20. 愛の結実
――ちゃんと傷にお薬を塗ってくれる子を一人見つけた方が良いわよ
彼女を抱いたときの感触はもう忘れてしまったが、言っていたことはまだ脳裏にこびりついている。
何度も、何度も女性とベッドを共にしても塞ぐことができなかった心の傷。だが目の前にいる天使は、治す薬を持っているかもしれない。だから、過去を洗いざらい話すことにした。
恋人を失い、彼女を寝取った師がこの世から消えてもなお尽きぬ憎しみ。己の醜いところを全て包み隠さず吐き出す。それでもことりは目を逸らさず、嫌な顔一つせず、全て聞いてくれた。
「先生、辛い思いをされていたんですね。長い間……」
「でも、少し楽になったよ。ありがとう、最後まで聞いてくれて」
わかなは、ふんわりとした髪の毛を撫でた。
ことりがわかなの手を取って、両手で包み込む。感じ取った温もりは、山川藍那も含めて今まで出会ってきたどの女性とも違っていた。
「先生。今度は私の話を聞いてください」
「うん」
ことりの手に、ぎゅっと力が入るのをはっきりと感じた。
「こんなときに卑怯かもしれません。だけど、今伝えます。私……先生のことが好きです。愛しています」
慰めでそんなことを言っているわけではないことは明らかである。思い返せば、求愛の言葉をかけたことはあってもかけられた記憶が無い。今まで全て気に入った女の子は自分から声をかけて落としており、藍那と恋仲になったのは自然の成り行きでどちらかから声をかけたわけではなかった。
心臓が高鳴るにつれてかすかな痛みを感じるが、不快なものではない。まさに、ことりが心に負った傷に薬を塗ってくれているかのようであった。
空いている方の手でもう一度、天使の髪の毛を撫でる。その手を頭の後ろに回して、そっと胸元に抱き寄せた。
「永射先生……」
わかなはことりの額にキスを落とした。
「ははっ、こんなどうしようもない女に惚れるなんて。はははは……」
瞳に熱いものが溜まり、ことりの姿がにじむ。彼女は何も言わず天使の微笑みで、ハンカチでそっと目元を拭った。
「ありがとう、ことりちゃん。私も君のことが大好きだよ」
口八丁手八丁で落としてきたわかなにしては、不器用な想いの伝え方である。それでもしっかりと伝わり、ことりの方からも抱き返してきた。
全く経験したことのない、心地よい暖かさがわかなを包み込んだ。
「ありがとうございます。永射先生」
「わかな。下の名前で呼んでくれると嬉しいな。みんなそう呼んでるし」
「わかりました。わかな先生」
わかなは三たび、頭を撫でた。
「あらまっ!!」
電話を終えた養護教諭が戻ってきて、ことりはあわわ、と慌てふためいてわかなから離れた。
「あら~、良いところをお邪魔してごめんなさいね。でも一応、ここは学校だから他所でやってくれるとありがたいのだけれど」
「いやあ、申し訳ありません」
わかなは頭をかくしかなかった。
*
ミカガクフェスタが終わる半時間ほど前に、わかなはお暇することにした。応急処置のおかげで歩ける程度にはなり、ことりに付き添われながら来客用駐車場として使われているグラウンドへと向かった。ついでに弟の慎之介と、ことりの身を心配した丈太郎と彼の先輩もついてきて盛大なお見送りとなった。
「じゃあね、ことりちゃん。今度は星花祭で会おう」
「その前にちゃんと病院に行ってくださいね、わかな先生」
「事故るなよー」
「慎之介もナニとは言わないがほどほどにしときなよ」
「はーい」
わかなの車は警備担当の教師の誘導を受けて、無事発進していった。車が見えなくなったところで、慎之介がことりに話しかける。
「ことりさん。今、姉さんのことを下の名前で呼んでたよね」
「えっ、はい。でも学校のみんなはわかな先生って呼んでますし、特に深い意味はないですから」
「ふーん。誰もそういう仲なの? とは聞いてないんだけどねえ」
慎之介が小悪魔的な笑みを見せると、ことりは赤面した。
「えっ? ことり! お前もしかしてあのイケメン姉ちゃんと……」
丈太郎が食らいついてくる。ことりは正直になって、無言で首を縦に振った。怒られるかと覚悟していたものの、違う反応が返ってきた。
「そうかー。怪我してでもことりの危機に駆けつけるぐらいの人だったら安心だな! 大事にしてもらえよ!」
丈太郎も、彼の先輩も良い笑顔になっている。
「姉さんもそろそろ、まともな恋愛ができそうかな」
慎之介の独り言は誰にも聞こえなかった。
もうちょっとだけ続くんじゃ。
【2020.9.19】
ことりちゃんの兄貴と先輩の裏話も書いてみました。よろしければご一緒にどうぞ。
https://note.com/fdaicyou/n/nf2778d38e0fc




