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4. 天使の治癒

 救急箱を持った、天使めいた美少女が口を開いた。


「誰か怪我していませんか!?」

「君は?」


 わかなが尋ねた。


「中等部三年二組、保健委員の夜野(よるの)ことりです」


 夜野、という名字を聞いて夜野医院を連想した。めったにある名字ではないし、病院近くを自転車で走っていたのは偶然とは考えられず、きっと親族だろうと推定した。


「たまたま近くを通りがかったら、理科室の方からガラスが割れた音がしたので駆けつけました」

「そうか。わざわざ来てくれてありがとうね。でも、この子が指をちょっと切っただけで大したことはないさ」

「えっ!? それはいけません!」


 普通なら引き下がるか、念の為診せてください、ぐらいで終わるはずなのに、大事が起きたような反応を見せる。


 ことりは指を切った生徒の手を取った。


「あの?」

「お薬塗っておきます。消毒しますので染みたら言ってくださいね」


 ことりは救急箱から消毒液を取り出して、ガーゼに浸して患部にチョイチョイとつけた。わかなの媚薬めいた唾液が上塗りされていくにつれて、赤く染まった顔がみるみると元通りになっていく。続けて軟膏を塗って、その上に絆創膏を貼り付けた。保健委員だから慣れているのもあるだろうが、まるで看護師がやっているかのように手際が良かった。


「はい、終わりました」

「あ、ありがとうございます……」


 ことりはわかなの方に向いた。


「あなたが顧問ですか?」

「ああ、そうだが」

「顧問には生徒への安全配慮義務があります。今後、怪我を起こさないよう一層の注意を払ってください。いいですね?」


 柔和な顔とは裏腹に、激しさが込められた口調でわかなに説教をぶちかましてきたものだから、科学部員たちは一様に色を失った。生徒たちに人気のある大人の女性に対して、牙を剥くような真似をするとは大それたことどころではない。


 しかしわかなは腹を立てることはしなかった。全くもってこの子の言うことは正しい、と納得させられた。自分が目を離していたときに起きた事故なのだから、怒られても文句は言えなかった。


「うん、気をつけるよ。ごめんなさい」


 わかなが謝ると、ことりはにっこりと笑った。まさしく、この前見た天使のような可愛い笑顔であった。


「聞き入れてくださって、ありがとうございます」


 ことりはぺこり、と頭を下げて退室していった。


「ふふっ、風紀委員よりちょっぴり怖かったな」

「あの子、私と同じクラスの子です」


 そう言ったのは羽衣石(ういし)なずなという中等部三年部員である。


「夜野さんは『星花のナイチンゲール』って呼ばれているぐらい有名人なんですよ」

「ナイチンゲール?」

「はい。健康のためなら自分にも他人にも妥協を許さない子で、まるでナイチンゲールみたいだと」


 なずなはトレードマークのアホ毛を動かしながら、夜野ことりの逸話を一つ話した。以前、クラスで貧血で倒れて保健室に運ばれた子がいたが、偏食が原因だとわかるとことりは説教して、次の日から鉄分を摂らせるために学校にほうれん草のおひたしを大量に持ち込んで、一ヶ月間無理やり食べさせたという。


「そんな感じですから、畏れ敬われるか煙たがられるかのどっちかですね。悪い子では決して無いんですけど……」

「あはははっ、なかなか面白い子だなあ」


 このときのわかなは、そういう感想しか抱かなかった。


 *


 本日の指導を終えて、わかなは自家用車である白のハイブリッドカーに乗り込んで帰路についた。


 途中でスマートフォンが通知音を奏でたので、コンビニエンスストア、ニアマートの駐車場に停車して中身を確認した。通知はわかなが利用している出会い系アプリのものである。アプリを開くと、この前一夜を伴にした女性がメッセージを送りつけていた。


 この女性が蝶茶韻理(ちょうさいんり)早智(さち)が送り込んだ監視役だということは、彼女と出会う前にとっくに見抜いていた。今まで何度か仕事についてしつこく尋ねてくる女性と出会ったことがあるが、この前早智と一緒に飲んだ折にそれとなしに聞いたらあっさりと認めたのである。あのときの早智はだいぶ酔っていたので、おそらく何を言ったのか自分でも覚えていないはずだ。


 飲みの後に出会った女性はやはり仕事のことを聞いてきたので、早智の名前を出すとすぐに観念した。自分たちの負けだから好きにしていいと言われて思う存分好きにしたのだが、代償として腰を痛めてしまい、事を中断せざるを得なくなってしまった次第である。


 だがこの女性、どうも本気でわかなに惚れてしまったらしい。メッセージでは山川藍那のハンドルネームではなく、本名で呼んでいた。


『藍那さん、いえ、わかなさん。腰の調子が良かったらもう一度会いませんか?』


 と。腰痛は回復傾向にあるし、無茶しなければ続きを楽しめる。じゃあ良い返事をしてやろうかとしたときである。女の子が一人、ニアマートに入っていった。


「夜野ことり……」


 足が自然と動いていた。車から降りて、出てくるのを待った。


「あっ、先程の」

「やあ、こんにちは」


 ビニール袋を携えて出てきたことりに、片手を上げて挨拶した。


「こんにちは。先程はつい生意気なことを言ってしまいました。気を悪くされたらすみません」

「何も謝る必要はないよ。君が正しいのだから」

「ありがとうございます」


 ことりの微笑みは、やはり天使そのものである。この子を見て可愛いと感じない者は神経がイカれている、とさえわかなは思った。


「一つ聞きたいんだけど、君のお家は夜野医院かい?」

「はい、そうです。お父さんとお母さんが医者をやっています」

「娘さんか。実はこの前ぎっくり腰になってしまってね。そこで君のお母さんに診てもらったらだいぶ楽になったよ。評判通りの良い病院だった」


 ことりの母の診察の荒っぽさに腹を立ててベッドの上で泣かせる妄想までしたことは、すっかり棚に上げていた。


「ありがとうございます。でも、ぎっくり腰は再発しやすいと聞きます。無理はなさらないでくださいね」

「うん、君も無理しないようにね。若いからと言って無茶すると私みたいになるからね」

「はい、気をつけます」

「あ、私の自己紹介をまだちゃんとしていなかったな」


 わかなはスラックスパンツのポケットから名刺入れを取り出して、


「永射わかなだ。科学部の顧問だが本業は研究職さ」


 名刺を一枚、ことりに差し出した。当然そこには所属部署の肩書きも書かれているから、


「わあ、天寿の研究員さんですか。わかな……可愛いお名前ですね。こう言っていいのかわかりませんが、男性っぽくない感じが」

「あはははは!」


 わかなは大きな声で笑った。


「そりゃそうだろう。私は女なんだから」

「ええっ!?」


 天使は目を剥いた。だが表情が崩れても、可愛らしさは微塵も失われていない。


「可愛いなんて言われたの久しぶりだよ。でもことりって名前には負けるかな。君は顔も可愛いからね」

「お、お褒めに与り光栄です……」


 わかなは続けた。


「ところで、夏休みに科学部の主催で天寿の研究所の見学ツアーをやるんだ。まだ定員まで余裕があるから、君も良かったら来てよ」

「研究所ですか?」


 ことりが食いつく姿勢を見せた。


「私、天寿のシャンプーが好きなんです」


 ことりはビニール袋から、天寿製のシャンプー「ウィッチ」の詰替え用パックを取り出した。強い洗浄力がありながら髪の毛へのダメージは既存品よりも極少なく、テレビCMで魔女に扮したアイドルの美滝百合葉がシャンプー選びに悩める女性に魔法をふりかける演出が好評だったこともあり、売れ筋の商品となっている。


「シャンプーがどういう風に作られるのか、興味があります」

「もちろん、シャンプーの開発風景も見られるよ。研究所では他にも繊維とか食品とか、天寿が関わっている事業に関する研究をまんべんなくやっている。全部余すところなく見せてあげよう」

「じゃあ、お邪魔しちゃっていいですか?」

「どうぞどうぞ。大歓迎さ」

「お願いします!」


 こうして見学者が一人増えた。ことりの嬉しさを全面に出した満面の笑みに、わかなも顔をほころばせる。


「では、私はこれで。お気をつけて」

「うん。君も気をつけて帰るんだよ」


 ことりは自転車にまたがって、家に向かってこぎだした。


「そうだ、返信しとかないと」


 出会い系アプリを立ち上げると、ことりの無理をなさらないでくださいね、という忠告が頭の中で再生された。にわかに、この可愛い天使の言うことを聞かないと何だかバチが当たるような気がしてきた。


「……やっぱり、やめておこう」


 わかなは『腰がまだ痛いから今度ね』と素っ気ないメッセージを返した。

今回登場して頂いたゲスト:


羽衣石なずな(ぴっぴろぴ~様考案)

登場作品

『先輩わたしを好きになって!』(五月雨葉月様作)

https://ncode.syosetu.com/n6342fb/

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