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和香和影(においとかげと)

12時半を廻った頃、俺は新幹線の車内ではなく、特急の車内に居た。上半分が白く、下半分が青く塗り分けられ、機関車の正面の黄色が映えるこの列車は、『スーパー白鳥』という。

八戸を12時16分に出て、青森を経由し、青函トンネルを潜って、15時過ぎには函館に着く。俺は、後10分ほどで到着する野辺地駅で降り、そこから鈍行に乗り換えて下北に向かう。


(本当に、これでよかったのかな…)


八戸駅では、どうするかを決める時間が殆ど無かった。

仙台行きの新幹線も青森行きの特急も、10分もすれば出発してしまうところだったのだ。急いでどうするか決めなければならなかったが、結局俺は在来線のホームに行って、特急に乗り込んでしまった。

俺は、ポケットから二つ折りになった紙を取り出して、また眺めた。

『終着点

 青森県下北郡大間町××−××

             結慧』

「……」

正直な事を言えば、俺は少し後悔し始めていた。

この女の人に辿り着く直接の、そして唯一の手掛かりが、この紙に書かれた大間の住所だ。ここに行けば、何かがはっきりする。この人の実家とかかもしれないし、友達の家とかかもしれない。いずれにしても、それは確実だ。

だが、突然の事態で向こうも混乱しているだろうから、冷静に考えれば、仙台に留まっている可能性のほうが高いはずだ。もしかすれば、母さんや友達にうまく事情を説明して理解してもらえる可能性もあったかもしれない。

なのに、俺は新幹線に乗らずに大間に行くことに決めてしまった。

それは、この紙に書かれている『終着点』という言葉が、どうしても気になったからだ。何か言い知れない気持ちが、このたった三文字の言葉にこめられている気がした。

(…どーしてだろうな…)

元はと言えば赤の他人の事だ。だのに、俺はこんな遠出までして無駄骨を折っている。

その理由が、自分でもよく分からない。無性に落ち着かなくて、俺はよく膨らんだお腹ばかりを手でなぞっていた。



特急の旅は、これと言って何事もなく終わってしまった。

30分程度座っているだけで、俺はローカル線風情の漂う駅舎に降り立った。例の謎の痛みも、特にやってこなかった。

その後、俺は昼1時過ぎにやってきた鈍行列車に乗り込んだ。降りる予定の下北駅には、2時過ぎに着く。都合約1時間程度の旅路だ。

列車の中はガラガラで、俺以外には地元の人らしいお年寄りが数人と、若い女の人が一人乗っているだけだった。俺は、窓際の席に腰を落ち着けて、一息をついた。目的地に着くまでの間、何をする用事もない。窓の外の風景をのんびり鑑賞することにした。


ガタン、ガタン、ガタタン、ガタン…。


「それにしても、いい天気だよな…」

今まで、ジェットコースターもかくやといったばかりに移動してきたせいもあって、俺は周りの風景に眼を配っている暇がまったくなかったのだ。

しかし、少し落ち着いて窓の外を見渡せば、右手には真夏の太陽と憎たらしいほどの空に彩られた青緑の大地が、左手には線路のすぐ傍まで迫った碧い海が、地平線の彼方まで果てしなく続いている。

特別鉄道に興味のなかったが、この列車旅の風景は俺に無条件の幸福感を与えてくれた。

「マジで、フツーの旅行で来たかったよなあ…」


ガタン、ガタン、ガタタン、ガタン…。

今まで乗ってきた列車の中でも一番遅い鈍行車両の、レールの繋ぎ目の上を通る時のガタンガタンという音が、心地よいほど身体にしっくりと響いてくる。

「おおっ」

列車に乗って2〜30分くらい走っていると、右手に広大な菜の花畑が見えてきた。

菜の花畑は、まるで太陽の光をそのまま閉じ込めたような、眼も眩むほどの眩しい黄色をこんこんと湛えて、のびのびと地平線の先に広がっていた。

ふと見ると、菜の花畑の傍の道を、二人の親子連れが歩いていた。

父親らしい若い男の傍を、幼稚園くらいの白い帽子を被った小さな女の子が、それは楽しそうに、満面の笑顔を浮かべて歩いていた。

こんなに菜の花に似合う風景なんて、そうはない。見ているだけで、こっちまで笑みがこぼれるようだった。

列車はあっという間に二人を追い越して、二人を地平線の彼方に消してしまった。

「…お前も、そのうちああいう風に笑うようになるんだろーな…」

もちろんそれは、この身体が無事に元の持ち主の元に戻れば、の話だったけれど。

俺はまた、膨らんだ腹を手でなぞっていた。


下北駅に着いた時には、あれほど晴れていた空に少し雲がかかってきていた。

下北駅はごく普通の田舎駅といった風情の駅だった。ホームに降りると、「下北駅」という立派な駅名のついた木の看板に出迎えられた。

聞いた話だと、この駅が本州で一番北にある駅なのだそうだ。昔はもっと北にも線路が伸びていたらしいが、7年も前に廃線になったらしい。確かに、ホームに沿うように、線路の跡らしい草ぼうぼうの不自然な空き地が広がっていた。

「さて…」

大間までは、バスかタクシーを拾わなければならない。俺は、壁に貼り付けてあったバスの時刻表に眼を凝らしてみた。

「んー…と、どれに乗ればいいんだ…?」

「お客さん、どこさお出かけ?」

その時、後ろから声がかかった。振り返ると、一人のタクシー運転手風のおじさんだった。ドアの向こう、出入り口の傍には、一台のタクシーが止まっている。

「恐山行くんなら、バスよか俺の出番だな。安くしとくよ」

なかなか商魂逞しいおじさんだった。タクシーのメーターに安くするも高くするもない気がしたが、とりあえず黙っておいた。俺は「大間に行くんですけど」と言って、住所の書かれた紙を取り出してタクシーの運ちゃんに見せてみた。

「何だ大間までか。だったらしょうがねえな、バスに乗った方が安いわ。そこのバス停に、もう少しくらいで来るからよ、待ってな」

「ども、すいません」

「いいっていいって。あんたみたいな美人なら半額でも乗せてやんだけどよ、会社がうるせーしな、ガソリンがたけえの何のってよ、ケチケチすんなっていっつも言ってんだけどな、ハハハハハ」

俺は、豪快なおっちゃんに見送られながら、外のバス停に向かった。

初めての場所ばかりの割には、順調な旅路だった。俺は、少しずつ気が楽になっていくのを感じていた。


「にしても、あのねーちゃん…あんなところに何しに行くんだろうな…」

だから俺には、運ちゃんのその言葉が、聞こえなかったのかもしれない。

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