16. 12枚綴りのチケット
(2020.9.17)
星花女子学園校舎図の新しい公式設定に則って一部記述を変更しました。
二学期が始まるとすぐに星花祭が催される。科学部は研究テーマの成果発表や実験のデモンストレーション、定番のスライム作り体験などたくさんの出し物の準備に追われているが、わかなは研究や博士論文執筆と並行してそれらを逐次チェックしていた。とはいえ基本的な方針は部長や顧問教師に任せており、物理や地学は他の外部顧問が見てくれているので関与は最低限にとどめ、本業に力を入れていた。
星花祭一週間前の土曜日、わかなは午前中は学園にいてその足で立成大学に車を走らせた。前日に主査の柵原教授に提出していた博士論文の草稿を添削してもらうためである。
結論から言えば轟沈であった。研究の何が画期的なのか伝わってこない。ストーリーが全然描けていない。単なるまとめに留まっている。などなどやんわりと、しかしながら辛辣に評価された。
学位取得は会社のメンツにも関わることであり、今になって大きなプレッシャーがのしかかってくる。何としても打ち勝たなければならない、と自分を叱咤した。
だがその前にもうひとつやることがあった。里帰りである。実家は立成大学から車で五分もかからないところにあり、ほぼ月に一度のペースで家族の様子を見に行くのが習慣になっていた。
わかなは家に着くとガレージに車を停め、玄関に回ろうとした。すると家の中から大勢の、高校生風の男子が出てきた。どれもみな逞しい体つきをしているが、永射家の者ではない。一人がわかなと目が合うと「こんちはー!」と挨拶してきたが、バツが悪そうにそそくさと立ち去っていった。
家には前もって電話連絡しているが、両親は出かけていて弟が留守を預かっている。実はこの時点で嫌な予感がしていた。
「お、姉さんおかえり!」
弟の慎之介が出迎えた。弟とは言うもののおかっぱ頭につぶらな二重の瞳という容貌は少女そのもので、変声期も迎えていなかった。服装も女物を着ていて、ホットパンツからはムダ毛が一切無い綺麗な白い足が顕になっている。背丈は150cm台半ばで、高校一年生の女子の平均身長よりも低い。つまりは、わかなと何もかもが正反対であった。
「ただいま。お前、また遊んでたな」
「えへへー」
何がえへへーだ、と毒づきながら家に上がり込んだ。慎之介もわかなと同じく同性を惹き付ける魔性を持ち、いかがわしいことに利用していた。
「あいつらは誰だ?」
「ラグビー部の同級生さ」
「どうりですごく臭いわけだ」
慎之介の体からは彼のものではない臭いが漂っている。かすかではあったが、わかなにとっては「すごく」不快なものに感じられるものである。だが慎之介は舌なめずりして、
「これがいいんじゃないの」
それを聞いたわかなは自分に似なくてもいいところは似てしまったな、と心の中でため息をついた。
「まあいい、お土産持ってきたぞ」
わかなは天寿のコスメ製品一式を持ち込んでいた。
「わあ、いつもありがとう! 天寿のシャンプーは僕の髪質にぴったりなんだよね~」
慎之介の長髪には天使の輪ができている。研究所の某後輩が見たらたちまち発狂するかもしれないぐらい見事なものである。
「貰ってばかりじゃ悪いから、僕からもプレゼントを用意したよ」
「何だい?」
「ちょっと待ってね」
慎之介は自室から紙を持ち出してきた。
「はい、ミカガクフェスタの金券!」
彼が通学している男子校、御神本学園の文化祭はミカガクフェスタと呼ばれている。金券は12枚綴りになっていてそれぞれ50円という文字と、明日の日付が印字されている。
「今年のミカガクフェスタ、もうやってるのか」
「うん、今日からね。一番盛り上がるのは明日。良かったら来てよ」
わかなは御神本学園の文化祭に前から興味を持っていた。自由な校風を謳っているためか出し物もバリエーションに富んでいて、地元だけでなく近隣の都市からも見物客が来て賑わうという。例年星花祭と日程がかぶっていたが、今年はどういうわけか一週間ずれている。見に行くまたとない機会だ。
「わかった。行こう」
「ありがとう!」
「さっきみたいにあまり羽目を外すなよ」
「えへへー」
慎之介はわかった、とも言わなかった。お盛んなお年頃だから致し方なし、というところである。
「僕、明日はちょっとした催し物に出るんだ」
「何の?」
「それは見てのお楽しみ」
美しい弟は不敵に笑った。
*
「ことりちゃんって、やっぱ超がつくほどの健康優良児だねー」
ことりの友人にして保健委員の仲間、岩田優樹菜が紙片を目にして感嘆した。
「体脂肪率、BMI値、骨密度、脳年齢、脈拍に血圧に血管年齢……全部正常値範囲のど真ん中に収まってる」
「努力してるんだよ? これでも」
ことりは得意げに微笑んだ。
保健委員は星花祭の出し物として、健康診断を実施するのが例年の習わしとなっている。天寿と繋がりのある健康機器メーカーから測定機器を借りてきて、学校で定期的に行われているような健康診断よりも詳しく調べることができるので、密かな人気コーナーとなっていた。
今日は委員が試しに機器を使ってみたが、ことりはどの診断項目も健康を擬人化したような数値を叩き出していた。他人の不摂生には厳しいが自分にも厳しいのだという証拠をまざまざと見せつけた格好となり、他委員の尊敬の眼差しを集めたのであった。
健康診断の会場となる第一家庭科室で機器の配置を確認して、後は本番を迎えるだけである。準備を滞りなく終えたことりは一応の達成感を味わいつつ、帰宅した。
「ただいまー」
「おーっす、お帰りー」
兄の丈太郎が出迎えた。
「あれ? 何でまた家に帰ってきてるの?」
医科大学の夏季休暇は八月末までなので、お盆過ぎに下宿先に戻っていたはずであった。
「ははっ、ちょいと後輩たちの様子を見に来たんだよ」
「後輩? ああ、もしかしてミカガクフェスタ?」
「正解!」
丈太郎は御神本学園のOBである。成績上位組の大半は旧帝大、もしくは医学部を目指すが、彼もそのうちの一人であった。
「仁も来年ミカガクを受験する予定だから一緒に連れて行きたかったんだが、あいにく塾の特別講習で、明日も塾だって言うんだ。というわけでだ」
胸のポケットから紙を取り出して、ことりに差し出した。
「もし明日空いてるなら、仁のかわりに俺と一緒に行かないか?」
ミカガクフェスタには、まだことりが小学生だった頃に行ったことがある。丈太郎と一緒にいろんな出し物を巡り、まさにお祭りという感じで楽しい思い出を残したものである。星花女子に進学してからは星花祭と日程が重なっているためにご無沙汰になり、丈太郎が昨年卒業したこともあってもう行くことはないと思っていたが、今年は星花祭より一週間早い開催となったので行くことは可能であった。
だがことりは12枚綴りの50円金券を目の前にしながら、悩んだ。
「うーん……行ったら声をかけられたりしないかな……」
「はははは! もうちっちゃい子どもじゃねえんだし、どうしても意識しちまうよなあ!」
「笑い事じゃないよ」
「なあに、心配いらねえよ。警備の風紀委員があちこちで見回ってるし、俺もついてるからな」
丈太郎は親指を立てた。
医大生は一般の大学生よりも忙しい身分である。学年を重ねると一層厳しい学生生活を送ることになるから、兄と一緒に遊べる機会はこの先もう何度もないであろう。ことりは誘いに乗ることにした。
「うん、それなら安心だ。じゃあ言葉に甘えさせてもらうね」
「よし決まりだ! 昔よりも面白い出し物がいっぱい出てるみたいだから楽しみにしてな」
そして日曜日。
「あ」
「あ」
御神本学園の正門前で、科学者と白衣の天使の卵は邂逅した。
【余談】
ぼくのかんがえたさいきょうのみかもとがくえん
・偏差値75ぐらい
・創立120周年を超える伝統校
・東大進学者40名超(現役のみで)
・制服は詰め襟
・校章は五芒星の中心に篆書体の「御」の字。五芒星の意味は世界を作る火水土風空の五元素であり、世界を作りあげる人材を育てんとする決意の現れを示している
・校風は自由だが硬派気質が一部で残っており、異性との交際を軟弱と見なす者は少なくない(ここ重要)