往路復路(ゆきつもどりつ)
午前11時半。
東北新幹線『はやて』は、東京からの長い旅の終着点、八戸駅に辿り着いた。
八戸駅はの駅舎は何年か前に出来たばかりの新築だと聞いていた。その綺麗で広く大きな建物は、仙台駅よりも真新しく白く見える。
「戻る新幹線は…12時過ぎか」
時間があるのを確認した俺は、息を切らしながら階段をゆっくり上り、改札を抜けて、「うみねこロード」という名前のついた広いコンコースへと出た。
「こーいうでかい駅なら…フツーはあるはずだよな…」
きょろきょろとあたりを見回しながら、俺はしばらく辺りをうろうろとした。そして、直ぐにお目当てのものを見つけ出した。
「あった! 本屋だっ」
目論見どおり、コンコース内には全国チェーン展開している本屋が入居していた。店内では、次の列車を待っている人たちが、立ち読みをしながら暇を潰している。
俺は本屋へと入ると、育児関係の本が置いてあるコーナーを探した。駅にある本屋にそんな本が置いてあるものか疑問だったが、しばらく探していると何冊かの育児や妊娠に関する書籍が見つかり、俺はそれを迷わず手に取った。
『新米妊婦さんガイドブック』
『0歳からの育児』
『私の子供がマスタースパーク』
「………」
こんな腹がでかくなってから育児関係の本を買い込むだなんて、さぞかしバカな妊婦に見えたことだろう。レジの女の人が俺のことを少し不審そうに見ていたが、俺は強い精神力を発揮して頑張って無視することにした。
「後は…とりあえず」
駅を出た俺は、売店で昼飯を買う事にした。妊婦の身体というのはエネルギーを食うらしく、訳の分からない事態に巻き込まれて気疲れしたのも相俟って、腹は膨らんでいるのにぺこぺこに凹んでいるあべこべな状態になっていた。
「おお」
売店に入ると、いかにも食欲をそそりそうな駅弁の数々がショーケースにずらりと並んでいるのが目に付いた。
和牛めしとか、うにバクダンとか、そんな名前の付いたすげえのが並んでいる。
「………」
(バクダンというか、俺んとこの爆弾がな…)
俺一人なら喜んで食べるところだったが、この身体は塩分だの脂肪だの色々うるさいんじゃないかと思って、結局俺は、普通の梅干しの入ったオニギリとお茶にしておいた。
これで足りるかどうか分からないが、まあ乗り物に乗ってるだけなら平気だろう。
「…さてと」
適当なベンチに腰かけると、オニギリを片手に本をパラパラと捲った。まずは、すぐに“あれ”の事を調べなければならなかった。
「…陣痛…陣痛…」
本には、陣痛の事が妙に優しい語り掛けるような文章で、丁寧に書かれている。
陣痛の種類と症状。
陣痛には、二種類があります。一つは前駆陣痛で、出産の少し前に起こります。二日前位に起こる人も居れば、二、三週間前から起こるという人も居ます。痛みは不規則に起こり、強くなったり弱くなったりしますが、やがて収まってしまいます。
もう一つが本番の陣痛で、痛みが規則的に起こり、次第に間隔が短くなっていきます。間隔が十分前後になると、出産が間近になります。
自分でどちらなのか分からない場合は、我慢せずに病院に相談しましょう…。
「……ふぅん」
一通り読んでみた後、なんだか妙に生々しい気持ち悪さを覚えて、俺は少し本を閉じてお茶を一口飲んだ。その後、女ってすげえ、と率直に思った。
「けど、違うな」
今の俺の身体には、痛みは全くと言って良いほど無かった。そうなると、前駆陣痛という奴の可能性がある。だが、俺の感じたのは気絶するくらいの痛みなので、これとは少し違う。かといって、今すぐ産まれるというような感じもしない。そもそも、こいつが妊娠第何週目なのかも分からないのだから始末が悪かった。
陣痛じゃなかったのなら、何だというのだろう。ただの腹痛だろうか。それとも、何か持病か何かがあるせいなのか…。
しばらく本をあさってみたが、結局、何もかも分からずじまいだった。
(ふー…だめだこりゃ、さっぱり分かんねぇ)
本をパタンと閉じると、自然とため息が漏れた。なんだって俺はこんなトコで梅干しオニギリ片手にこんな本読んでるんだろうと、自分の行動が自然と馬鹿馬鹿しく思えてきた。
「よう、お前さ」
俺は、腹を撫で回しながら呟いた。
「お前の母ちゃんはどんな人なんだ? いっつも一緒に居たんだろ、お前は? お前が喋らねえとこっちが困るんだよ、名前でも住所でも何でも良いから教えろよ…」
当然、答えが腹の中から帰って来る訳もない。寝てるのか起きてるのか、返事一つくれなかった。もっとも、そんな事は当たり前だが…。
「ちぇっ…。冷たい奴だな、お前は…」
時計を見ると、時刻は11時50分を回っていた。
帰りの新幹線の改札はとっくに始まっている。復路の切符は持ち物の中に見当たらなかったので、新幹線の切符を買い求めようと、切符売り場に急いだ。
歩きながら俺はふと、どうしてこの女の人は片道の新幹線の切符しか持っていなかったのだろう、という疑問に思い当たった。
仙台に戻るつもりはなかったのだろうか。という事は、やっぱりこっち方面に住んでいる人なのかもしれない。ただ、それにしては持ち物が全然無いのが気になる…。
ドンッ!
「あっ!」
身体に何かぶつかったような衝撃を感じて、俺は立ち止まった。目の前には、何処にでも居るようなサラリーマン風の若い男が立っていた。考えながら歩いていたせいだろう。この男と歩きながらぶつかってしまったらしい。
「す、すみません。大丈夫ですか!?」
「いや、大丈夫です。平気です」
男はしきりに申し訳なさそうな顔をしたが、別にぶつかったくらいでどうということもない。俺はもう一度、平気ですと言って、また歩き出した。
「あ、待って! 落としましたよ!」
数歩歩いたところで、後ろから男に呼び止められた。振り向くと、男は俺の(もといこの女の人の)財布を手に持っていた。
「今、ポケットから落ちたんです。どうぞ」
「あ、どうも…」
男から財布を受け取った時、財布の隙間から一枚の紙きれが床にさっと落ちた。男が俺を片手で制して、紙を拾ってくれた。どうやら、札束の間か何かに挟まっていて、最初に調べた時は見逃していたらしい。
二つ折りになった紙を開いてみると、紙には薄い文字で、何処かの住所が書いてあった。
『終着点
青森県下北郡大間町××−××』
その少し下に、同じ薄い字で、誰かの名前が書いてある。
『結慧』
名前は、一度書いた後に、横線を引っ張って消されていた。
「あの、大間ってどう行けばいいんですか?」俺は傍に居た男に聞いた。
「え、大間ですか? 大間なら、特急に乗らないと。次の16分に出るスーパー白鳥に乗って、野辺地駅というところで下りて、大湊線に乗り換えればいいと思いますよ。でも、その後は列車はないから、バスかタクシーで行かなきゃ駄目ですね」
「行くのにどれくらいかかります?」
「うーん…そうだな。4時間くらいはかかるんじゃないですか。今から行くとしても夕方になるんじゃないかな」
俺は、また紙切れに目を落とした。
どうやら俺は、この女の人が残していった唯一の手がかりを見つけたようだ。
コンコースに、12時を知らせるアナウンスが響いた。