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6. 研究所の見学会 その2

 生徒たちは会議室を出て、いよいよ研究所の各施設を見て回ることに。


「それではまず、第一研究室から行きましょう。二列になって私についてきてください」


 わかなの後ろにぞろぞろと生徒たちが続く。横にスカーレット所長が並んできた。


「おい、ヤナギハシはどこにおる?」

「ヤナギハシ? ああ、あの天才少女ですか。来ていませんよ」

「はあ……ワシらの研究には興味ないんかのう……」


 高等部一年生に柳橋美綺という生徒がいる。学園で一番の変人と呼ばれているが知能指数は高校生水準のそれを遥かに上回っており、NASAとJAXAに論文を送りつけてNASAにスカウトされたという。一方のJAXAはいたずらと思って無視したらしく、そのことをNASAにいる知人から知ったスカーレット所長は日本は優秀な人材を一人失うことになった、と大いに嘆いた。


「あの子はワシの次ぐらいに頭がエエさかい、今からでも億の金を積んででも雇いたいのう……」

「彼女の頭は日本のいち企業の研究室で働かせるにはもったいないですよ。世界、いや、宇宙スケールで頑張ってもらいましょう」


 最初は第一研究室からである。ここはコスメ部門の基礎研究を行っているが、化学と生命科学の幅広い分野に関わっているために研究員の数が一番多く割かれており、設備も最新鋭のものが備えられている。要するに花形部署である。


 さまざまな試薬の匂いが漂う中、生徒たちは目に入ったありとあらゆるものに対して感嘆のため息を漏らした。


「学校の理科室より広くて何でも揃ってますね……」


 と、墨森望乃夏はずり落ちた眼鏡をかけ直しながらわかなに感想を述べた。


「当然だよ墨森君。言っちゃ悪いが研究室に比べたら学校の理科室なんざただの遊び場さ」


 椎原樹が何かに興味を示している。それは机の上に無造作に開かれたままで置かれた誰かの研究ノートであった。


「……全部英語で書かれていてよくわからないのです」

「おっと、覗き見はいけないよ」


 わかなは引き離したが、貴重なデータが書かれているのを盗み見されるのを恐れてのことではない。ノートには"motherf**ker!!"とか"son of a bi**h!!といった汚いスラングが書かれていて教育上よろしくなかったからである。実験に失敗した怒りをぶつけているらしい。


「おい、そこのアホ毛のねーちゃん」


 スカーレット所長が自分よりも頭一つ分以上高い、羽衣石なずなのスカートの裾をつまんで振り向かせている。


「あっ、所長さん」

「ちょいとおもろい実験したるさかい手ェ出してみい」

「はい?」

 

 スカーレット所長は容器を手にしていたが、中から怪しげな白煙がモクモクと吹き出ている。それを傾けて、中の液体をなずなの手の甲に振りかけた。


「うわっ!」


 液体は白煙を引いて手から落ちていったが、床を濡らすことなくそのまま影も形もなくなってしまった。


「な、何今の!? 魔法みたい!」


 魔術マニアでもあるなずなは目を輝かせる。


「細胞の保存に使う液体窒素をちょいと拝借してきたんや」

「液体窒素!」


 生徒たちがザワザワと騒ぎ出す。科学に疎い子でも、扱いを間違えれば凍傷をまねく危険物質であることはわかっている。


「そやけど手は凍らんかったやろ。はい、その理由を答えてみい」

「えっ、えーとっ……」


 なずなは首をかしげてしばし考えたが、


「はい時間切れー」

「えーっ」


 アホ毛がしおれた。


「はい、そこの眼鏡のねーちゃん」


 次は望乃夏が指名される。


「体温との温度差があり過ぎるために一瞬で蒸発して、気化した窒素が手を保護するからです」

「んー、まあ正解やな。みんな、ちょっと見てみい」


 スカーレット所長は、今度は床に液体窒素を垂らした。液滴はすぐには蒸発せずに、床の上をするすると滑って少しずつ小さくなっていってから消滅した。


「床に触れて気化した窒素が液体部分と床との間に蒸気の膜を形成しとるさかい熱伝導が阻害されて、液体部分はすぐに蒸発せんし床は凍りもせん。で、床との間には摩擦が無くなっとるからこんな感じで滑っていくんや」


 へえー、と感激の声が上がる。が、せっかく案内中だったわかなにしてみれば所長の気まぐれ行為はたまったものではなかった。注意しようとしたら、


「もうっ、所長! 液体窒素で遊ばないでくださいよ」


 と、別の人物が注意してきた。研究員の制服の上に白衣を着ており、髪型は姫カットで見た目は20代後半、わかなと同い年ぐらいといったところである。


「へへへっ、科学への好奇心はいたずらや遊びから始まるんや。ちょっとぐらい見逃してーや」

「だーめーでーす! 予算を無駄遣いしたら監査さんにメッされますよ!」


 そう言うなり、スカーレット所長から液体窒素を取り上げて、ついでに机の上に置きっぱなしになっていた研究ノートを持って立ち去ってしまった。スカーレット所長は後ろ姿に舌をイーッと突き出すという、年相応以下の反応を見せた。


「おいみんな、あの女の人何歳やと思う? 答えられたらアメちゃんやるわ」


 スカーレット所長は唐突に科学とは関係ない質問を生徒たちにぶつけてきた。やはり20代から30代の答えが多く、所長と同じ18歳と答える者もいる。


「全員不正解。宝文2年生まれや」

「「「……えええーーっっ!?」」」


 宝文の元号は42年まで、その次の今の立成は現在18年。となると年齢は……である。スカーレット所長の言っていることは事実であった。第一研究室室長、須貝美津子(すがいみつこ)は研究所で最年長のベテラン研究員として花形部署を取り仕切っている。


「あの人は美肌成分の研究をやっとるけど、ばっちり成果が出とるってことやな」


 目を白黒させている生徒たちに、スカーレット所長はどうだウチの研究は、と言わんばかりにドヤ顔を浮かべた。


「あの、所長。次からの案内は私がしますので」


 わかなはごく遠回しに大人しくしてくれ、と告げた。


 *


 隣の第二研究室では、コスメ部門の応用研究と製品開発を手掛けている。先程とは打って変わって、主に甘ったるい香りが漂っていた。


「ここではシャンプー、コンディショナー、石鹸、化粧品、香料の新製品を開発しています」

「シャンプーはどこで作ってますか?」


 夜野ことりが目をランランと輝かせながら尋ねてきた。気が早いなあ、とわかなは顔をほころばせる。


「こちらへ」


 わかなは生徒たちを『調合室』とプレートが掲げられた部屋の前に連れて行った。大きな窓越しに中を見ると、研究員が卓上サイズのミキサーを動かしてビーカーの中身をかき混ぜている。白く粘っこい液体で、見た目はまさにシャンプーである。


「ここでシャンプーを調合しています。実際は工場にある大きな装置で大量生産するんですけど、その前にここで試作します」


 もちろん作って終わり、ではない。試作品は今度は分析にかけられ、洗浄効果や髪の毛へのダメージ具合、頭皮への影響などさまざまな検査が行われる。一項目でも目指しているコンセプトに合わなければ作り直しである。開発の世界は職人の世界に近い、とわかなが言うと生徒たちは感心したようにうなずいた。


 今度は分析室に入ると、一人の女性研究員がわかな達を見るなり金切り声を上げた。


「ほああああああっっ!! 女の子! 若い女の子の香りがするっっっっ!!」

「やあ、今永君」

「はぐっ!?」


 わかなは発狂した研究員の鼻を試験管ばさみで摘んで黙らせた。


「失礼。()()は私の後輩の今永千華(いまながちか)。かの『ウイッチ』を世に送り出した研究員です」


 ことりの方に意味ありげに目線を向けると、見てはいけないものを見てしまったかのように顔を引きつらせていた。自分が愛用しているシャンプーの生みの親が狂人一歩手前の人物だったと知ったら、誰でもこんな反応をするであろう。


「はうう、失礼しました……可愛い可愛い女の子の香りがして、つい」

「君が今やっていることを簡単に説明してあげて」

「はっ、はい。髪の毛のダメージ分析をやっているところでして」


 今永研究員は電子顕微鏡と連結しているパソコンから、三枚の画像をみんなに見せた。


「一番上が通常状態の髪の毛です。このウロコみたいになっているのがキューティクルですね」

「うわあ、私たちの髪の毛ってこうなってるの!?」

「ちょっとグロいよねー」


 電子線を当てられて得た髪の毛の拡大像は、生徒たちの興味を引きつけたらしい。さりげなく鼻をスンスンさせて恍惚を帯びた顔つきになった今永は、二枚目の画像を拡大した。


「で、こちらがダメージを受けた髪の毛です」


 キューティクルのウロコが剥がれて醜い姿に成り果てた髪の毛の画像に、キモいだの何だのと悲鳴じみた声が上がった。


「ね? ボロボロでしょ。ドライヤーのかけ方やブラッシングのやり方が不適切だとこうなっちゃうんですよ。ですが」


 今永は三枚目を拡大した。一枚目よりはウロコが若干ささくれ立っているが、二枚目に比べるとかなりマシである。


「これは開発中のシャンプーで洗浄した髪の毛にわざとダメージを与えたものです。保護成分が効いてキューティクルを守っているのがわかりますね?」

「『ウイッチ』もこうやってテストされたんですか?」


 ことりが尋ねた。


「そうですよ。新開発した保護成分を混ぜて、何度もテストして良い混合比率を出してですね……ところであなた、『ウイッチ』を愛用されてますね?」

「は、はい。そうですけど」

「はあああ……やっぱりそうだ。紛れもない、私が十代の少女をイメージして調香した香料の香りがするし……あなた自身からも良い香りが漂っていて、二種類の香りが私の嗅覚細胞をまるでえっちするときの愛撫のように刺激して……」

「え?」


 今永は獲物を見つけた変質者のような気味悪い笑みを浮かべた。


「ね、ねえ。もっと間近であなたの香りを、香りをっ! ふおおおおおっ!!!!」

「ひぃぃぃぃっ!」

「いーまーなーがー君」

「むぐっ!?」


 わかなは二本の試験管ばさみで今永の鼻と口をはさんだ。


「これ以上騒いだら怒るよ?」

「ひゅ、ひゅみまひぇん」


 わかなはいたずらっぽい笑みを浮かべながら、試験管ばさみを引っ張って外した。


「あああああ! いたあああい!!」

「ごめんね、みんな。()()は頭がとても良いんだがちょっと変わった子でね」

「ちょっと、ですか……?」


 ことりがつい口走ると、今永千華はムキになって反論した。


「ちょっとです! 女の子の香りが好きなだけです!」


 さっきまで大人しくしていたスカーレット所長が大笑いする。


「こいつはな、せっかく大手の香料会社に内定が決まっとったのに性癖が災いして、通学中の小学生の女の子の匂いを嗅いでしまいポリさんのお世話になったことがあるんや。当然、大学から放校されて内定も取り消しになってもうた。それでこの人の指導教官から面倒見たってくれ言われて拾ったったけど、変態パワーでようやってくれとるわ」


 天寿のヒット商品の生みの親が前科者だと知らされたことりは、どう表現したら良いのかわからない程の複雑な表情を浮かべた。


「節操がないんだよね、うちの会社は」


 わかなが苦笑すると、スカーレット所長は首を横に振った。


「前科者を採るのもダイバーシティの一つじゃ」

※液体窒素を手にかけるのは凍傷を招く恐れがあるので決して真似しないでください。



名前だけですが今回登場して頂いたゲスト:


柳橋美綺(カフェインザムライ様考案)

登場作品『∞ガールズ!』(百合宮伯爵様作)

https://ncode.syosetu.com/n4195fs/

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