如来ストリーム カーマデーヴァ
やあ、皆さん。
素敵なゲストと素敵な時間をお送りする、如来ストリーム。
楽しみに待っていてくれたかな?
本日のゲストは、ヒンドゥー教の愛欲の神、カーマデーヴァさんに、お越し頂きました。
それでは、カーマさん、よろしくお願いします。
「どうも、よろしくお願いします。」
さて、カーマさんは、ヒンドゥー教に関わる神と言う事なのですが、少し自己紹介をして頂いてもよろしいでしょうか?
「そうですね。それでは、早速。」
「リスナーの皆さま、初めまして。
カーマデーヴァと申します。」
「私は、日本では、あまり馴染みがない存在だと思いますが、西洋では、キューピッド、日本では、愛染明王としても活躍しています。」
「私の持っている弓で、ハートを射られたのなら、どんな朴念仁だって必ず恋に落ちると言う、愛の神でもあります。」
「ですが、私は、人の縁を取り持つ神と言う側面と、修行者の邪魔をする、マーラと呼ばれる悪魔としての側面があるのです。」
ああ、そうですね、確かに、カーマさんと言えば、カーマ・マーラと言って、第六天魔王と同様に、仏道修行を妨げる魔王としても、有名ですからね。
「そうですね。」
「しかし、神と悪魔が存在するなら、両者は、常に離れず、一緒に行動を共にするものだと、そう思いませんか?」
う~ん、そう言うものですか?
言いたい事は分かりますが、なかなか、そう言った話は受け入れられないと思いますよ。特に、西洋のキリスト教文化圏とかでは。
「もちろん、神だとか悪魔の例えは比喩ですよ?」
「私が言いたいのは、物事の側面には、常に対局が、同時に存在していると言う事です。」
ああ、何度かこの配信でも語られたお話ですよね。
「人体には、チャクラと呼ばれるいくつかの、エネルギーセンターが存在しているのをご存知ですか?」
聞いた事はあります。
「分かりやすく言うなら、私は、仙骨周辺に存在する、根のチャクラを神格化した存在です。」
「根のチャクラの働き、つまり、私の働きによって、人は、生命活動を維持する為の欲求を抱くと言う仕組みなのですが。」
生命活動を維持する為の、欲求ですか?
「そうです。私は、人の生命力を司る存在です。」
「そうした、生命を維持する為の欲求、例えば、性欲や、物欲、食欲と言ったような。」
カーマさんは、つまり、欲求そのものなのですね。
ああ、なるほど。だから、修行者の敵にされたのですね?
「そうですね。」
「ですが、もしも、根のチャクラである、私の働きが無ければ、人は、肉体を維持出来ずに、崩壊してしまうでしょう。」
ふむふむ。
「例えば、仏教には、生死即涅槃、煩悩即菩提と言う考え方がありますが、ご存知でしょうか?」
確か、密教の教えですよね。
苦しみが無ければ、涅槃は無いし、煩悩が無ければ、菩提心も存在しないと言う事ですよね?
「そうです。」
「私はヒンドゥーの神ですが、まったくの無関係と言う訳ではありませんから、ここからは、少し、仏教的なお話をさせて頂きましょうか。」
「例えば、修行者は、人々を救済すると言う考えを抱き、煩悩を滅して、菩提心、つまり、悟りを求めますね?」
はい。
「ですが、その煩悩を滅すると言う、心こそが、煩悩の正体なのです。」
「しかし、あるタイミングで、煩悩を滅すると言う考えそのものが煩悩である事に気が付いたならば、そこには、必ず悟りが存在しているでしょう。」
はい。
「要するに、悟りは、初めから存在しているのです。
しかし、その悟りに気が付く為には、必ず、煩悩が必要となるのです。」
ふむ、確かに、そうですね。
「そうであるなら、煩悩こそが、悟りの正体と言う事になりますね?」
はい。
「だからこそ、私は、欲を司ると同時に、愛をも司るのです。」
「もしも、人が欲を否定するなら、そこに愛も存在しませんね?つまり、そう言う事なのです。」
う~ん、しかし、貪欲な人を見れば、浅ましさ感じませんか?
「そうかも知れません。しかし、貪欲は悪い事で、いけない事だと考えるなら、それもまた、別の形の貪欲さなのでは、ないでしょうか?」
「人は、何かあれば、善悪と言った二元論に陥ってしまいますが、区別すると言う事は、差別すると言う事に他なりません。」
「ですから、貪欲さが悪いと言う前に、貪欲さの正体を探らなければ、決して、その貪欲さからは、自由になれないでしょう。」
はい。
「貪欲さとは、つまり、快楽に対する欲求です。」
「もしも、人が快楽を追い求めるなら、その人には、どのような事が、起こるのでしょう?」
「快楽を追求すればする程、それは、必ず苦痛をもたらすのではないでしょうか。」
う〜ん、確かに、そうですね。今の世は、人が快楽を追求し過ぎた所為で、苦しみが蔓延しているのかも知れません。
「ならば、快楽の正体とは苦痛なのです。」
「ですから、良い悪いではなく、快楽を追求する事は、誰の為にもならないのです。」
ああ、確かに良い悪いと言う考え方も、ある種の快楽ですからね。
善を、追求すればする程、その人の悪は肥大化して行くと思いますから。
「そうですね。」
「ですから、良い悪いではなく、その時々に応じて、為になるかならないか、役に立つか立たないか、と言った考え方をする方が、苦痛からは、自由になれます。」
ふむ…。
なかなか、為になるお話ですね。
「ふふ。もっとも、人は、肉体に宿る限りは、苦痛を免れないのかも知れません。」
しかし、苦痛から逃れたいと言う心もまた、苦痛の正体なのですよね?
「もちろん、肉体に宿る上で、必ず付きまとう苦痛と上手に付き合う事は可能です。」
「そして、その為には、私との付き合い方を、人は良く知らねばならないのです。」
「私は、その為に今回、こうして、欲について、語らせてもらったのです。」
なるほど、確かに、人が、生きて活動する醍醐味は、イライラしたり、ムラムラしたりする事ですよね。
ですが、欲との付き合い方を知らず、欲を否定したり、溺れてしまう事は、決して人の為には、なりませんからね。
今回は、ありがとうございました。
「こちらこそ。」
それでは、時間となりました。
また次回お会いしましょう。
如来ストリーム。




