13. わかなの過去 その1
ついに腰痛を克服した永射わかなのやることと言えば、一つしかない。
海谷市の歓楽街にあるホテルエンプレス。女性専用の会員制レジャーホテルと銘打っているが、ヨーロッパのお城のごとき豪奢な外装と派手な色使いのネオンサインからしてどういう目的で使われているかはお察しである。
わかなはそこの「超パーティールーム」を利用した。最大十六人まで入室可能な大部屋であり、淫らな宴を繰り広げるにはもってこいの場所に入室したのはわかなを含めて八人。そのうち一人は以前に蝶茶韻理早智が送り込んだ監視役のミレイと名乗る女性であったが、今回は任務とは別に個人的にわかなの百戦錬磨のテクニックを存分に味わいたいと考え、ご丁寧にお仲間まで連れてきたのであった。
前回はミレイと事に及んだ折に腰痛を発症して消化不良のまま終わってしまった。そのリベンジということもありミレイと他七人の仲間に対し、培ってきたテクニックを思う存分披露した。一人、また一人と快楽の大海原へ轟沈させていき、最後に残ったミレイとともに自身も果てた。
「凄すぎる……まるで野獣みたいだったわ……」
汗にまみれたミレイが寄り添う。わかなもまた、久しぶりの運動に呼吸がまだ整わなかった。他七人はベッドの下で気絶するように眠っていた。
「ねえ、タバコ吸っていい?」
「どうぞ」
ミレイは加熱式タバコを一服し、煙を吐き出すと不意にこんなことを尋ねてきた。
「藍那、じゃなかったわかなさん。実は今ちょっと機嫌が悪いでしょ?」
「なぜそう思う?」
「私だってこの道を知り尽くしてるからわかるのよ」
わかなは大きくため息をついた。
「ま、確かにイヤなことはあったがね」
「良かったら教えてくれない?」
「君に言う義理はないね」
あくまで体の関係以上に踏み込むつもりはなかった。それでもミレイは頬に手を当ててきて、
「私、実は海外に出るの。土産話に聞かせてよ」
「海外? 何しに行くんだ」
「それこそあなたに言う義理はないわ」
そうだな、とわかなは苦笑した。
ミレイとは二度と会うことはあるまい。だから話したところで何も不利益は無いだろうし、まだくすぶっている苛立ちを少しは抑えられるかもしれない。そう考えたわかなは、ミレイの頼みを聞いてやることにした。
「最近、大学時代の夢を見るんだ。人生の中で一番振り返りたくない頃のね」
* * *
永射わかなは立成11年、N大学理学部に現役合格を果たした。星花女子でトップクラスの成績を残していてもN大学に入るのは至難であったが、わかなにとっては高いハードルではなかった。
大学には複数のキャンパスがあり、そのうちの一つに理系分野の学部がまとめて置かれていた。そこは女子の花園たる星花女子学園とは全く違い、男女比がおよそ3:1というむさ苦しい所であった。わかなは女子が少ないことを大いに嘆いたが、すぐさまうってつけのサークルを見つけたので入会することにした。
サイテックガールズというサークルは名前の通り女子しか入会できないサークルで、理系女子の比率を上げようという理念の下、N大学を志望する女子中高生向けのサイエンス関連の情報発信を主な活動内容としていた。見た目だけは妖艶な美少年のわかながサークル見学で部室に顔を出すと、当時の会長に「ここは男子禁制よ」と追い返されそうになったが、それならば目で確かめてみろとばかりに服を脱ぎ裸になって無実を証明した途端、相手は手のひらを返して大喜びで迎えたのであった。
どの男子学生も敵わないほどのイケメンぶりと、肝の太さを買われて先輩たちに大いに可愛がられたが、とりわけ一学年上の山川藍那とは同じS県出身とあって仲良くなった。藍那は姫カットが特徴的で、サークル仲間からも藍那姫の愛称で親しまれていた。
「へー永射さんって星花女子出身なんだ。お嬢様なんだねえ。見た目は王子様なのに」
「よく言われましたよ」
それが初めて交わした会話だと、わかなは今でもはっきり覚えている。
入学して半年が経ったある日のことであった。学祭の準備に追われる中、藍那は急にサークルに顔を出さなくなり音信不通になってしまった。活動に対して真面目だったので、これはおかしいと感じた会長の指示でわかなは彼女の下宿先まで様子を見に来た。
「藍那先輩、あーいーなーせーんーぱーいー」
しつこくインターホンを鳴らすと、たまりかねたのか藍那が出てきた。酷くやつれていた。
「先輩? いったいどうしたんです?」
「わかな……悪いけど今は放っておいて」
ドアを閉めようとしたが、わかなは足を入れて防いだ。
「放っておけませんよ、先輩の姿を見たからには」
そう言って笑顔を見せると、藍那は少しためらった後、ドアを再び開けて招き入れた。
ワンルームの中はとにかくぐちゃぐちゃであった。脱ぎ散らかした服にスナックの袋、酒缶も転がっていたがどれもストロング系チューハイで、どんな生活を送っていたのか簡単に想像がついてしまった。
「ごめんね、こんな状態で……」
「うん、まずは掃除しましょうか」
まずわかなが率先してゴミとそうでないものを選り分けはじめると、藍那もそれに倣った。床に掃除機をかけてウエットシートで拭いて、長い時間をかけて丁寧に部屋を綺麗にしていった。
「ありがとう、わかな」
一段落ついたところで、藍那はアイスコーヒーを淹れてわかなに差し出した。もう少し落ち着いてから本題に入ろうとしたが、藍那の方から口火を切った。
「彼氏と別れたんだ」
高校時代からつきあっている同級生の恋人がいることは知っていた。別の大学であったが距離は近いところにあり、頻繁にデートをしていると聞いていたが。
「つい先日までのろけ話をしていたのに、急ですね」
「二股かけられてたの」
たまたま歓楽街を通りがかったら、ホテルから彼氏と別の女が出てくるのを見てしまったという。二人を問い詰めたら、大学入学直後からつきあっていると言われた。
「つまり一年半も騙してたわけですか。全くひどいな」
わかなとて今まで複数の女子に手を出してきたので人のことを言えた義理ではないが、あくまで遊びであり、それは相手も承知の上であった。
サークルでは半年ぐらいは大人しくしていようと決め込んでいた。気に入った子が数人いて、藍那もその中の一人に入っていた。一番のネックは異性の恋人がいることであったが、その縛りももはや無い。
どうやらリミットを外すときが来たようである。弱っているところにつけ込む後ろめたさは、にわかに湧き上がった欲望がかき消していた。藍那の隣に座り、肩に手を回して体を引き寄せた。
「わかな?」
「私が忘れさせてあげますよ」
有無を言わさず、唇を塞ぎにかかった。
「ん……」
抵抗する素振りを全く見せないので、舌を入れてみたところ積極的に答えてきた。自分から食いついてくるのは正直なところ想定外であり、わかなの巧みな舌技が披露されるより前に、藍那がわかなの舌を強く弄んだ。
「ぷはっ」
「先輩、あんた結構強引なんだな」
わかなは口周りについた二人分の唾液を手で拭った。今までの相手は大人しくなすがままにされていたが、今回は少々勝手が違うらしい。それは楽しみでもあった。
藍那は目を潤ませて、こくっとうなずいた。わかなの切れ長の目がたちまち、肉の塊を目の前にしたライオンのように吊り上がる。
藍那をそっと押し倒すと、ミニテーブルに置かれたアイスコーヒーの氷がカラン、と音を立てた。
*
「やばい、会長への報告をすっかり忘れてた」
わかなのケータイは脱ぎ散らかしたデニムパンツのポケットの中にしまってある。ベッドから出ようとしたら、藍那が腕をつかんで止めてきた。
「もうちょっとだけ」
肩にしなだれかかってきたものだから、仕方なくそのままにした。
「ねえわかな、今まで何人の女の子とつきあってきたの?」
「数え切れないか、ゼロかのどちらかです」
「何それ?」
「寝たという意味なら十本の指でも数えられません。だけど世間一般の健全な意味での恋人はゼロですよ」
「私の元カレよりたちが悪いね」
確かに、と苦笑いするしかなかった。
「他のサークルの人にも手を出したの?」
「いいえ、先輩だけですよ」
「今のところは?」
からかってくるぐらいに元気にはなったようで、わかなは安堵した。
「ねえ、わかな」
「はい?」
「今の私、何だか清々しいの。服のシミ汚れが洗濯で落ちて真っ白になったみたいに。こっちが本当の私なのかもしれない」
それが目覚めの始まりか、はたまた気の迷いなのかはわからない。わかなに溺れていることには変わりなかったが。
だから私たちつきあおうよ、と言われたときは気軽に受け入れた。世間一般の健全の意味ではないつきあいをするつもりではいた。このときは。




