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玫瑰(はまなす)

「結慧さん、あのデカイ塔みたいなのは……?」

「ん?」

フェリー乗り場に向かうタクシーの途中で、俺は白くて背の高い塔に似た建物が遠くに聳え立っているのを見た。

「ああ、あれはね、函館タワーよ。数年前に建てられたの」

「へえ。あれが……」

「昔はもっと小さくて古いタワーだったんだけど、建て替えられたのよ。あのタワーのふもとにあるのが、新撰組が戦った五稜郭」

そういえば、前にネットの動画サイトで、あのタワーが変形してイカの宇宙人と戦う動画を見たことがある。確かにあれに間違いない。

一瞬、折角だから寄っていくか、なんて考えが頭を過ぎったけれど、今はそんな場合じゃないという事を改めて思い出して、少し気分が凹んでしまった。

朝の七時半。函館タワーに背を向けて、俺と結慧さんを乗せたタクシーは、フェリー乗り場を目指していた。


大間に戻ろうと結慧さんに切り出したのは、昨日の夜のことだった。

そう考えた理由はいくつかある。一つは結慧さんのことだ。

結慧さんは状況が状況だから出来るだけ協力すると言ってくれたが、結慧さんにも教師の仕事がある。

特に今回は俺を助けるために、急に休みを取って付き添いに来てくれたそうだ。となれば、学校の同僚の先生たちに頭の一つも下げて来たはず。いつまでも付き添ってもらうわけにはいかない。

幸い、一日休んだ身体の調子は、それほど悪くはなかった。相変わらず身体は重たかったが、出歩けないほどではなくなっていた。

大間に戻るなら今しかない。退院すると言い出した俺をあわてて引き留める先生に謝り倒して、なんとか俺と結慧さんは病院を抜け出すことに成功したのだった。


「これなら、時間はまだ余裕がありますね」

「ええ。病院の先生には悪いことしちゃったけどね」


俺は頷くと、車窓から後ろに向かって流れていく街の様子を眺めた。

結局俺は、たった数日、それもベッドの上で寝て過ごしただけで、北海道を離れなければならなくなった。当たり前のことだが、その間美味いものや綺麗な所にお目にかかる機会はまったくなかった。

状況が状況だから仕方がないけれど、俺の初めての北海道体験は、クソミソな結果に終わったのでした……と愚痴の一つも言いたくもなる。

「せっかく函館まで来たってのに、何処も見れなかったな」

やれやれ、という風に大げさにジェスチャーしてみせると、結慧さんはくすりと笑った。

「次は普通の旅行に来たらいいよ。函館は観光スポットもいっぱいあるし、今度は彼女さんとか連れてきて、ね。札幌や旭川にも足を伸ばしたら、もっと面白いし」

「ま、まあ、その前に彼女を作んなきゃいけないですけどね、その場合……」

「あはは」

「ははは。そうですね、それがいいな。それが……」

そうできたらいい。今度は、普通の旅行で。

「うん。でも、そうね……運転手さん、緑の島に行って下さい」

「緑の島?」

「ほんの少しだけ、観光しましょうか」


進行方向を変えたタクシーは、海をバックに聳立する函館山の方角に向かって進んだ。あの山が、テレビとかで良く見る函館の夜景を撮っている所だ。

函館駅前を通り過ぎ、山の麓が少しずつ近づいてくると、途端に町の雰囲気ががらりと変わって、コンクリート造りのレトロな洋風建築が、通りの両脇に軒を連ねている。

タクシーの進行方向からは、ベージュとダークブルーで車体を塗られた古めかしい路面電車が現れて、俺達とすれ違った。

海沿いの道を進むにつれて、次第に遠くに木々の生い茂った島が見えてきた。タクシーはその島に架けられた橋を通り過ぎて、公園の入口の駐車場で停まった。結慧さんはタクシーをその場で待たせると、俺の手を引っ張って階段を上った。


「あ……」

「どう?」

階段を上った先には、眼前には一面に青い海と、対岸には函館港とベイエリアの景色が広がっていた。『森』と壁に書かれた倉庫や、岸に停泊している大きな船は、雑誌か何かで見覚えがある。空は少し曇って太陽が隠れていたけれど、空気が澄んでいてとても気持ちがいい。

「綺麗です。ホントに」

「前は港にゴライアスクレーンがあって、もっと見栄えがあったんだけどね。でも、ハマナスもちゃんと咲いてるし、まずまずかな」

緑の島のあちこちに、ピンク色をした大きな花が咲いた灌木が植えられていて、それがこの景色の中に良くなじんでいる。

しばらくの間、俺と結慧さんは、景色以外は何もないその場所に佇んでいた。


「ねえ」

浜辺を眺めながら、不意に結慧さんは俺に尋ねた。

「みどりは……大間に戻ってくると思う? 君は」

「……」

俺が大間に戻ろうと考えたもう一つの理由は、もちろんみどりのことだった。

みどりに縁深い大間に居れば、あるいは函館や仙台に居るよりは、何か情報が得られる可能性があるのではないかと思ったのだ。

何より俺は、あの財布の中のメモの事が気にかかっていた。

あのメモには、結慧さんの名前があった。今から死ぬという人が、古い友達の名前を書き留める理由。それは、結慧さんに会いたかったからじゃないのか。会って、何か話をしたかったからじゃないのか……。

線で引っ張って名前を消していたのは、迷っていたからかもしれない。自分が親友から奪った恋人の子供を宿したまま、その恋人に捨てられたからといって助けを求めるというのは、どれほど厚顔無恥な人でもそうそう出来ることじゃない。

「……わかりません。けど」

「けど?」

「結慧さんを助けたっていう、あの頃のみどりさんなら、きっと戻ってくると思ったんです」

「……あの頃の、みどり」

それでもなお、みどりは結慧さんに会いたかったはずだと俺は考えた。

みどりと結慧さんは、もっと強い絆で結ばれた親友のはずだと、俺は信じたかった。

だから、俺は大間でみどりを待つ事に賭ける。みどりを探す方法のない今、それがもっとも大きな可能性だった。

「どうだろう。どうなのかな……。私もみどりも、あの頃から変わっちゃったかもしれない」

結慧さんは、白く飛沫をあげる海をみつめながら、そうつぶやく。

「変わらないものだって、ありますよ」

俺の言葉に結慧さんは微笑んで、ゆっくりと顔を上げた。

「ありがと」

曇りがちだった空に少しずつ太陽の光が差し込んで、結慧さんの微笑んだ顔を照らした。


* * *


俺と結慧さんを載せた「ばあゆ」という名のフェリーは、ゆっくりと函館港のフェリーターミナルを離れ、くぐもったような、唸るような様な音をたてて海原に向かって進み始めた。

朝の九時半。ここから、大間に着くまで1時間半ほどかかる。函館山の周囲の海をぐるりと迂回する、およそ25kmくらいの航路だ。デッキに出て外を眺めていた俺と結慧さんの間を、冷たい潮風がすり抜けていく。

「ほら、見て。これ」

「あ、持って来ちゃったんですか、それ」

「うん。ホントはしちゃいけないんだけど……」

結慧さんの手には、一輪のハマナスの花があった。

「ね、君は知ってる? ハマナスの花言葉」

「花言葉?」

「”旅の楽しさ”……」


ハマナスの浜辺が、ゆっくりと遠ざかる。

朝の光に照らされた海岸線は、想像よりももっとずっときれいで、キラキラと遠くに光っていた。

俺の旅路の果てに、何が待ち構えているだろうか。

今はまだ、わからない。けれど、俺は心の中で祈った。

どうぞ、この旅の終わりに、楽しかった思い出が残されますようにと。

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