44 膝枕と告白
オーディーが去るとともに、ウルスラはバルドリックに駆け寄った。
貴族クラスの男子数人の力を借りて、バルドリックを木陰に運ぶ。
「本当に保健室に行かなくてよろしいんですか?」
ぐったりとしたバルドリックに問いかけると、弱々しい笑みが返ってくる。
「魔力切れを起こしただけだからな。君も心当たりがあるだろ?」
言われて思い出したのは、校外実習の時のことだ。あの時は確か、バルドリックがウルスラに魔力を注いだ。
「では、私の魔力を分けましょうか?」
あの時は、ウルスラは魔力をほぼ使い果たした。今のバルドリックが失っているのは、半分ほど。気を失わないのは、その差だろうか。
「そうしてくれると助かる」
体を起こしているのもつらそうなので、ウルスラはバルドリックを寝かせようとする。が、外なので当然寝転がるスペースはない。
「やはり保健室に」
「そこまで移動するのがしんどい」
「やはり、深刻なのでは?」
「いや、少し膝を貸してくれるだけでいい」
周囲は察したのか、人がさっとなくなる。視界には入るが、声が聞こえない程度の場所で、各々のパートナーと自習を始めた。
木の下に取り残されたウルスラは、仕方なくバルドリックに膝を貸す。バルドリックはウルスラの太ももの上に頭を置き、ごろりと転がった。目を閉じる。頬が血の気を失い、辛そうだった。
ウルスラはバルドリックの手のひらに、自分の手のひらを重ねた。魔法陣など必要ない。魔力の流れを操作し、そっとバルドリックの中へと注いでいく。
指を絡めるように、バルドリックはウルスラの手を握り返した。深くつながった手の間に、流れる魔力は強くなる。
ウルスラは、閉じたバルドリックの瞼にも掌を置いた。
さらさらと葉擦れの音が聞こえる。風が心地よく、ウルスラの頬を撫でる。瞼にふれている手の甲を、バルドリックの前髪くすぐる。金色が、陽光をはじいてキラキラと光っていた。
しばらくして落ち着いたのか、手を握っているのとは反対の手が、瞼に置いた手をよけた。
空色の目が、ウルスラを見つめる。青ざめた頬には血の色が戻ってきた。
「君の魔力は心地がいいな」
顔色がよくなったとはいえ、まだ本調子ではない。バルドリックはウルスラの太ももに頭を乗せたまま、手を伸ばした。指先がウルスラの頬に触れる。
「治癒魔法特化だからですかね?」
「相性の問題だろう。シュティルベルトも言っていた。俺の魔力は奪えても、彼女には扱えないそうだ」
バルドリックの言葉に、ウルスラは思い出す。
「そういえば、奪われた殿下の魔力はどこに行ったのでしょう」
バルドリックの魔力を閉じ込めた球体は、いつの間にか消えていた。
「シュティルベルトが持って行ったのだろう。ああやって挑発したのは、目的が俺の魔力を奪って何かに使うことだったからだろうな」
「相性が悪いのに?」
「相性があるという話が嘘なのか、あるいはほかの誰かが使うかだな。ところで、相変わらず筋肉はつかないな。ちゃんと体幹は鍛えているのか?」
夏服移行に伴い、下はジャージのままだが上は半そでの運動服を着ている。バルドリックはむき出しの二の上に触れた。
「してますよ。筋肉がつかないのは、体質です。勝手に触るのは、セクハラでは?」
「婚約者の体に触れているだけだ。問題はない。癖になる気持ちよさだな。筋肉がないと、こう、何とも言えない感触だ」
バルドリックは、真剣な顔でウルスラの二の腕をもむ。本気で感触を味わっているようだった。
ウルスラはふと、故郷の弟のことを思い出した。弟は、母の二の腕をよく触っていた。眠い時、熱を出した時、怖い夢から覚めた後。たぶん、人肌に触れていると落ち着くのだろう。中でも二の腕はフニフニとして感触がいいから、触りたくもなるのだ。
魔力の半分を失い、バルドリックは弱っている状態だ。バルドリックを弟のようだと思えば、許せる気もした。慰めるように、光をはじいて輝く髪を指に絡めながら彼の頭をなでる。
「殿下」
「リックと呼んでくれといったはずだ」
「それは、街中で身分がばれるとまずいからではなかったんですか?」
「そうだったか? 今はもう婚約者なのだし、いいだろ」
「ではリック。先ほど、オーディーから接触があったのですが、その話をしても?」
「今はその名前は聞きたくないな。何も考えずに、こうしていたいんだが」
普段は弱音など一つも吐きそうもないのに、こうしてすり寄ってくるということは、魔力が奪われていることがよほどしんどいのだろう。このまま休ませてあげたい気もするが、ウルスラとしては早く情報を共有したかった。
「では、何の相談もせずに一人でオーディーのところに行きますね」
「話してくれ」
バルドリックは急に表情を引き締め、上半身を起こした。もしかして、実は魔力がもう戻っていたのだろうか。
「起き上がれる程度の回復だな」
ウルスラは何も言っていないのに、バルドリックは察する。
バルドリックは木の幹に背を預けて胡坐で座り、膝の間にウルスラを乗せた。背後から抱きしめられ、ウルスラは困惑する。
「リック?」
「今だけだ。今なら監視もない」
「クラスメイト達は見ていますが」
「見せつけてやればいい」
そういって、バルドリックはウルスラの肩に顔をうずめる。首筋にバルドリックの吐息がかかり、ゾクゾクとした感覚が背筋を這いあがってきた。
「い、いつもとリックの様子が違うんですが」
「俺もそんな気はする。なんで普段はあんなに我慢しているんだろう? する必要、あるか?」
バルドリックはウルスラを抱きしめる腕に力を込めた。
我慢しているって何を? と聞くまでもない。もしこれで、甘いものを食べるのを我慢しているとか言われたらウルスラもびっくりする。柔らかな唇が、ウルスラの首に触れた。
きっと魔力を大量に失ったことによって自制を失っているのだとウルスラは判断する。身じろぎをしてバルドリックの手のひらを捕らえ、重ね合わせた。バルドリックはすぐに指を絡めてくる。
すぐさま魔力を注ぐのを再開するが、もともと器の大きいバルドリックの魔力が満たされることはない。その間にも、ウルスラの首がバルドリックに食まれる。
「リック、みんなが見てる」
羞恥で、ウルスラの頬が徐々に赤く染まっていく。
「見てなければいいのか?」
「あ、ごめんなさい、見てなくてもやめて。この状態で魔法を使わないでください」
煙幕か幻視の魔法を使って周囲から姿を隠そうとしていることを悟り、ウルスラは慌ててバルドリックを止める。魔力が不足しているのに、魔法を使われるとさらに厄介なことになる。
「それで、オーディーのことなんですけど」
「他の男の名前を出すか?」
声にはいら立ちがまぎれていた。なんだかだんだん悪化して言っているのは気のせいだろうか。
「もしかして、魔力酔いしてます?」
注いだウルスラの魔力が原因だろうか。ウルスラがバルドリックの魔力を受け取った際に問題はなったから安心していたが、逆だとだめだということもあるのだろうか。
ウルスラは慌ててバルドリックから手を放そうとしたが、きつく握りしめられていて、それはかなわなかった。
「してない。俺はいたって普通だ。いつも通りだ」
「いつもはこんな風に甘えて来ないじゃないですか」
「甘えてはだめなのか?」
そう言われてしまっては、ウルスラも突き放せない。逃れようともがいていた力を抜く。今度こそ、ウルスラはバルドリックの腕の中にすっぽりと包まれてしまった。
「ダメじゃ、ありませんけど」
「そうか。なら、オーディーの話をすることを許可する。彼はなんて?」
「彼もまた、三百年前の記憶があるようです。嘘を言っているようには見えませんでした。私のことを紅の魔王と呼んでいましたし。それについて知りたければ、一人で来いと」
「罠だな」
「罠でしょうね。でも、何に対しての?」
ウルスラには、オーディーの目的がわからない。ナハトと敵対している秘密警察が、その対策をとるというのならわかるが、バルドリックとは対立しているわけでもない。ただただバルドリックが暴走しないように見張っているだけだ。
「まあ、なんとなくは想像がつくな。……そうか。あいつとは前世からの因縁があるのか。妬けるな」
ぼそりとこぼしながら、バルドリックはウルスラの首筋に唇を落とす。そういえば、ナハトの時はよくこめかみに口づけされていたということ思い出し、ウルスラの頭が一気に沸騰した。顔だけではなく、耳まで熱い。
「妬けるといいますけど、私はオーディーのことは一切覚えてませんから」
照れ隠しで、ウルスラは口早に言い訳をした。
「だが、つながりがあったのは事実だろ」
「それを言うなら、リックだってバルデマーだったのに……」
いうつもりのなかった言葉が出てきて、ウルスラは慌てて口を閉じる。
ウルスラの体をきつく抱きしめていたバルドリックの腕が緩んだ。ウルスラは恐る恐る背後を振り返る。バルドリックは呆然としていた。
油をさしていない魔道具のように、不自然な動きでウルスラに視線を向ける。
「俺は君を殺していた?」
バルドリックがバルデマーで、ウルスラが紅の魔王である以上、その事実は覆らない。
「リック、でもそれは私が望んだことで」
「望んだんじゃない。そうせざるを得なかったから、その道を選んだだけだ。君が俺に対して怯えていたのは、前世で君を殺したのが俺だから?」
卑屈になっているバルドリックの言葉に、ウルスラは体の向きを変えて言い返す。真正面からバルドリックを見据えた。
「確かにそうです。でも、記憶がよみがえった当初は一部のことしか覚えていなくて、でも今は理由を思い出したから怖くなど……」
「でもまた、他の記憶をとり戻した時、考えが変わるかもしれない。もしオーディーが恋人だったら? 引き離した俺を恨むだろう」
確かに、取り戻した記憶によって考えが変わるかもしれない。実際、記憶を取り戻すことによってバルドリックに抱く感情は次々と変化している。だが、だからといって常に前世の記憶に振り回されているというわけでもない。ウルスラはウルスラとしての経験も積んでいっている。感情を育てていっている。その思いを否定されるのは、癪だった。
「私の気持ちを勝手に決めつけないでください。以前の私はどうだったかわかりません。でも今好きなのは、リックですから!」
顔を真っ赤にして叫ぶ。一世一代の告白をしたつもりだったのに、バルドリックの目はなぜかウルスラの背後を見ていた。その背後からから、『おおー』というどよめきと、口笛とヤジが飛んでくる。ウルスラは慌てて振り返った。
解散していたはずのクラスメイト達、どころか二学年の生徒が終結している。
「いつからそこに?」
目をキラキラと輝かせるクララに、ウルスラは悲鳴に近い声で聞いた。
「殿下が『もしオーディーが恋人だったら? 引き離した俺を恨むだろう』って言ったところから」
あきれ顔のハンナがあとを続ける。
「チャイムが鳴ったから教室に帰ろう、とね? ずいぶん熱烈な告白だったね」
ウルスラは耳まで赤く染めたまま、うつむいた。恋心を封印しようと決めたのに、自爆しているのはどこのどいつだと自分を罵りながら。
「実はちょっと流されてたところあったかな、でも殿下は紳士だから無理やりってことはないな、と思いながらも婚約決定までが早すぎて心配なところがほんの少しあったけど、心配する要素は全くなかったようで安心したわ。一つくらい授業さぼっても問題ないと思うから、すれ違いがあるならお互いの気持ち、ちゃんと確認しておいたら?」
そういって、ハンナたちは去っていく。
次の授業、教室に戻れるような状況ではなくなってしまった。




