風烟・後(もや)
「こうして、無事に大学入試に成功した私達は、仙台の大学に入ることになったの。念願の都会の生活が始められたっていうだけで、あの頃はホントに楽しかったな。仙台に出てからは、みどりとルームシェアを始めて、少し大きめのアパートで二人で暮らしたの。大学では学部こそ違ったけど、友達づきあいは高校時代と変わらずに続いたわ」
「……けど、それが駄目になったんですね、何かあったせいで」
「そう。それから何年か経って、大学二年生になった頃の事がきっかけでね」
「それが、今回の一件に関係してるんですか?」
「それは、正直言って分からないわ。でも、これはあなたには聞いておいてもらったほうがいいと思う……」
そう前置きして、結慧さんは物語を再開した。
* * * * * * *
大学二年生になったある日、私とみどりは大学のサークルに所属する友達に誘われて、とあるサークル主催の合コンに参加することになった。
もっとも、そこの場合はサークルと言っても真面目に何かをする集まりという訳ではなくて、学生によくありがちなパーティを開いたり旅行したりして遊ぶだけのイベント系サークルだった。
私は大間を出るまでそういった遊びとは全然縁が無かったから、初めは出ようかどうしようかと悩んでいたけれど、みどりは逆に興味が湧いたようで、一緒に参加しようと私を誘ってきた。そこで、私も一度くらいならいいかと思って、参加してみることにしたのだった。
約束の日の夜、私とみどりは国分町(仙台の歓楽街)のクラブに出かけた。
相手の男子達は、大学生や社会人などさまざまな人が居て、みんな、例の友達の知り合いなのだという話だった。
結構カッコいい男の子達が揃っていて、恥ずかしい話だけど私もみどりも舞上がってしまい、お酒が手伝ったせいもあって合コンは思いっきり盛り上がった。なんだかんだいって即席のカップルも何組か出来たようで、終わった後で「お持ち帰り」になった人達も何人かいた。
私とみどりには生憎そんな事は無かったけれど、その時知り合った人達の中から、何度か遊びに行ったりお酒を飲む親しい男友達が何人か出来た。
その中の一人が、日下部正太郎だった。
正太郎は社会人で、市内の会社に勤めるサラリーマンだった。
サーフィンとクリケットで鍛えているというその身体はスラッとしていて、しかも綺麗な顔立ちはスーツにとてもよく似合っていた。実際仕事もよくできるし、誰にでも優しくて親切で、女の人を誉める言葉もスラスラと上手かったので、プライベート・仕事問わず人気のある人だった。
かくいう私も、何度か会って一緒に遊んでいる内に、段々と彼に惹かれていく自分を自覚するようになっていった。
正太郎と知り合って一年経ち、私やみどりが正太郎の事をショウちゃんと呼ぶようになった頃、私達は以前合コンをして仲良くなった友達数人と、一緒に温泉旅行に行くことになった。例の友達の企画した旅行だった。
正太郎に前々から惹かれていた私は、その頃にはもう、自分は正太郎が大好きだ、いつか必ず告白するんだと決めていたから、今回の温泉旅行は後にも先にもない絶好の機会だと思った。いいムードを作って、絶対に告白しよう──そう考えて、あれこれと策を弄して二人きりになれる機会を作り、その時を待った。
そして、人気のないホテルのテラスで、ついに私は正太郎と二人きりになる事ができた。酔ったフリをして夜風で介抱してもらうなんていう、今思えば顔から火の出るようなおめでたい茶番で。
……結論を言えば、私と正太郎はその時に恋人同士になった。
私の一世一代の告白に、正太郎は照れくさそうに笑いながら、実は俺も、前から気になってたんだけどさ…その、嫌らわれてるんじゃないかって思ってたから──って、そう言った。
その時のショウちゃんの、俯いた顔も、二人の間に差し込む綺麗な月の光のことも、宝石みたいな夜空の星のことも、キラキラと光る夜の海のことも、私はそれからずっと忘れたことがない。
これからもずっと、何があっても永遠に忘れる事は出来ないと思う。
私にとって正太郎は、そういう人になった。
* * * * * * *
結慧さんは、少し頬を染めながら、「まあそういうわけで、その後の事はご想像にお任せするわね」と言って、くすりと笑った。
「……」
しかし、俺にはそれが笑えない話にしか聞こえなかった。この話がハッピーエンドで済むなら、結慧さんだってわざわざココでそんな話はしやしないだろう。
そして、この話がバッドエンドに進むというなら、その先の結末はたった一つしかないはずだった。…そう、たった一つしか。
* * * * * * *
旅行から戻ってきた後、私は仲間内の公認カップルになった。私達はお似合いのカップルだと言われ、祝福された。
私達をひき合わせ、赤い糸で結びつける事になったあの友達なんかは、「あんた達はこうなると思ってたからね」なんて、私達をからかったものだ。
そんな折の事だった。ルームシェアをしていたみどりが、突然部屋を出ると言い出した。
「ここを、引っ越す?」
「うん。来月あたりには引っ越すつもり。あたしが居たらお邪魔でしょ?」
「そ、そんな事無いってば。ずっとこのまま一緒に住もうよ」
「冗ー談。あたしの方がウンザリしちゃうよ」
みどりはそう言いながら、けたけたと笑った。
「でも、何処に行くの? 大学の女子寮?」
「今更寮って気分でもないよ。どっかでワンルームでも借りて暮らすから」
「そっか……でも、どうしよう。みどりが居ないと、寂しくなっちゃうよ」
「……ね、結慧」
「え?」
「……なんでもないよ。さあ、そろそろ寝よう」
その時のみどりの翳を帯びた表情を、その時の私は蛍光灯の光の加減のせいだと思った。
こうして、みどりは大学のキャンパスの近くにあるアパートに引っ越し、私は元のアパートに一人になった。もともと家賃は折半だったので経済的には大変になったけれど、それでも正太郎に自分の家で自由に好きなだけ逢えるというのは捨てがたかった。
そういう意味では、後ろめたい気持ちはしたけれど、みどりが居なくなってくれたのは、私にとっては確かに有り難い事だった。
何かが狂いだしたのは、私が正太郎と付き合いだしてから、一年が経とうとしていた、大学四年生の時の事だった。
「ショウちゃんが、みどりと?」
「うん。一緒に歩いてるとこ見たよ」
「あー、そういえばあたしも見たなあ。駅前のロフトで買い物してた」
「ふーん…」
あのサークルの友達数人が、近頃みどりと正太郎が一緒に歩いている所を何度か見たという。
私は少し気になったけれど、あまり深くは気にしないようにした。みどりだって正太郎との付き合いは私と同じくらい長いのだし、みどりも正太郎も、いつも普段と全然変わらなかったからだ。第一、自分の彼氏が女友達と歩いていたくらいでヤキモチを妬くほど、私はつまらない女じゃないんだ、という自信もそこにはあった。だから、その話を聞いて暫くの間は、その話を聞いた事さえ忘れていたほどだった。
しかし、それから時間が経つごとに、私は何かが変だという事に気づくようになった。
正太郎があまり会ってくれなくなったのだ。メールや電話をしても、なかなか連絡がつかないし、話をしても何処か上の空な彼に気が付いた。
みどりも、いつもは毎日のように一緒に遊びに行っていたのに、事あるごとに用事があるといって私の誘いを断るようになった。
そして私自身も、とうとうみどりと正太郎が二人で歩いている所を見た。ぴったりと寄り添って、二人は国分町のどこかに消えていった。
それからも、私は一緒に出歩いている二人を見かけた。見かけたというより、見ていたと言ったほうが正しかったかもしれない。その頃になると、私は流石に猜疑心を拭えなくなっていて、みどりや正太郎の後を尾けるような真似までしていたのだ。
そして、とうとうある日、信じたくない光景を目の当たりにした。
正太郎が、アパートのみどりの部屋に二人して入っていくのを、私は見てしまったのだ。どうしようもなく、どうしていいかも分からず、私はその場を急いで立ち去ってしまった。
私は普段通りに過ごすように努めた。いつも会うみどりも正太郎も、やはり以前の二人とは何の違いもなかった。
もう、私は何を信じるべきなのか、全く分からなくなっていた。
ある雨の日の夜、私は再び、みどりと正太郎の後を尾けた。二人がまた、みどりのアパートに消えていく様子を、私ははちきれそうな気持ちで見送ると、私はみどりのアパートの近くで、人目に付かないようにアパートを見つめ続けた。
雨は夜が深まるほどに強くなったが、私は傘を指すこともなく、濡れっ放しで突っ立っていた。
もしかしたら、何もかも私の勘違いで、正太郎とみどりは何かの用事でたまたま一緒に居るだけなのかもしれない。
それなのに、私ときたら二人が何かやましい事をしてると勝手に思い込んで、挙句の果てにはストーカー紛いの事までしている。
もう、止めよう。早く帰って、今日はもう寝てしまおう。そして、明日からはまた、普通に接していればいい。正太郎とも、みどりとも。このうす暗い想いは、雨に流してしまえばいいんだ──。
そんな事を頭では考えながら、私は身動きが取れなかった。
気が付いた時には、私はアパートから出てきた正太郎とみどりの前に、訳も分からずに突っ立っていた…。
『……なんでなのよ……なんで…』
私は手で顔を覆い、涙でしゃくり上げながら、ようやくそれだけ言った。
『…仕方ないじゃん。正太郎は、あたしの方が好きなの! ……もう、いいでしょ?』
信じたくない言葉だった。
『思ってたのに! 友達だって思ってたのに…なんで、なんで…』
『だってしょうがないじゃん! 友達だって、関係ないっ! あたしだって、初めてショウちゃんと会ってから、ずっと好きだったの…あんたに…取られたくなかった…』
『……』
『……もう、行こう』
二人は、訳も分からずに泣いている私を放って、夜の闇に消えていった。
もちろん、相合傘で。
後で二人と私の共通の友人を通して、幾つかの事を聞かされた。
正太郎は、元々みどりが好きだった。けれど、私に思いもかけずに告白されて、あのホテルのテラスの、あのムードに流されて、断れ切れなかったのだそうだ。
みどりも、もともと正太郎の事が好きだった。私と正太郎が付き合いだしたのを見て、一度は諦めようと思った。けれど、諦め切れなかった。
二人は、どちらからともなくその事を打ち明け、そのまま、関係を持った。
みどりが私とのルームシェアを止めたのは、そのためだった。私と正太郎の邪魔をしないためではなく、正太郎と自分の邪魔をされたくなかったから……。
こうして私は、大事なものをいっぺんに二つ失くしてしまった。
憧れと未来への希望を胸に抱いてやってきた仙台はもう、私にとっては悲しみの記憶ばかりが残る場所に変わってしまっていた。
私は、大学を卒業して仙台を離れ、故郷の大間に帰った。今は、あの懐かしい思い出の残る校舎で、数学の教師として働いている。そして今でも、暇さえあれば校舎の屋上に寝そべって、私は一人で空を眺めている。けれど、私のそばには、もう一緒に空を眺めてくれる人は、いなくなってしまった……。
* * * * * * *
そこまで喋ってから、結慧さんはようやく一息入れて、ペットボトルのお茶を一気に飲み干した。
「それからは、みどりとは会ってないの。あなたがこうして、みどりの身体をもってくるまではね」
「すみません。嫌な事を思い出させて」
「気にしないで。それより、事件の原因が分かるかもって期待させておいて、今のは私の失恋の話だった訳だけど……がっかりした?」
「いや、そんなわけじゃないんです。ただ」
「ただ……?」
その時俺は、新幹線に乗っていた時に不意に頭をよぎった、あの疑問の事を思い出していた。
「……結慧さん。日下部正太郎さんに連絡を取ってくれませんか」
俺を見つめる結慧さんの瞳の中に、小石川みどりの姿が映っていた。