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5. 研究所の見学会 その1

 星花女子学園の生徒を集めての天寿空の宮研究所の見学会は、夏休みに入って最初の水曜日に催されることになっていた。この日、わかなは準備のために朝八時と早い時間に出社したが、すでに第六研究室室長の源五郎丸恭一郎がオフィスルームの中で、タンクトップ一丁でダンベルを上げ下げしていた。


「おはようございます」

「おっはよう、永射くん! フンッ! フンッ! 今日は雲ひとつない見学会日和だが最高気温は36℃だ。フンッ! フンッ! 生徒さんを熱中症にさせないよう気をつけてくれたまえ! フンッ! フンッ!」

「その点はぬかりありません。ちゃんとこいつをお土産にお渡ししますので」


 わかなはミニペットボトルを見せた。天寿の食品部門が販売しているスポーツドリンク「めぐみ」で、スポーツドリンクにしては珍しい和文字の商品名と甘さ控えめのさっぱりした口当たりが好評を呼び、シェアを伸ばしつつある一品だ。


「フンッ! フンッ! よーし、今日一日、案内役を頼むよ!」


 源五郎丸室長はダンベル運動を止めた。すでに汗だくになっていて、スキンヘッドの頭が照明を浴びてきらめいている。


「ふうっ、朝の運動はなかなか良いものだ。そいつをくれないかね」


 わかなの持っている「めぐみ」をせがんできたので、わかなはどうぞ、と手渡した。巨漢の源五郎丸が持つとミニペットボトルがかなり小さく見える。


「永射くん、私のとっておきの一発芸を見せてやろう!」

「?」


 源五郎丸室長はキャップに親指を添えると、スキンヘッドに幾筋もの血管を浮かび上がらせた。


「ファイトオオオオオオ!! いっっっ、ぱあああああああつ!!」


 と叫んで、親指の力だけでキャップをバキッ! とねじ切るようにして回し開けた。とてつもない力が加わらないとできない芸当である。


「ふははは! どうだ、リ◯ビタン開けだ!」


 源五郎丸室長は堂々と他社製品の名前を出して白い歯を見せて笑ったが、わかなは何も言わずただ愛想笑いを浮かべて、パソコンを立ち上げた。


「んんんん~!? ちょっと薄情じゃないかね、永射くん!」

「驚きのあまり声が出ないだけです」

「そうかそうか、声も出ないか! ふははははは!!」


 満足げに「めぐみ」を飲み干す源五郎丸室長。そこへ、


「おはようございまーす……」


 武士沢(すもも)がオフィスルームに入ってきた。だがわかなと源五郎丸室長は、ひと目見てただならぬ様子だと感じ取った。髪の毛はボサボサで、目の下にクマができていたからだ。


「どうしたんですか、武士沢さん。徹夜で実験してたわけじゃないのに」

「んー、副業がねえ」


 副業と聞いて、納得がいった。確かもうそんな時期だなと思い出したからである。


「武士沢くん、無茶しちゃいかんぞ」

「多分今回が最後の参加になりそうなんで、気合い入れちゃいました」


 大丈夫ですよというアピールなのか、グッとガッツポーズした。


「そうか。危ないと思ったらすぐ休みたまえ。研究者は体が資本だからなっ!」


 源五郎丸はダブルバイセップスで上腕二頭筋を誇示して、研究室から出ていった。武士沢はすかさずカバンからA4サイズの紙の束を取り出し、


「永射氏にだけ特別に先行公開しよう。武士沢李の同人生活の集大成とも言える新刊を!」


 そう、武士沢の副業というのは同人作家のことである。コミックマーケットには必ず参加し、比較的時間があった若い頃は地方の同人イベントにも顔を出していたぐらい積極的に活動していた。


 活動ジャンルはオリジナルBL漫画ではあるが、ゲイ雑誌に載っていてもおかしくないぐらい濃い絵柄とハードな描写が特徴である。今回出すという新刊も、ヒゲをボーボーに生やしたガチムチ体型の中年男性が筋肉ムキムキの男にありとあらゆるマニアックなプレイで責め立てられるもので、色道では百戦錬磨のわかなですら理解し難い場面が多々あった。大人の事情で詳細は書けないが、内容は化学の実験と称して薬品を使いあれやこれやしているとだけ記しておく。つまりは仕事の知識の悪用である。


「武士沢さん……あなた頭のどの部分を使えばこんな話を作れるんですか」

「うひひひ」


 武士沢は気持ち悪い笑い声を上げた。こいつはなかなか重症だな、とわかなはため息をついて、パソコンに保存してある見学者名簿の確認を行うことにした。


 結局定員には達しなかったものの、それでも科学部員を含めて三十人は来てくれたのでそこそこ大所帯となっている。わかなは名簿の一番後ろにある名前に目を止めた。夜野ことり。先日この天使のような美少女を病院帰りに偶然見かけて、学校で偶然見知り合いになって、病院の娘であることを偶然知った。ほんの軽い気持ちで見学会に誘いをかけてみたら前向きな返事を貰ったのだが、実際に参加を決めてくれて何より、といったところである。

 

 是非天寿の素晴らしさを伝えてあげたい。腰もほぼ治りかけているし、良い気持ちで見学会に臨めそうだ。


 *


 生徒たちが来所してくると、わかなは早速応対に出て、引率の科学部正顧問である理科教師と挨拶を交わした。


「永射先生、今日はひとつよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします。ではみなさん、まず会議室の方に向かいましょう」


 わかなが営業スマイルを振りまいて呼びかけると、生徒たちの何人かは顔をポッと赤らめた。科学部員たちはもう慣れっこだが、免疫が薄い非部員の生徒たちは王子然とした笑みに心を鷲掴みにされたようである。


 それでも集団の後ろの方にいる夜野ことりは平然としていた。むしろ興味はわかなよりも研究所の建物にあるようで、左右を興味津々といった様子でキョロキョロ見渡している。その仕草が散策している小鳥のように可愛いらしくてつい見てしまうが、目線が合った途端、ことりは恥ずかしそうにうつむいた。


 会議室に入り、並べられた机に生徒たち全員が着席すると、所長のマーガレット=ムンロの挨拶が始まった。自分たちと年がほとんど変わらないぐらいの外国人の少女が出てきたので何かのジョークかと思った生徒もいたようだが、わかながケンブリッジ大学卒の経歴を紹介するとどよめきが起きた。それでも信じる者は少ないようである。


 スカーレット所長はマイクを使わずに大声でぶちかました。


「おはようさん! ワシは所長のスカーレット=ムンロ言います!」


 と、コテコテの関西弁アクセントがどよめき声を増幅させた。


「はいみなさん静かにしてやー……よっしゃよっしゃ、ええ子や。せっかくの夏休みやのに見学会に来て貰うておおきになー」


 何とも言えない変な空気が会議室を支配していたが、とにかく生徒たちは静かになった。


「この天寿空の宮研究所は他所の大企業のより規模はちっちゃいけど、設備と人材はどこにも負けん思うとる。ここでサイエンスの真髄っちゅうもんを味おうて欲しい。ホンマやったら企業秘密で見せられへんところも特別に見せたるさかい、今日一日楽しんでいってや」


 挨拶が終わると、なぜかスカーレット所長は生徒たちの机の空いている席に着いた。


「所長?」

「ワシも一緒に見学させてもらうでえ。現場視察や」

 

 そのような話は聞かされてないが、まあいいかとわかなは受け流した。所長の気まぐれは今に始まったことではなかった。


「では、続いて研究所について簡単に説明させて頂きます」


 会議室の照明が落とされると、スライドがスクリーンに映された。研究所の概要をわかなは淀みなくスラスラとプレゼンテーションするが、あまり人前でも緊張しない性格に加えて、お偉方が集まる学会の場で発表して経験を積んできた賜物でもあった。


 一番後ろの席にいる人に話しかけるような感じで。星花女子学園の生徒であった頃、部活動での研究成果を人前で発表する機会があってその折に当時の科学部顧問の先生からそう教わったことがある。それを今でも忠実に守っている。


 今、ちょうど一番後ろの席にはことりが座っている。スライドを見つめて話に聞き入って、時折メモを取りながら。その真面目な姿勢に感心した。


 予定通り、ちょうど十分きっかりでプレゼンテーションは終わった。


「以上です。何か質問はありますか?」

「はいっ!」


 真っ先に手を上げたのは、ことりだった。


「研究職の人は徹夜で実験すると聞いたことがありますが、健康管理の方はどうやってされていますか?」


 保健委員らしい質問ではあるが、わかなの想定外ではあった。製品とか施設設備のことで質問してくるという思いこみがあったのは否めなかったが、それでもきっちり返答する。


「徹夜はすると言ってもごくたまにしかしないよ。それに弊社の研究職は完全フレックスタイムを導入しているので、徹夜明けに午前中いっぱいは寝て昼から出勤、なんてこともできる。睡眠時間が足らないってことは無いな」


 一瞬、わかなの頭に今朝の武士沢の酷い顔が頭をよぎった。今の彼女は追われている実験を抱えておらず、徹夜して副業に勤しんでいたのなら無理をして午前出勤する必要もなかったはずだ。


「それでも不規則な生活になりますよね。体を壊したりしませんか?」

「そこは休みの日に上手く趣味を楽しむとか、心身をリフレッシュすることで予防している。私も仕事終わりに飲みに行くとか、土日は遊びに行くとかしてるよ」

「わかりました。ありがとうございます」


 ことりはさっきの質疑応答の内容をメモした。何と律儀な子だ、とわかなはまたもや感心したのであった。

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