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無尋処(たずねようもない)

「………」


それから数分後。俺は新幹線の入り口ドアの前でうなだれていた。

何の手違いか自分が何処かの女と入れ替わってしまったこと、そしてよりにもよってその女が妊娠していたという事実が、俺を言い様のない重い感覚の中に叩き落していた。


こうしてうな垂れている間にも、腹を触ってみれば其処に絶対的な存在感がある。


(どうしろってんだ俺に…)

これが普通の女だったなら、「俺があいつであいつが俺で〜!」と騒いでみたり、「い、いいよな、ちょっとくらい。今は俺の身体なんだし…」とか、色っぽい声遣いでもして身体検査してみたかもしれない(俺だって男なんだからしかたないだろう)。

けれど、相手が妊婦だというだけで、そんなアホな考えは台風に煽られた灌木よろしく根こそぎになって何処かに吹っ飛んでいき、代わりに道義的問題と倫理的問題の洪水が押し寄せてきた。

むしろ、とんでもない責任のようなものを背負わされている感覚がある。もしも俺が何か間違って、お腹の子供やこの人に何かあったら、責任問題とかいうレベルじゃないのは明白だった。

そして何より、もしこのまま元に戻れなかったとしたら……?


(爆弾だ……)

爆弾。

その言葉がピッタリだった。この大きなお腹の中に、赤ん坊じゃなく、掛け値なしの巨大な爆弾が埋め込まれているような気がした。

もし、もしもだが、今のまま元に戻れないまま何日も経って──それで、この爆弾が「爆発」するようなことになったら、俺は…?

(…やめよう、んな事考えるのは。それより、早く仙台に戻らないと。それから、自分の電話に連絡をとろう)

俺は頭を振って、悪夢を必死に振り払った。

その時、窓の外の果てしなく続いていた田園風景に少しずつ灰色が混ざりはじめ、建物が増え始めたことに気が付いた。列車は速度を落とすことなく街中に入り、やがて大きな駅に進入したが、ホームには止まることなく通り過ぎてしまった。

「待てよ、こいつもしかして、止まらないやつか…?」

ドアの脇に、ちょうど良く時刻表が掲げられているのが見えた。

腕時計の時間とあわせて調べると、今乗っている新幹線が「はやて」であり、このまま盛岡までは止まらないことが分かった。

「盛岡で乗り換えて、12時半前には仙台に戻れるか…。くそっ、しょうがねえな…」

気持ちとは裏腹に、どんどんと列車は北上を続けている。戻りたい場所があるのに、当分は逆走しなければならないと考えると、焦りばかりが募った。


とにかく俺は自分の携帯電話に連絡を取ってみる事にした。携帯電話は無いので、代わりに車内の案内図に従って公衆電話のある車両を目指して走り出した。

(はぁっ、はぁっ、…この、体、息が続かねっ…!)

走ってみると、体の違いはすぐに分かった。

健全な男子高校生と違って、この体は恐ろしく融通が聞かなかった。ただでさえ体が重いのに、巨大な爆弾入りの腹がいちいちつっかえて死ぬほど動きづらい。

全身が水風船のように浮腫んでいるような気がするし、その割には体中にウェイトでも仕込まれているような感じがして、狭い客車の通路を歩くのさえ一苦労した。そんな様子を見かねたのか、すれ違う人がいちいち道を譲ってくれるのが有り難かった。

「よっしゃ…! やっとたどり着いたぜ…!」

冗談抜きで息も絶え絶えになりながら灰色の公衆電話のあるデッキにやってくると、俺は迷うことなく100円硬貨をぶち込み、いつもの自分の番号にダイヤルを掛けた。これで相手を捕まえさえすれば、後は元に戻る方法を探すだけのはずだ。簡単なことだと思った。

5コールくらいしてから、ブツリという音とともに、誰かが電話に出た。

『はい、もしもし』

「っ!?」

俺は一瞬受話器から耳を離した。

受話器の向こう側から聞こえてきたのは、聞いたこともない鷹揚な野太いオッサンの声だったからだ。

『もしもし? もしもし?』

「あ、あのー…もしもし? 誰…ですか?」

『こちらは仙台駅の忘れ物センターですが。あなた、この携帯電話の持ち主さんですか?』

「あ…あ、いや…違う…いえ、違います」

希望が急速に萎んでいくのを感じた。想像していなかった事態だった。

『そうですか。それじゃあ、持ち主のお友達か誰かですか』

「…ああ、はい。まあ、そんなところです…その携帯、落し物に届いてたんですか?」

『ええ。ついさっき、駅の構内で、高校生の男の子が見つけてくれましてねえ。あなた、持ち主のお友達ならご連絡先をご存じないですか…』

受話器を置いた後、俺はまたしてもがっくりとうな垂れた。

携帯電話は、つい30分ほど前に仙台駅で拾われて届けられていたらしい。ということは、仙台駅でこの体の持ち主とぶつかってからすぐということになる。

ぶつかった時か、それともその後か─それは分からなかったが、この体の持ち主は俺の携帯電話を落としてしまったらしかった。

一応、連絡先として家の電話番号を伝えておいたので、今頃は母さんあたりが落としものが見付かった事を聞いているころだろう。といっても、それが何の意味もないことは、明らかだったが…。


その後少し間をおいてから、俺は中学の頃の同級生の女の名前を騙って自分の家に電話を掛けてみた。

『あらあらまあまあ!お久しぶりで!うちの子がお世話になっちゃって〜!』などと世間話に花を咲かせようとする母さんを制止して(ちなみに、この同級生と俺の母さんは会った事も話した事も無いのだが…)、家に俺が帰っていないかを確認したが、結果は否だった。

九時半に家を出てから、俺から連絡はないという。


「………」


列車は、盛岡へと差し掛かりつつあった。

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