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風烟・前(もや)

「ハッキリ言うけど」

と言って、結慧(ゆえ)さんは俺を見据えた。

「言ってる事が全く分からないわ」

そうきっぱりと言い放った言葉の中に、俺は明らかな動揺の色を見て取った。

無理もない。誰だって、久しぶりに再会した古い友達が、いきなり自分は自分じゃなくて別人なんだなんてのたまい始めた日には、再会どころか友達になった事すら後悔してもおかしくない頃合いのはずだ。頭がおかしくなっているか、新興宗教の手の込んだ勧誘だと思われても、何の不思議もない。


俺は、今までの経緯を話した。

仙台でこの身体の持ち主─小石川みどり─とたまたまぶつかり、その時に身体が入れ替わってしまった、ということ。

気がついたら新幹線に乗り込んでいて、そのまま八戸までやってきたこと。

八戸で大間の住所と結慧さんの名前が書かれたメモを見つけ、それを手がかりに大間までやってきたこと。

住所を頼りに目指していた目的の場所が、自殺スポットらしい場所だった、ということ。

大間に戻ろうとして、強い眠気が襲いかかってきて、そのまま眠りに落ちてしまったこと。二日も眠っていた事も、函館まで運ばれたという事も、全然知らなかったこと。


この身体の中には赤ちゃんがいる。

そして、身体を入れ替えたのは、おそらくこの子である、ということ。


結慧さんは支離滅裂な俺の説明の中から、縺れた糸くずを一本に戻すみたいにして、何とか順序立てた筋道を導き出そうとしてくれた。この時くらい、自分のボキャブラリーの貧弱さと、論理的な説明力の無さを恨めしく思った事も、きっとなかったと思う。


「そんな話、信じろという方が難しい事くらい分かるわよね」

「…えぇ、まあ」

「いっそ、記憶喪失だとか、多重人格だって説明してくれたほうがまだ現実的だわ。ビリー・ミリガンみたいなね」

「ビリー・ミリガンって?」

「アメリカの有名な多重人格者で、虐待を受けた事が原因で何十人もの人格が生まれた人。本人…が言うには、本来のビリーは眠っていて、別の人格たちが持ち回りで表に出ていたそうよ。別の人格たちには、男も女も居たし、外国人も犯罪者も子供もいた」

「……」

「つまり、何かの理由であなたが生まれ、みどりの人格は眠っていて、あなたが代わりに出てきてる。それでも信じがたい話だけど、身体ごと入れ替わったなんて話を信じるくらいなら、そう解釈したほうがまだ現実的でしょうね」

「違う! そんなんじゃないんです! 俺はみどりさんじゃないし、記憶喪失なわけでも、別の人格なわけでもない! 俺は仙台に住んでるごく普通の高校生で、元の身体だってちゃんとあるんだ!」

「それはもう聞いたわ。……落ち着いて、とりあえずお茶でも飲みなさい」

そういうと、結慧さんは俺に350mlのペットボトルのお茶を差し出し、自分もキャップを開けて一口喉に流したが、俺はそのままではお茶を飲む気になれなかった。


結慧さん…古櫛結慧(ふるくし・ゆえ)さんは、この身体─小石川みどりの古い友達を名乗る人だった。

あの財布から出てきた紙切れ。あれに書かれていた名前の持ち主が、今こうして俺の目の前に居る。それが、とても偶然という言葉で片付けられるものでないという事くらい、俺にも容易に想像が付いた。

この人は、きっと何かを知っている。あるいはそれが、この旅の秘密を解き明かす鍵になってくれるかもしれない。それを知るためには、何とかして今のこの状態を結慧さんに信じてもらわなければならないのだが…。

「!」

その時、俺の脳裏にふと、母さんの顔が浮かんだ。


「そうだ、信じてもらうのに良い方法があります。結慧さん、ケータイ持ってますよね? 仙台の俺の家に電話してみてください。そうしたら、俺の母さんが出るはずです。多分、俺が行方不明になって大騒ぎしてると思うし、もしかしたら警察沙汰になってるかも。どうですか」

「なるほどね。でも、私がいきなり電話を掛けて、あなたの事を色々詮索したら、面倒な事になりそうだけれど」

「じゃあ、俺の高校の同級生の名前を使いましょう。うちの母さん、そういうのニブくて全然気づかない人だから」

「そう上手く行くと思えないけど…大丈夫?」

ところがそれが上手く行くのが、ウチの母さんのスゴい所なわけで。

結慧さんはケータイとメモを取り出し、俺の家の電話番号をダイヤルすると、俺の高校の同級生の女の子の名前─例によって、またしてもうちの母さんとは何の面識もないのだが─を名乗った。若干トーン高めの若作りな可愛らしい声が意外だ。

結慧さんは「はじめまして…」と慇懃に挨拶をすると、おしとやかな風にしずしずと「○○君(俺)を呼んでくださいませんか」と頼み、何やら「えぇっ」と驚いて、「そうだったんですか…全然知りませんでした…怖い…」と相槌を打つと、「どうかお気を落とさずに、きっと元気で帰ってきてくれますよ、はい、何か分かることがあればすぐに連絡いたします─」といった塩梅に綺麗に纏めて、電話を切った。

「ふう。高校生の声って結構疲れるわ」

トーンが一瞬で元のお姉さんに戻っている。女の人っていうのは、声にも化粧ができるらしい。

「…役者なんですね結慧さん」

「おほん。…あなた、二日前から行方不明なんだって。警察にも捜索願を出してるそうよ。あなたのお母さん、かなり動揺してたわ。声、ふるえてたもの」

「…そうですか」

予想通り、母さんは相当参ってしまっているらしい。なんとか、俺の無事を母さんに伝えてやりたい。けど、あなたの息子は妊婦になって函館で入院してます、心配しないでください…なんて伝えたら、気の弱い母さんのコトだから卒倒してしまうだろう。

結局今の俺には、家にオレオレ詐欺の電話が掛かってこない事を祈るくらいしか出来そうになかった。今の母さんだったら、どんなでたらめな電話でも迷わずATMに走っていくかもしれないし。


「それで、これからどうするの?」

結慧さんは、俺にそう聞きながら、サイドテーブルの上に置かれたビニール袋の中から真っ赤なリンゴと果物ナイフを取り出した。そして、リンゴに果物ナイフを差し込むと、リンゴを回しながら手際よくシャッシャッとナイフを滑らせていく。

「結慧さん、俺がみどりさんじゃないって事は信じてくれますか」

「とりあえず、あなたがみどりじゃない…みどりの中に居るだけで、本当は全然違う人だ…というのは、信じるわ」

その言葉が、素直に嬉しかった。仙台から長旅を経て北海道までやって来て、ようやく一人、味方ができた。貴重な理解者を作ることができたのだ。

「ふふ。あたしの事を『結慧さん』だなんて呼ぶみどりなんて、信じられないものね。あなたにも居るでしょう、そういう友達」

「ええ。まあ」

結慧さんは、少し顔を綻ばせながら、そう言った。楽しかった思い出話をするみたいに。

「…結慧さん、一つ聞いてもいいですか」

「何?」

「この身体…みどりさんは、どういう人なんですか? 結慧さんとみどりさんは、親友同士なんですよね? どういう友達だったんですか? …俺、どうしても分からないんです。なんで、みどりさんが自殺なんかしようとしたのか。しかも、お腹にこの子だっているのに…! 俺には、さっぱり分からないんです」

「……」

リンゴを廻す手がピタリと止まる。

「親友じゃない」

「え?」

「言ったでしょ、…『親友だった結慧』だって」

「…!」


思いがけない過去形の言葉を皮切りに、結慧さんはぽつりぽつりと、過去の思い出を語り始めた。

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