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15. わかなの過去 その3

「で、卒業してから何してたの?」

「住所不定無職さ。出会い系で知り合った女の子の家を泊まり歩いて、お小遣いを貰ったりもしてたな」

「その顔とテクニックがあれば楽勝よねえ」


 ミレイの言い様はいやみたらしかった。


「だけどよくそこから社会復帰できたわね」

「たまたま再会した同級生が世話を焼いてくれたおかげでね」


 * * *


 再会のきっかけは出会い系サイトというあまりロマンチックなものではなかったものの、同級生はかつての「白衣の君」が一流大学を出ていながら住所不定無職に落ちぶれた姿を見かねて、天寿の求人を紹介してくれたのである。


 天寿は一般的な企業とは一線を画した人材採用方針を取っており、新卒や既卒、年齢、出自、学歴に関係なく才能があれば良しという考えであった。とりわけ当時は右肩上がりの急成長を遂げている時期であり、積極的に人材を求めていた。


 紹介されたのは事務職であったが、冷やかしがてら応募はしてみた。履歴書は適当に書いたにも拘らず書類選考に通って面接となったものの、ほとんど雑談に近く、唯一された質問が「ここまでどうやって来ましたか?」であった。


「電車とバスを乗り継いで来ました」


 そう答えたのだが、同級生にそのことを話したらこっぴどく叱られた。なんでも会社までの通勤時間とどの時刻の電車、バスに乗ったのか具体的かつ簡潔に伝えるのが採用面接での正しい受け答えだと言うのだ。わかなは心底馬鹿らしくなり、学生時代に就職活動をしていたらこんな質問ばかりだったのだろうかと嘆息した。


 それでも一応同級生の言うことを聞いてやったのだからもうこれで終わり、とはいかなかった。後日、わかな宛に天寿から直接電話がかかってきた。内定の連絡であった。


 辞退すれば同級生の顔を潰すことになるし、親からは働きもせず世間体がどうのこうのとプレッシャーをかけられていたときである。ただそろそろまとまったお金が欲しいと考えていたこともあり、様々な事情を勘案した結果、天寿のお世話になることにした。


 初出社日一週間前に、わかなは再び天寿に呼ばれた。採用にあたり確認のための面談をしたいということであったが、具体的なことは聞かされなかった。


 面接で使われた会議室に再び通されると、人事部長の他、面接のときにはいなかった二人の女性が同席していた。面接では真向かいの席に着いていた人事部長が脇の席にいて、女性たちが真向かいにいる。座席の位置からして二人がどんな立場なのか、わかなは瞬時に理解した。


「どうぞ、楽にしてください」


 人事部長に促されて着席すると、女性たちが自己紹介した。


「はじめまして、社長の伊ヶ崎波奈(いがさきはな)です」

「同じく副社長の彼方結唯(かなたゆい)です」


 経営トップが女性であることは知っていたが、思っていたよりもずっと若かった。だが驚くよりも先に、ツートップがわざわざ自分を呼び出したことに疑念を抱いた。


 まさか直々に内定取り消しを言い渡しに来たのか、と勘ぐったものの、伊ヶ崎社長が即座に「このたびは内定おめでとうございます」とにこやかに頭を下げたものだから、わかなも「ありがとうございます」とにこやかに返した。


「さて、今回事務職での内定となったわけですが、あなたの経歴を少し確認させて頂きました。あの藤岡先生の教え子だったそうですね」


 伊ヶ崎社長の細い手が、自分の心臓を握ってきたような感覚にとらわれた。履歴書には出身大学しか書いておらず、面接でもどんな研究をしたか一切話していなかった。


「はい、その通りです」


 じわり、と額に汗を滲ませながら答えた。


「藤岡先生とは女性団体主催のイベントでお話したことがあります。あのようなことになってしまい残念でしたが」


 そして藤岡教授の死の裏に隠された真相を知っていることを、あっさりと暴露した。当然、山川藍那のことも。


「なぜそこまで……」

「弊社には優秀な調査員がおりますので」

「それで、わざわざお悔やみの言葉を述べたいがために呼び出したのですか? 他人のプライバシーをほじくり返しておきながら」


 声が震えているのが自分でもわかった。


 彼方副社長が代わりに答えた。


「いいえ。弊社では才能がある者はいかなる経歴も問わず採用する方針を取っています。それが例え前科者であってもです。ですが企業スパイが潜り込む可能性もあるので、あらかじめ問題が無い人物かどうか探る必要があるのです。永射さんだけでなく他の内定者も同じように探られていますよ」

「ああ、そうですか」


 わかなは腕を組んでふんぞり返った。ツートップ二人に対して失礼にも程がある態度だが、恐怖心に似た感情を覆い隠そうとするための無意識的な行動であった。


 彼方副社長は続けた。


「本題に入りましょう。永射さんを研究所の研究員に迎えたいのです」

「はい?」


 しばらく無言が続いて、時計の秒針の音だけがしていた。


「研究所ですか?」

「ええ。弊社には研究所がありまして、幅広い科学的知見を持った人物が揃っております。永射さんは生物学の他、化学全般にお詳しいようですね。中等部は理科、高等部時代は化学と生物のテストで常に百点。科学部では中等部三年生の頃に『園芸部の畑に住むミミズのフンに含まれる栄養素の研究』で科学コンクール県大会最優秀賞」

「そこまで調べ上げたのですか」

「理事長たる社長自ら熱心に、ね」


 彼方副社長が伊ヶ崎社長の方をチラリと見た。伊ヶ崎社長は菩薩のような笑みで、


「これだけ科学的知識をふんだんに発揮してきているのに、事務職で採用するのはもったいないな、と私は思ったの。ねえ、もう一度科学の世界に飛び込んでみない?」


 相手は本気で自分のことを欲しがっていた。目を輝かせながら口説いてきたのは、今でも記憶の中に鮮烈に残っている。これでNoと突き放せる程、わかなは冷淡ではなかった。


 科学者、永射わかなのキャリアはこのとき始まったのである。


 * * *


「それで、どう? 今は充実してる?」

「まあね。給料は同年代の女性の平均以上は貰えるし、博士号を取ったらもっとお金が貰えるようになる。そしたらこの大部屋を埋め尽くすほどの女の子と毎日遊べるかもね」

「それで、心の傷は癒せそう?」


 ミレイが一歩心の中に踏み込んで来ようとしてきたから、わかなはぶっきらぼうに「知らないよ」と答えた。


「ねえ、これからは私の戯言だと思って聞き流してちょうだい」


 ミレイは加熱式タバコを一服すると、


「心の傷を体の繋がりだけで癒そうとするのは傷口をガムテープで塞ぐようなものだと思うの。私の周りにはそんな人がいっぱいいるけど、どれもろくな人生を歩んでないわ」


 わかなは何も言わず、ミレイの方に顔を向けた。


「だから場当たり的にたくさんの子を漁るより、ちゃんと傷にお薬を塗ってくれる子を一人見つけた方が良いわよ。藍那さんは最終的にああなっちゃったけど、少なくともあなたは薬を塗ってあげたときがあったじゃない。早智さんが調べてたけどあなた、大学時代は結局藍那さん以外の女の子に一切手をつけなかったらしいわね」

「さすがは調査員のリサーチさんってところだな」


 大きいため息が、わかなの鼻から吐き出された。


「以上、私の戯言はおしまい。これから先あなたがどうしようが私には関係ないことだから」


 ミレイがベッドから降りると、快楽の余韻に浸っている七人の仲間を叩き起こして身繕いをさせた。わかなも服を着て、手早くチェックアウトを済ませ八人の美女とともに外に出た。たまたま通りがかった男女のカップルが驚いたように見てきたが、そんなことは誰も気に留めない。


「それじゃあね、楽しかったわ」

「君もお達者で」


 ミレイと別れの軽いキスを交わし、続いて残り七人とも交わすと、お互い別方向へと歩き出した。


 先程まで冷房を効かせた部屋の中にいた反動で、わかなの体からじんわりと汗が吹き出る。辺り一帯は湿度の高いビル熱がこもっており、JRと私鉄とバスを乗り継いで帰るのも億劫になるぐらいである。


 JR海谷駅の構内は、残業帰りのサラリーマンでごった返していた。人の熱気がわかなをより不快にさせる。そんな中でもミレイの言葉がずっと頭から離れなかった。


「お薬を塗ってくれる子、ね」


 ようやく帰りの電車が着いて、ドアが開いた。


 そこには、救急箱を持った天使がいた。


「こと……」


 しかしよく見ると別人の女性であった。髪型は彼女と同じふんわりボブだが、顔つきと背丈は全く似ておらず、救急箱に見えたのはバッグであった。


 きっとうだる暑さのせいで幻覚を見たのだろう、と頭でわかっていた。しかしよりによって彼女が出てくるとは。


「夜野だけに夜に出てくるとはね、ははははっ」


 わかなは笑う。そうでもしなければ自分の気持ちをごまかせなかったからだ。


 向かい側のドア近くに立ち、ガラスに映る自分の姿に言って聞かせる。


「あり得ないよな。十五の小娘なのにさ……」


 くたびれた客たちを乗せて、電車はゆっくりと動き出した。

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