1. 酒まみれの木曜
星花女子プロジェクト第8弾、始まります!
空の宮市の飲み屋街にある居酒屋「赤備え」のカウンター席で、いかにもバリキャリという感じの一人のスーツ姿の女性が酒と食事を楽しんでいた。
「むむっ! このソフトな食感と舌触り、噛めば噛むほど肉汁の芳醇な香りが口に広がってフワッと鼻を突き抜けていく……」
「どうです? A5等級の松阪牛はそんじょそこらの肉と一味違うでしょう」
和牛の鉄板焼は大将が自信を持って出す究極の一品である。空の宮市に本社を置く複合企業・天寿の監事として数多の現場を練り歩き、ついでに現地のグルメを嗜んで舌を鍛えてきた蝶茶韻理早智もただ唸るしかない程に。
さらにその後におちょこをクイッと傾けて中身を口に流し込むと。
「くーっ、たまらないわ! 地酒『くろしお』がこれ程肉と合うなんて」
「肉に合ういろんな銘柄を探しましたけど、そいつが一番ですよ」
「一人で楽しむにはもったいない気がしてきたわね」
早智はメッセージアプリで連絡を試みた。相手の人物の行動パターンは職業柄把握しているので、今日木曜日の夜はかなりの確率で飲み屋街に顔を出すことはわかっている。
やがて『実はすぐそこにいるから向かう』と返事が来た。やはり私の調査力は素晴らしいわ、と早智は自画自賛した。
「大将、本日のビックリドッキリフレンズを紹介してあげるわ」
「ん?」
早智はやおら立ち上がり、右手を高々と突き上げた。もうすでに酔いがかなり回っていた。
「いでよ!」
「はあ?」
大将が調理の手を止めてポカン、と早智の方を見る。
「神が作り給いし天才的な頭脳! 神が作り給いし真理の追究者! 天寿の誇るスーパーサイエンティスト、エイシャアああ痛たああ!」
早智の頭に強烈な痛みが走った。チョップが頭に振り下ろされていたのだ。
「いきなり何すんのよ!」
「フツーに紹介しろ、フツーに。それに何度も言ってるだろう。永遠の永に射撃の射と書いて『ながい』だ。『エイシャ』って音読みするんじゃない。今度『エイシャ』って呼んだら尻を撫で回すぞ」
「このセクハラ魔め」
剣呑なやり取りに大将は眉をしかめていたが、現れた人物につい見惚れてしまった。身長はざっと見積もって170半ばだが、少し吊り気味の目、すっと通った鼻筋、厚くも薄くもない唇はこれこそが神が作り給うたものだと錯覚するぐらい完全に整っていて、肌は白磁のように透き通っている。居酒屋よりも、一等地にある高級フレンチ店が似合うような気品さが漂っていた。
「大将、改めて紹介するわ。同僚の永射わかなよ」
早智は名字をいやみったらしく強調した。
「はあ~……なかなか良い男だなあ」
「ふふっ」
わかなは妖しさを秘めた笑みを浮かべた。
「大将、残念ながらと言うべきかな、私は女ですよ」
「女ァ!?」
性別を間違えても大将に責任はないであろう。見た目は中性的でどっちとも取れるが、声が低いためにそれをもって男性だと誤認する者が後を絶たなかった。もっとも、わかなは相手が性別を間違うのを楽しんでいる節があるので全く気にはしていないが。
「あ~いやいやこれは大変失礼しました。まず何か飲まれますか? お詫びに一杯サービスしときますよ」
わかなは席に着いた。
「じゃあお言葉に甘えまして。芋焼酎は何かありますか?」
*
「酒ばっか飲んで肉料理に手をつけずじまいってどういうことよ。もったいない」
へべれけ状態になっている早智が絡んでくるが、わかなの方は芋焼酎をアテ無しでガブガブ飲んでいたにも関わらずまだ平然としている。
「実はこれから人と会う約束があってね。脂っこいものを食べて口が臭くなったら嫌だろ?」
「あなた、ほんっとに女遊びが好きよねえ」
「君も来るかい? 複数人で楽しむのも乙なものだ。何なら君の……」
「ストップ。それ以上言ったらそこの用水路に放り込むわよ」
「おお怖い怖い」
店を出て右手は空の宮中央駅方面、左手の細い路地を進むとラブホテルやいかがわしい店が立ち並ぶディープな場所が待ち受けている。当然ながらここでお別れとなった。
「じゃあね、さっちゃん。気が変わったら途中で乱入してきてもいいよ」
「あなたにさっちゃん呼ばわりされる筋合いはない」
早智はサムズダウンで答えて、駅へと足を進めた。
まだ八時代、飲食店のきらびやかな明かりが早智を誘惑してくるがあいにく明日は仕事があるので、振り切るようにして歩いた。
「今から『山川藍那』の時間帯、か」
早智は、わかなが山川藍那というハンドルネームを使って出会い系アプリで女性と会っていることを知っている。実は今からわかなが会う女性は、早智が雇った人物である。一夜を伴にする中で企業秘密をさりげなく聞き出す、いわばハニートラップの役割を演じてもらうことになっている。
わかなは研究職として、天寿の根幹に関わる仕事に携わっている。もしわかなが色香に負けて企業秘密をペラペラとしゃべるようであれば信用できない人間とみなされ、研究職から外されるか、最悪の懲戒解雇処分を下さなければならない。
もっとも、早智は今まで何度か疑似ハニートラップを送り込んできたのだが情報を漏らしてはいなかった。今回も仕事のことは一切忘れてたっぷり楽しんで終わるであろう。
それにしてもよく山川藍那なんて名前を使うことだ、と早智はいつも思っている。なぜならばこの名前、かつてわかなが大学でつき合っていたという女性の名前だからだ。
彼女にまだまだ未練があるのか、はたまた名前を出会い系サイトのハンドルネームに使って汚すほどに憎んでいるのか。そこまで立ち入るまでは早智に権限はない。
「どっちにしろ、救われてないわね……」
早智は年上の後輩社員を案じて、ため息をついた。
今回登場して頂いたゲスト:
蝶茶韻理早智(壊れ始めたラジオ様)
出演作:『さちれいにサチアレ!』https://www.alphapolis.co.jp/novel/994661862/952313390