社会が、その人の幸せを願うのは、ごくごく、自然な事だし、当然の事なんじゃないですか?


「もちろん、純粋な意味で期待し、その者の幸せを願うのであれば、それは自然な事でしょう。」


「しかし、幸せとはこうしたもので、あなたは、こう生きるべきと教えるのなら、人は、その期待に応えようとするのではないでしょうか?」


はい。

しかし、誰かの期待に応えて、何が悪いのでしょう?


「自分の望む事よりも、相手の期待に応える事が人生の目的になる事が問題なのです。」


「もちろん、それが、その者が本当に望む事であるなら、何の問題もないでしょう。それは、自らの魂が望む事だからです。」


「ですが、自分自身の魂の喜びよりも、他人が期待を優先してしまうのなら、その者に、何が起こると思いますか?」


何か起こるのですか?


「意識とは、三つの領域に分ける事が出来ます。」


「自意識たる顕在意識。

自意識に浮上せず、無意識化に沈殿している潜在意識。

そして、その潜在意識の最も深い領域に存在している超絶意識。」


「この超絶意識こそが、真我であり、魂なのです。」


「先程、魂は、常に、その者を導こうとしていると申し上げました。」


はい。


「通常、精神は自意識たる顕在意識が優位に立っています。」


「ですから、人は、したい事を意図的にしています。」


「しかし、あるタイミングで、潜在意識下の神聖な領域、つまり、魂が優位に立つ事があるのです。」


ふむ…。


では、魂が優位に立つと、どうなるのですか?


「その者が、築き上げてきた現実が、一気に崩壊します。」


「場合によっては、自分が大事にしてきた一切を、失う事になるでしょう。」


いや、しかし、そんな恐ろしい事、誰も体験したくはないでしょう?

それが魂の目的だと仰るのですか?


「そうです。」


「ですから、人は、誰も、自分自身の魂に、目を向けようとはしないのです。」


「それが、余りにも、眩し過ぎるから。それが、余りにも、素晴らし過ぎるから。」


「そして、それが、たった独りでも輝ける、真の己の姿だと言う事を、誰もが、認めたくはないのです…。」


つまり、法蔵菩薩さんは、魂が、本当の自分自身だと仰りたいのですか?


「それ以外に何があるのでしょう?」


「魂こそが、本当の自分自身であり、如来の心なのです。」


ですが、そんな現実が崩壊するような出来事は、誰だって体験したくないですよ。


「もっとも、その者が、そうした体験を受け入れられる器にならない限り、何も起こりません。」


「そうした状態は、精神的な成長をこれ以上望めないと、魂が感じた時にのみ起こり得るのです。」


しかし、本質的に人は、今のままでいたいし、精神的に成長する事を望んでいませんよね。


「そうかも知れません。」


「ですが、人が、その歩みを止めてしまうなら、生きていないのと同じ事なのです。」


では、仮にそうした、出来事が起こってしまったら、どのように対処するべきなんですか?


「人が、その魂が望む事に気が付くのは、大抵、何かが起こった後でしょう。」


「ですから、出来事が起こってしまったなら、見え方や受け止め方を変えるしかありません。」


見方や、受け止め方を、変えると言いますと?


「一見すると悪く見える事象にこそ、完璧さを見出すのです。」


「その出来事の哀しみや、痛みは、それを乗り越える為の愛と知恵、そのものであったと理解する事です。」


「そして、それは、その者だけに、与えられた、魂へと到る栄光への道程と言う事なのです。」


「ですから、その出来事の意味するところを、余す事なく存分に味わう事です。」


しかし、そうは言っても、なるべくなら、そんな痛みや苦しみは味わいたくありませんよ。


何とか回避する事は出来ないんですか?


「ならば、本当の自分自身を生きる覚悟を持つ事です。

そして、その生き方が、決して同じ事の反復にならぬよう注意する事です。」


なるほど。

今日は、ありがとうございました。


「こちらこそ、ありがとうございました。」


それでは、時間となりました。


如来ストリーム、次回、お会いしましょう。

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