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7. 研究所の見学会 その3

 後に夜野ことりは、「研究内容もですが、研究所に勤めている人間の方がはるかに面白くて刺激的でした」と感想文を書いてわかなに出している。実際、研究所は有り体に言ってしまえば奇人変人の巣窟であった。


 例えば衣服と染色技術の開発を司る第四研究室の室長なぞは、ボンデージファッションを身に着けてまさに研究室の女王様として君臨していた。何でも学生時代にSM嬢のバイトをしたことがあり、拘束されたときに感じる快感と人間工学を結びつけて、それを製品開発に活かしているという。ちなみに繊維と染料の基礎研究を司る第三研究室室長(女性)とは恋仲であり、生徒たちが見ている前で彼女にムチを打って楽しむという、まったく教育によろしくないことをしてわかなにつまみ出されていた。


 これでもまだほんの序の口レベルである。廊下ではおそらく長期間入浴していないと思われる汚い身なりの研究員が汗と垢の臭いを撒き散らして何やらブツブツ言いながら壁に化学反応式を書き込んでいたし、階段の踊り場では二人の研究員が座り込んで酒盛りをしており、ベロベロに泥酔した状態で研究内容について熱いディスカッションをかわしていた。わかなはもう苦笑いするだけで放置していたが、同行していたスカーレット所長は注意するどころか「よう仕事しとる」とご満悦であった。


 星花女子にも変わった子は大勢いる。だが研究所の人間は何もかもが桁違いであり、言葉を選ばないのであれば、ことりは動物園の動物を観賞しているときと同じレジャー感覚にとらわれていた。


 ことりたちは別棟にある第五、六研究室の方に向かった。いったん中庭を抜けて別棟に行くのだが、その途中でスカーレット所長がことりに話しかけてきた。


「どや?」


 たった二文字の短い抽象的な質問に対して、ことりは慎重に言葉を選んで答えた。


「いろんな人がいて楽しいです」

「そうやろ、そうやろ。いろんな人間がおらんと偏った考えしか出てこんからなあ」


 スカーレット所長は満足げに笑った。


「企業が人材を採用する際、やれスキルだの、やれコミュニケーション能力だのと謳うとるけど、結局のところ社風に合って上に従順そうな人材しか取らんさかい似たりよったりの集まりになりよる。そんなんやから突飛な発想が出てこんしイノベーションも起きひんのや」

「所長さんは、逆の考えで採用しているってことですか?」

「そうや。これは社長はんの考えでもあるけどな。だけど研究所にはもう一つ採用基準がある。それはサイエンスのために死ぬ覚悟があるか、ってことや」


 死という物騒な単語が出てきたときの所長は、不敵な笑みを浮かべていた。


「こんなこと言ったら社長はんに怒られるけど、サイエンスに貢献してくれるなら天寿を踏み台にして別のもっと良い企業や大学に移っても構わんと思うとる。もちろん天寿におって研究を続けてもらえるならそれはそれでエエ。そやけど会社のためやとか、お上に忖度するとか、会社の枠に囚われて仕事するようなヤツは研究所にはいらん」


 スカーレット所長は、きっぱりと言い切った。


「そやさかいウチにはワシ含めて尖った人間しかおらんけど、こういう人間が次の時代を作っていくんやで」


 尖った人間と聞いて、ことりは一人の偉人を思い浮かべた。それは彼女が目標としている人物、フローレンス=ナイチンゲールである。


 ナイチンゲールは天使という異名の通り優しげなイメージがつきまとうが、実は鬼とも言うべき恐ろしい人物であった。彼女のハードワークにつきあわされた大臣を過労死させたとか、軍が出すのを渋った薬箱を斧で叩き割って薬を持ち出したとかいった真偽不明の都市伝説じみた逸話が残されているが、仕事に対して自他ともに厳しい性格であったことには疑いの余地がない。


 ナイチンゲールこそがまさに尖った人間の代表格とも言える。しかし彼女のような人間がいなければもっと多くの患者は亡くなっていただろうし、看護師の地位が上がることも無ければ医療現場は清潔でなければいけないという、今では当たり前の常識が生まれることもなかった。


 ことりはナイチンゲールに憧れて、その行動を真似している。時にはそれが災いして対立を生むこともあったが、信念を一切曲げずに来た。今日改めてスカーレット所長の話を聞いて、間接的に励まされたことで自信を深めた。とことん尖ろう、と。


 ことりたちは別棟の中へと案内された。別棟とは言うが、前身の食品会社時代に建てられた建物なので本棟より若干古めかしい。


「この先が第五研究室です」


 廊下の曲がり角を曲がると、やたらと体格の良い男がいた。なぜか赤いベレー帽をかぶり迷彩服姿で、口周りは濃いヒゲに覆われている。まるで軍隊の鬼軍曹みたいな容貌である。変な研究員ばかり見てきたことりはもう耐性が出来ていたから特に驚きはしなかった。


丹内(たんない)室長! 戻られたのですか」

「ああ。ついに見つけたんだ!」


 大塚◯夫を思わせる渋い声であった。


「ところで、その子たちは? 所長もいるが」

「はい、星花女子学園の子を招いて見学会を開いているんです」

「そうか。みんな、いいところに来てくれたな。この俺が見つけた伝説のキノコを、みんなにも特別に見せてあげよう!」


 丹内室長に促されて、みんな第五研究室の中に入った。


「おう! ダイスケじゃないか!」

「キョウイチローも元気してたか!」


 入るなり、室長はタンクトップ姿のスキンヘッド筋肉男と熱苦しいハグをかわした。


「この迷彩服の人がこの第五研究室の室長丹内大輔、タンクトップの人がお隣の第六研究室室長の源五郎丸恭一郎です」


 わかなが紹介すると、二人は肩を組んで笑顔を生徒たちに見せつけた。室温が五度程上がったかのような暑苦しい錯覚がことりを襲った。


「よう無事に帰ってきたな、丹内。早速成果を見せてーや」


 スカーレット所長が急かすと、丹内室長はミリタリーリュックを下ろして、黒いチャック付きの袋を取り出した。チャックを開けて中身を取り出した瞬間、この世のものとは思えない程のおぞましい異臭が拡散された。


「きゃああああああ!!」

「ぐわああああああ!!」


 ことりは万が一に備えて、いつも持ち歩いているマスクを取り出して着用した。だがその他のほとんどは今の暑い季節にマスクを持ってきているはずがなく、わかなは制服の袖で鼻を抑えて、他の生徒たちは顔をそむけて鼻をつまみ、間近にいた源五郎丸はオエッとえづいて、他の研究員は実験を中断して窓を開け放った。さすがのスカーレット所長もハンカチで鼻と口を覆う始末で、平気なのは丹内だけである。


「なっ、何や! このゲロとドブと腐乱死体の臭いが入り混じったような臭さは!」

「はっはっはっ、このかぐわしいスメルこそが幻のキノコ、ナナイロダケの特徴ですよ!」


 名前の通り、傘の部分の先端から根本にかけて赤橙黄緑青藍紫のレインボーグラデーションに彩られている。見た目「だけ」は確かに綺麗だ。それを丹内室長は高々と掲げて、生徒たちに説明した。


「南米アマゾンの奥地のごく一部にしか生えていないこのナナイロダケは、周辺地域に住む先住民のチュパタ族の貴重な栄養源となっていて『神のキノコ』と呼ばれているんだ。チュパタ族は病気知らずで推定平均寿命が80代とも言われている。これは恐らくナナイロダケに豊富な健康成分が含まれているからだろう、そう睨んだ私はアマゾンの奥地に向かった。途中、ピラニアに指を食いちぎられかけたり、チュパタ族と敵対する部族に殺されかけたりもしたが、どうにかして手に入れることができた。早速こいつから成分を抽出して……」

「丹内室長、もう限界です。そいつをしまってください」


 わかなが訴え出た。


「何だ、つまらん。この臭いを楽しめないようじゃ立派な研究者になれんぞ」


 丹内室長が不満げにナナイロダケを袋にしまいこんだ後、わかなは研究室の換気装置をフル稼働させて臭気をどうにかして放逐した。


「みんな、ごめんね。ちょっとしたアクシデントがあったけどもう大丈夫だ」


 平穏を取り戻しつつあったとき、丸眼鏡をかけた研究員が一人入室してきた。歩き方がフラフラしていてかなり危なかっしい。ことりはひと目見て保健委員で培った経験から、体調不良だと一瞬で判断した。


「あっ、ここにいましたか源五郎丸室長。ちょっと相談したいことが……」


 源五郎丸室長が答える前に、丸眼鏡の研究員は糸が切れた人形のように膝から崩れ落ちた。


「ぶっ、武士沢くん!?」

「武士沢さん!」

「ううん……」


 わかなが前のめりに倒れてしまった研究員を抱え起こそうとするが、相手はピクとも動かない。生徒たちはどうすべきかわからずオロオロしている。


 ことりの中に眠っていた、ナイチンゲールスピリットが動き出した。


「すみません!」


 ことりは丹内に詰め寄った。


「さっきの臭いキノコを貸してください!」

「臭いキノコ? ちゃんとナナイロダケと呼びなさい。このキノコはだねえ……」

「そんなことどうでも良いから早く貸してください!!」


 生前のナイチンゲールも恐らく、こんな感じで軍の上層部とやりあったのであろう。ことりは丹内よりも遥かに小さかったが、その気迫は丹内を呑み込んでいた。


「わ、わかった」


 丹内はもう一度ナナイロダケの入った袋を取り出した。ことりがひったくるようにして手に取ると、新しいマスクを取り出して身に着け、わかなたちのところに歩み寄った。


「ちょっと臭いますよー」


 袋のチャックが開けられると、また悪夢のような臭いが放出され、生徒たちや源五郎丸室長、スカーレット所長はもう辛抱たまらんといった感じで研究室から逃げ出した。


「くっ……夜野君、いったい何をするつもりだ?」


 逃げそびれたわかなは空いている方の手で鼻を摘んだが、口呼吸で臭いの成分が喉から鼻腔に入り込んできているようで、むせた。ナナイロダケの激臭はマスクで防げるレベルを越えており、ことりも鼻と口から吸い込んでしまっていたが、何としてでも助けるのだという使命感で悪心に耐えていた。


「さあ、思いっきり嗅いでください!」


 ことりはナナイロダケを、武士沢研究員の鼻に近づけた。彼女の鼻がピクンと動いた瞬間。


「うぎゃあああああっ!!!! くっ、くっせええええええ!!!!」


 目玉をひん剥いて、わかなを突き飛ばして立ち上がると、手足をばたつかせながら近くに置いてあったゴミ箱に向かい、そいつを抱え込んで、


「おぶええええ……」


 胃の中にあったものをぶちまけてしまった。ことりがすかさず背中をさすりに行く。


「大丈夫ですか? 立てますか?」

「はぁはぁ……は、吐いたらほんのちょっと楽になった……何とか……」


 ことりは丹内に呼びかけた。


「丹内さん、トイレに連れて行ってあげてうがいさせてください! うがいだけですよ! まだ水を飲ませちゃだめですからね!」

「あ、ああ」


 丹内は武士沢をゆっくり立ち上がらせて肩を貸し、研究室から出ていった。


「永射先生! ここにソファかベッドはありますか!?」


 わかなは座り込んだままで答えた。


「隣に仮眠室がある」

「では、使わせていただきます!」

「良いとも。あと、一つお願いがあるんだが」

「何でしょう?」


 わかなは顔をしかめた。


「ちょいと引っ張り上げてくれないかな。さっき突き飛ばされたせいでまた腰をやってしまったみたいなんだ」

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