45 普通なんていらない
ウルスラは、バルドリックに手を引かれ、運動場の片隅にある森の中を歩いていた。
バルドリックは始終無言だが、後ろから見える耳は先端まで赤かった。ウルスラといい感じで勝負ができるほど。
ある程度奥まったところまで来て、バルドリックはようやく足を止める。そしてウルスラを振り返った。
「先ほどの君の言葉だが……」
バルドリックの言葉が途中で途切れる。彼自身、踏み込んでいいかどうか迷っているようだ。それでもしばしの沈黙の後意を決したように続ける。
「本気だと思っていいのか?」
「リックは私の気持ちを知っていたからこそ、首に口づけをなさったのでしょう?」
先ほど食まれた場所を掌で押さえながら、ウルスラはバルドリックを上目遣いで睨んだ。あの状況を改めて言葉にすると、羞恥が増す。耳まで熱くなるが、同時に冷静な部分も残っていた。
「互いに思いあってもいないのに、あんな行動に出たのであれば、軽蔑します」
「いや、まあそうなんだが。ただ……実際に言葉に出されると、何ともこそばゆいというか」
バルドリックは視線を宙にさまよわせていた。少し前から、互いが互いの態度で、好意があることに気づいている。そもそも婚約の話が出た時にいやがらなかった時点で、憎からず思っているのは確定なのだ。
「好きですよ」
ウルスラは視線を落としてぼそりとこぼした。
「ただ、言うつもりなんて、ありませんでした。私は前世でもバルデマーを愛していて。その感情に引きずられているのだと思っていましたから。それに、アーベントイアーの方たちも救いたいから、恋に浮かれている場合でもありませんし」
どちらかというと、バルドリックのことは同志だと思っていた。けれど、こうして触れられたら恥ずかしいのと同時に嬉しいと思ってしまうのなら、自分の気持ちを認めるしかない。認めたうえで、あまり浮かれすぎないように制御をしていかなくてはならない。時間は刻々と迫っているのだから。
「俺の前世が好き、ってことでも構わない。むしろうれしいかな。そこまで俺を思ってくれているのは。いや、厳密には俺ではないのか。だが、そこから育んでいけばいいんだ。実は俺も、君の事を愛しているかどうか、よくわからないんだ」
そう言いながらバルドリックはウルスラの手をやさしく握っている。心に届くようなぬくもりが、ウルスラを温めている。
「君の前ではかっこよくありたいし、情けないところは見せたくもないんだが、同時にありのままを見てほしいとも思う。俺は今、君にすごく触れたいし、何だったら、壊してしまってもいいんじゃないかと思ってもいる。それが俺の中の魔王の部分なんだろうな。オーディーとか、他の誰かのものになるくらいなら、いっそのこと殺してしまえば、君は誰のものにもならない。でも、それをすれば間違いなく後悔するだろう。君の亡骸を抱いて、俺は発狂する。前世の記憶かどうか定かではないが、俺の前の勇者たちはそうやって最後には死んでいった」
手を握られたまま、ウルスラはバルドリックを見上げる。静かな空色の目が、ウルスラを見降ろしていた。
「これは、愛情なんかではなく、執着だ。たとえそうであっても、俺は君を誰かに渡したくはない」
バルドリックは握ったウルスラの手を持ち上げ、唇に寄せた。ほのかな熱が、指先に触れる。
「愛情じゃないなんて、本人を目の前にしていってはいけないことでは? 前世を持ち出した私も大概おかしいですけど、せっかくまとまりそうな話も、まとまらなくなりますよ」
ウルスラは思わず苦笑いをこぼす。
「俺たちは似た者同士で、似合っているということじゃないか? それに、隠し事はなしにしたいんだ」
「では正直に申し上げますと、愛していると言われるよりも、だれにも渡したくないと言われたほうが、ちょっとうれしいです」
これって普通の感覚とは違うんでしょうか? とウルスラは首をかしげた。
「さあどうだろう。もとより俺は普通とは違う存在だ。普通なんてものはいらない」
バルドリックは握っていたウルスラの手を強くひき、抱き寄せた。すっぽりと腕の中に納まったウルスラを強くかき抱く。ウルスラもバルドリックの体を強く抱きしめ返した。互いの鼓動が、重なり合う。
ふとバルドリックの腕の力が弱まったかと思うと、ウルスラの耳に武骨な指が触れた。頬をたどり、顎にかかる。くっと顎が持ち上げられ、上を向かされたかと思うと、バルドリックは顔を近づけてくる。ウルスラは目を閉じた。
鼻先にぬくもりが触れ、互いの息が混ざり合う。
当然、甲高い音が鳴り響いた。通信機の着信だ、と気づいた時、ウルスラを覆っていたぬくもりが消える。唇に期待していた感触は得られないまま。
「オーディーだ」
バルドリックにしては珍しく、盛大な舌打ちをする。無視をしてもいいが、雰囲気は台無しだ。バルドリックは通信機を起動させた。
『殿下! 今どこにいらっしゃるのですか!』
通信機の向こうで、オーディーが怒声を上げる。これまた珍しいことだった。
「お前に教える必要があるか?」
『ありませんよ。ウルスラがちゃんと授業に出ているのであれば。聞けば、彼女の親友が、殿下と共に授業をさぼることを勧めたのだと』
「勧められたな」
バルドリックは嘆息した。
オーディーが女子校舎に行って確認したとは思えないから、説教が終わって男子校舎に戻った時、バルドリックの姿が見えないからクラスメイトに確認したとかだろう、とウルスラは予測する。
『今すぐ彼女から離れてください』
「俺がウルスラを殺すかもしれないからか? それともほかの理由で?」
『魔王は、この国にとっていまだに脅威です。しかもあなたは、歴代の魔王の中でも最悪といわれるほど魔力が濃い』
「何を焦っている? 俺はまだ、成人前だから魔王としては覚醒しない」
眉間にしわを寄せながら返すバルドリックに、答えたのはオーディーではなかった。
『残念ながら殿下、厳密には成人かどうかは関係ありません。呪いの根源が、呪うに値すると判断した時からもう、魔王へのカウントダウンが始まっております。具体的に言うのであれば、預言が下されたときから』
「君はシュティルベルトだな? 俺から奪った魔力をどうする気だ?」
教師の説教を受けたエルーシアは、どうやらそのままオーディーといるらしい。オーディーとは違って声は淡々としていた。
『それは適切な使い方をさせていただきます。そしてあなた方にとっての朗報を。先ほどの件で私、一週間の謹慎を言い渡されました』
『一週間!?』
聞いていなかったのか、通信機の向こうでオーディーが叫ぶ。
『少なくとも、その間の授業は出られません。被害者となりました殿下にはおって連絡があるかと思いますが、どうかその一週間の間に魔王として覚醒なきよう。そして、この一週間の間によい思い出をお作りくださいませ。謹慎が解け次第、再度挑ませていただきます。今度は邪魔が入らないように』
『エルーシア!?』
勝手に話を進めるエルーシアに、オーディーは焦った声を上げる。
『次こそは確実に仕留めます。そして、このふざけた呪いに終止符を。そちらがあまりに不利な状況ですので、助っ人を一人、合流させましょう。どうぞ国立図書館の深部にお向かいください。殿下がいらっしゃれば入れるでしょう。そしてそこで、おそらく、この世界で最も呪いに造詣の深い方と出会えるはずです』
それだけ言うと、エルーシアはぶつりと通信を切った。謹慎されている身とは到底思えない。
しばらく呆然としていたバルドリックだったが、のろのろとした動作でウルスラを見降ろした。
「シュティルベルトの言葉をどう判断する?」
「彼女は、図書館には呪いに関する文献はないと言っておりました。ですがもし言っていることが本気であるなら、その人物には会ってみたいと思います」
エルーシアがわざわざそんな人物を用意するなんて、何かたくらんでいるとしか思えない。が、ウルスラたちの知識ではどうにもならないことも確かなのだ。
「今すぐ図書館へ行こう」
バルドリックはすぐに決断を下す。
「呪いを解く。俺は今まで人生を諦めていたが、君とともに歩んでいきたい」
「もちろんそのつもりですよ。王家の呪いを解くのも、アーベントイアーの人たちを救うことも、全部成し遂げます」
ウルスラもまた、表情を引き締めた。
バルドリックは期待している、とほほ笑んだ。
いつものように滑らかな動作で、手を差し出される。ウルスラも、いつものように手を添えた。




