12. 恋の病
星花女子学園名物、臨海・林間学校。今ではりんりん学校という愛称で親しまれている二泊三日のイベントに夜野ことりは参加していた。
近年は熱中症の危険性が高まり、保健委員の役割は重大なものとなっている。体調の優れない生徒を見かけたら即活動を中断させて処置をして、重篤化を防がなければならない。特に開放的な野外でのイベントだとテンションが上がって自分が無茶をしていることに気づかないものだから、常に目を配る必要があった。
ことりは水着に着替えて砂浜を歩いていたが、みんなと一緒にビーチバレーを楽しんだり海水浴したりするわけでもなく、保健委員としての仕事に集中していた。具合の悪そうな生徒はいないか監視しているのである。
しかし長時間炎天下でウロウロするわけにもいかない。適当なところで他の委員から声がかかったので休憩に入ることにした。砂浜の外れにいくつかあずまやが設けられていて、そのうちの一つの中に入り涼を取った。
「おつかれー」
同じく保健委員で同級生である岩田優樹菜が声をかけてきたが、トップレス状態で中学生らしからぬ豊満な胸が顕になっているのを見て声を荒げた。
「ちょ、ちょっと何やってんの!」
「別にいいじゃん、私たちの貸し切りなんだし。ことりちゃんも脱ぎなよ、めっちゃ気持ちいいよ?」
「やだよ」
ことりは天寿ブランドのスポーツドリンク「めぐみ」に口をつけた。今年は熱中症対策のために大量に仕入れていたものだ。
「ねえねえ、ちょっと聞きたいんだけど」
「何?」
「科学部顧問の永射先生とデキてるの?」
ブッ! と、ことりは思いっきり口の中身を吹き出してしまった。
「私、たまたま見ちゃったんだー。この前六礼駅でことりちゃんが永射先生の車に乗り込んでいるところを。デートでしょ?」
「あっ、あれは違うよ!」
ことりは理由を包み隠さずに話した。あくまでも武士沢という研究員がご飯をおごってくれたことを強調して。
「ふーん」
「ウソじゃないって! 疑うなら科学部の人に聞いてよ」
「いつもニコニコ、仕事はバリバリのことりちゃんがあたふたしてるのを見たらどうしてもねえ」
「デートだなんて言うからだよ」
「で、本当のところはどうなの? 美味しく頂かれたの?」
「い、頂かれたって……?」
「とぼけちゃってー。シたんでしょ?」
いくら見た目は純真無垢な天使とはいえ、そういう方面への知識に疎くはない。羞恥心と怒りで顔を赤くしたことりは強く否定した。
「やってません!!」
周りにいた生徒が一斉に振り向いた。
「わかった、わかったよ。そこまでムキになんなくていいじゃん。永射先生って相当女たらしって話だから、ことりちゃんも食われたのかなと思っただけだよ」
「女たらし? 先生が?」
「知らないの? 星花にいた頃はその道で超有名人だったんだよ」
優樹菜は、永射わかなが星花時代に残したと言われる数々の伝説の一部を紹介した。
成績優秀で菊花寮に入っていたが、毎晩誰かしら生徒を泊めていて実質二人部屋状態だった。時折三人部屋や四人部屋にもなった。
科学部員全員がわかなと関係していたと言われている。放課後の理科室はいろいろと凄いことになっていたらしい。いろいろと。
「カラスが鳴かない日はあっても永射が女の子を鳴かせない日はない」という格言が残っている。
星花女子学園の恥ずべき黒歴史の一つ、「フライングディスク部乱交パーティー事件」の黒幕と噂されている。媚薬を調合して与えたというが真相は不明。
いろんな二つ名を持っていた。「白衣の君」が有名だが他にも「ガールイーター」「夜の女帝」「星花女子の女種馬」「歩く十八禁」「ゴッドハンド(意味深)」「神の舌(意味深)を持つ女」などなど。
「極めつけはりんりん学校の肝試しよ。あれは私たちと同じ中等部三年生の頃、永射先生がりんりん学校に初参加してみんな大騒ぎして、肝試しではパートナーを組みたがる人がたくさんいて喧嘩になったの。仕方なく先生はたった一人で勇敢にも先陣を切って行くことになったんだけど全然ゴールに着かない。それどころか後発のグループもほとんど着かない。おかしいな~変だな~怖いな~と思った生徒会の人たちが様子を見に行ったら、茂みの中で女の子がいっぱい倒れてるんです。もう幽霊の仕業だって大騒ぎになりましてね。だけど茂みの奥をよく見たらね……大勢相手にヤッてたんですよ。永射先生が」
途中から怪談話で有名な某芸能人のような口ぶりで話す優樹菜だったが、ことりは半ば放心状態で聞いていた。
「三十人同時に相手して天国に導いたから『永射わかな三十人殺し事件』なんて物騒な名前がつけられてね。その事件のせいでりんりん学校を出禁になったんだって」
「そんな無茶苦茶な人だったなんて信じられない……私の知ってる先生と全然違う」
「まっ、聖人君子じゃないってことだけは覚えといた方がいいかもね。さて、仕事に行きますか」
優樹菜はビキニトップをつけ直すと、立ち上がった。
「ドライブデートのことは黙ってあげるわ」
「デートじゃないって!」
ことりの抗議を聞き入れる様子を見せるはずもなく、スキップして砂浜に向かっていった。
「はあ……」
ついため息が出てしまう。単に車に乗せてもらっただけなのに。
わかなの伝説が本当なのかどうかはわからない。確かに同性にモテる要素をたくさん持ってはいるが、科学をこよなく愛する若き研究者にして教育者、というのがことりの描く人物像だ。霊園での出来事も決してデートなどではなく、命について考える実地教育であった。
向こうは科学部の顧問であり、保健委員の自分は無関係の生徒に過ぎない。ひょんなきっかけで知り合ったとはいえ、本来ならば教育を受けられる立場ではないのだ。
不意に、わかなに頭を撫でてもらったときの優しい感触が甦ってくる。同時に、急に喉が乾いてきたから「めぐみ」を一気に飲み干した。
*
二日目の夜に行われる肝試しは、肝試しではないイベントとして良くも悪くも名を轟かせている。「悲鳴と嬌声の夜」という別名がつけられている通り、幽霊も裸足で逃げ出す程の乱行が繰り広げられるのである。一応は学校行事なので風紀委員の取締り対象になるはずだが、なぜかみんな見て見ぬ振りをする。ただ今年は風紀委員長が厳しいのでどうなるかわからないが、いずれにしてもことりは肝試しには参加せず、保健委員の仕事に就くことにしていた。
いくら夜とはいえ30℃を超える高温で、熱中症の危険があるために生徒たちが出発する前に健康状態を入念にチェックする必要がある。炎天下で遊び回って体力を消耗しているのに、もっと遊びたいと無茶する生徒がいるからだ。
そのついでに爪の状態もチェックし、伸びている者に対してはその場で切らせた。昨年度の肝試しで恥ずかしいところを怪我した生徒がいたからである。乱行の片棒を担ぐことに罪悪感を抱いたが、怪我をされるよりは遥かにマシだ。
それでも肝試しが終わった頃には三人の生徒が体調不良を訴え出たので、保健室がわりに使われている別室に移動させた。うち二人は真面目に肝試しをしていて恐怖感に襲われて気分が悪くなったが、残る一人は致している最中に足をつったものであった。あられもない姿で恋人に肩を担がれて運ばれてきたときは泣いていたが、足の痛みよりもみじめな姿を見られてしまった恥ずかしさが原因に他ならなかった。
「気分はどうですか?」
「だいぶ良くなったわ。ありがとう」
足をつった生徒は今ではすっかり落ち着いている。他の二人も体を起こせる程まで回復していて、一安心といったところである。
三人とも互いのことを知らなかったが、ことりの看病を通じて一種の連帯感が生まれたようで、談笑をしはじめた。合宿の話題といえば恋バナが定番であり、三人とも恋人持ちだったのでのろけ話になったが、その中にことりは唐突に巻き込まれた。
「夜野さんは恋人いるの?」
「えっ? い、いませんよ」
「そう。可愛い顔をしているのに勿体ないわね」
他の二人もウンウン、と同調する。
「恋人ができると人生変わるよ、マジで」
「思い切って作ろうよ。夜野さんなら簡単だよ!」
ことりは苦笑いしか浮かべられなかった。
「でも私、今の所好きな人がいないんですけど」
「じゃあ、どんなのがタイプ?」
聞かれて考える前に、人影が頭の中にスッ、と浮かんでくる。それは女性とも男性とも取れるような声色で、こう呟いた。
『うぶなんだな、ことりちゃんは』
「あれ、顔が急に赤くなった」
「へぇっ?」
「やっぱり好きな人、いるんじゃない?」
三人が迫ってくる。クーラーは効かせてあるのに、顔が熱くて熱くて仕方がない。
「いませんったら! 気分が良くなったのなら早く自分の部屋に戻ってください!」
ことりはたまらず、別室を飛び出してそのまま外まで出ていってしまった。そのまま海の方まで歩いていき、誰もいない砂浜に座り込んだ。
寄せては返す波の音や潮の香りも、心を落ち着かせることができない。熱っぽさは顔にとどまらず体全体に広がっていた。
病名は何なのか、もはやことりにははっきりとわかっていた。
「これが『恋の病』ってやつなんだね……」
ことりは砂浜に、いましがた見つけたばかりの好きな人の名前を書いて、すぐに消した。今宵も熱帯夜になりそうだ。




