始まり
生命ってのは、本当に強いものだと思う。
たとえば、取るに足らない雑草が太陽を求めて硬いアスファルトをぶち破るように、生命には想像を絶する不思議な力があるらしい。
ある年の夏の日、仙台に暮らす何の変哲もない高校生の俺は、つくづくそんな事を思い知らされるある一つの出来事に巻き込まれた。これから話す事は、その時の出来事だ。
そうそう、これを喋っている俺の事は、名前も含めて覚えてもらう必要はない。
本当に覚えておいてほしい登場人物はただ一人、今回一言も喋れなかった奴だ。それだけ頭に入れておいてくれれば、それでいい。
それは、随分と暑い夏の休日の朝の事だった。
空はよく晴れ渡り、こんな街のど真ん中からでも蝉の鳴き声が聞こえてくるような気がした。俺は、隣町の多賀城に住んでいる同じ学校の友達の所に遊びに行くために、仙台駅にやってきていた。
「あっち〜…」
じりじりと太陽に焦がされたペデストリアンデッキから眼下を見ると、バスやタクシーがぞろぞろと連なって、人間をその中に吸い込んでは街のほうに消えていく。
その様子を眺めていると、遠くに見えるタクシーの姿が、もやもやとした陽炎でぐにゃりと歪むのが見えた。
見ただけで体温が上がりそうなそんな光景を見たせいだろうか。無性に列車のよく効いた冷房が恋しくなった俺は、大きく開放されたドアを潜って、駅舎に吸い込まれた。
駅舎は人で溢れ返っていた。今日は絶好の行楽日和という奴で、行き交う人の波が途切れる気配はまるでない。
「えーと、普通列車のホームはあっちか」
俺は、右左に行き交う人の波を掻き分けるように、まっすぐにホームに向かって進み始めた。
…その時だった。
「きゃっ…」
「えっ?」
一瞬、女のかすかな悲鳴が聞こえた。
かと思うと、何かが身体にぶつかる衝撃を感じ、それから視界がすっとぼやけて前が真っ暗になった。最後に膝がかくんと折れ曲がる感覚があって、その後はふっと記憶が遠くなった。
もしかしたら、疑問を感じる暇もほとんどなかったのかもしれない。それくらい一瞬の出来事だった。
その場に倒れたのか意識を失くしたのか、それすらもよく分からなかった。痛くは無かったと思う。ただ、何の前触れもなしに、俺の身体から何かが抜けたかのように、力が入らなくなった。
もちろん、何があったのか、その時の俺には説明できなかったろう。
ただ、一つだけ言える事があるとするなら、これが、これこそが、これから起きるすべての始まりだったのだ。
それから、どれくらい時間が経っただろうか。
俺は、列車の座席で眠っていたらしい。うつらうつらしながら眼を覚まして外を見ると、窓の景色が、まるで矢の様に後ろへ飛び去っているのが見えた。
「………ん?」
普通列車にしては、随分スピードが速いような気がした。
「………はあ?」
社内を見渡して、つい間抜けな言葉が、変な声色で出てしまった。というのは、列車の内装が、どう見ても普通列車のものではなかったからだ。そう、どちらかというと…特急列車とか、新幹線とかの車内に見えた。
慌てて、左手の腕時計を見る。仙台駅に着いたのが10時過ぎくらいだったのだが、今はそれから20分ほど経過しているところだった。
「はあ? どうなってんだ、なんで新幹線なんかに…」
その瞬間、俺は猛烈な違和感に気づいた。
急に意識を失って、気がついたら新幹線に乗っていた。今しがた突き付けられたこの十分に不可思議な現実でさえも、目の前で猛烈な勢いで黄色く変色するくらい、壮絶な違和感に。
「……あ?」
口から出たのは、女の声だった。俺の喋る声に合わせて、若い女の声が、俺の喉を突いて出てきたのだ。慌てて手を喉に当てた。俺の喉だった。ただ、喉の感触は若干膨らみがあった。
「……」
身体を見ると、胸の辺りに大きな膨らみがある。女物の服を着ている。そこまで気づいてから、いまさらのように腕時計がサイズの小さな女物であることを発見し、ついでのように股間がスースーする事に気がついた。
「……な、に」
胸に手を当てると、低反発素材の枕のような弾力のある跳ね返りを感じた。
「……ッッ!!」
俺は、バネの様に席を飛び出していた。