表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/47

43 決闘

 午後の授業は久しぶりに、合同授業から始まった。

 空席となったオーディーのパートナーにはそのままエルーシアが配置される。

 今日の授業から夏の校外実習へ向けての調整だが、魔の森ではなく毒沼地帯向かうと聞いて、生徒たちは安堵した。いくらみな無事だったとはいえ、魔の森はトラウマが大きすぎる。

 今日もまたパートナーごとに分かれ、各自で調整と号令がかけられそうになったところで、エルーシアが手を挙げた。


「皆様に私の実力のほどを示しておこうと思いまして」


 エルーシアはそう言ったが、特に誰も彼女の実力を疑問視してはいなかった。王子の婚約者の護衛につくくらいなので、まあ強いだろうな、と。この学園でバルドリックの次に強いのはオーディーだ。そのパートナーになるのは順当なことだった。

 それでも数人は、エルーシアがどんな魔法を使うのか、どんな戦い方をするのか気になるものがいたようだ。教師もエルーシアの実力は知らなかったようなので、模擬戦を行ってもいいかなと乗り気になる。


「模擬戦をするなら、俺が相手をしましょうか?」


 オーディーはにこやかに前に出ようとする。が、エルーシアはそれを掌で制した。


「いえ。お相手は殿下にお願いします。あと、これは模擬戦ではなく決闘です。私の実力がわからなければ、大切な婚約者様の護衛が私では殿下も不安でございましょう。ご自分でその実力をお確かめください」


 そういってエルーシアは腰に佩いている剣をすらりと抜いた。生徒たちは息をのむ。鍔から先が見えなかった。透明な剣だとかろうじて分かるのは、エルーシアが腕を下ろした独特の構えをとった時に、切っ先が地面をえぐったからだった。磨きこまれた刀身は、その存在を完全に隠している。


 ウルスラの心がざわつく。紅の魔王も、かつては透明の剣を使っていた。エルーシアは、それを知っていて敢えて透明剣を使っているのではないか。

 バルドリックは教師に目を向けた。教師もまた、バルドリックにこわばった視線を向けている。学園では当然私闘を禁止している。今は、建前としてエルーシアの実力を見るものだと言っている。そして、バルドリックが彼女の実力を知りたいのも事実。

 エルーシアはウルスラを守るにふさわしいのか。何よりも、謎に包まれている預言者の力の一端を見る機会でもある。


「この勝負、受けよう」

「有難く存じ上げます。魔法も武器も暗器も扱えるものであれば、すべてありで。勝敗の決定は、どちらかが降参するまで。オーディーさま、どうか周囲に結界を」


 生徒たちは運動場の端まで下がり、オーディーが魔法の余波を食らわないようにと結界を張った。

 緊張した面持ちで、オーディーはウルスラの隣に腰を下ろす。あの事件以降、オーディーとまともに顔を合わすのは始めただ。ウルスラは顔をこわばらせた。視線はオーディーに向けず、運動場の真ん中で体をほぐし始めたバルドリックを見る。バルドリックは片手剣を持っていた。刃をつぶしてある、模擬戦用の剣だ。


「ウルスラはどちらが勝つと思う?」


 何事もなかったかのように、オーディーは話しかけてきた。もしかして、アダリーシアのことなど何一つ知らないのではないかと思わせるほど、自然だった。

 教師が開始の合図を出す。軽く剣を構えたエルーシアが、バルドリックまで一気に間合いを詰めた。気負うことのない様子で、初撃が繰り出される。


「それはもちろん、殿下です」


 バルドリックは危なげなくエルーシアの剣を受け止めた。透明の刃と鋼がぶつかり合った瞬間、青い火花が舞い上がる。透明剣には何らかの魔力が付与されているようだ。

 バルドリックはウルスラの婚約者でパートナーだ。たとえ負ける勝負だったとしても、バルドリックが勝つと言うに決まっている。


「そうだな。どう考えても殿下が勝つ。もし彼女が勝つなら、君はいらないってことになるのだから」

「どういう意味ですか?」


 ウルスラは声を小さくする。周囲の生徒は、バルドリックとエルーシアの決闘に集中していて、ウルスラの言葉には気づかない。


「魔王を殺せるのは、聖女だけだ」

「エルーシアさんこそが聖女なのかもしれませんよ。例えば、純白の聖女の生まれ変わりとか」


 エルーシアを見た時から感じていたことを告げる。バルデマーのそばにいた白い少女。全く同じ顔を持つエルーシアは、いったい何者なのか。バルドリックに向けられる、憎しみにも似た感情は、前世で殺された恨みでも果たしたいからなのか。

 剣に重さなどないかのように、エルーシアは何度もバルドリックに打ち込む。攻撃をしていないときは、切っ先が地面にふれ、引きずるように移動する独特の構えだ。がりがりと削られていく地面が見えなければ、剣の存在を忘れてしまいそうだ。


「君は……すべてを思い出したわけではなかったんだな」


 オーディーが驚いたようにつぶやいた。その言葉が持つ意味に、ウルスラは引っかかる。バルドリックとエルーシアの決闘も気にかかったが、オーディーの声に心を引っ張られた。思わず、耳を傾ける。


「すべてを思い出すって、どういうことですか?」


 目はバルドリックに向けたまま、聞く。

 エルーシアがすくい上げるように下から剣をふるった。踏み込もうとしていたバルドリックがバックステップで逃げる。透明剣がバルドリックの額ぎりぎりの位置を通り過ぎた。金色の前髪がはらはらと数本、舞い落ちる。


「そのままの意味だ。三百年前の前世でのこと。君はまだ、完全には思い出していない」


 ウルスラは思わずオーディーの方を見る。濃い灰色の目が、にっこりと笑った。


「やっとこっちを見てくれたな」


 オーディーはウルスラを見て、うっとりとした表情を浮かべる。なんとなく、危うさを感じる。エルーシアはバルドリックを危険だというが、ウルスラからすればオーディーの方が危険な気がする。


「三百年前の前世って」


 ウルスラの声は震えていた。指先が冷たくなり、血の気も引いていく。


「ウルスラは俺を覚えていない。だが俺は覚えている。紅の魔王」


 ウルスラは震える手を反対の手で握りしめた。おびえるウルスラを見て満足したように、オーディーは微笑んだ。


「君を殺した男のことも覚えている。彼が現世でだれなのかも理解している。ウルスラは疑っていたな、シュティルベルト嬢……アダリーシア嬢と俺がつながっているのではないかと。その通りだ。再び君を殺すかもしれない彼から君を引き離したくて、アダリーシア嬢を利用した。まさか、あんな結果になるとは思わなかったが」


 聞くべきことがたくさんありすぎて、いろんな言葉がウルスラの頭の中でぐるぐると回る。


「覚えておいてくれ。俺はウルスラを助けたい、それだけだ」


 オーディーは深い笑みをウルスラに向けた後、決闘している二人に視線を向けた。


「とはいえ、今の君の婚約者は、バルドリック殿下だ。彼の活躍を見ないと」


 オーディーに言われるままに、ウルスラは運動場の中心を見る。だが、戦う二人を目では追っていても、内容は入ってこなかった。

 オーディーは一体、だれなのか。そればかりが気になる。バルドリックを見た時のように、エルーシアを見た時のように、あるいはレオナードのせいを聞いて彼の祖先を思い出したようには、記憶の糸が手繰り寄せられない。


「俺のことを忘れてやっと、気にかけてもらえるなんて皮肉だな」


 いっそのこと、ずっと思い出してもらえない方がいいかもな、などと嘯く。

 ウルスラは唇をかみしめ、オーディーを盗み見た。バルドリックほどではないにしろ整った顔立ち、この国では珍しい限りなく黒に近いブルネットに灰色の目。何度見ても、前世の記憶があると言われても、思い出せそうにない。

 視線に気が付いて、オーディーはウルスラに視線を向ける。甘ったるいほどの笑みを向ける。


「前世のことは思い出せなくてもいい。きっとバルデマーのせいで傷ついた君は、思い出さないことで心を守っているんだ。それよりもほら、ほら、前を見て」


 促されて、ウルスラは戦う二人に目を向ける。

 エルーシアは剣の切っ先を引きずりながら、間合いを図っていた。透明の剣がガリガリと音をたてながら地面を削っていく。ふとした瞬間に、張り詰めていた緊張が頂点に達する。それを合図に、エルーシアはバルドリックに突っ込んだ。

 エルーシアが振り下ろす剣を、バルドリックは難なく受け止める。エルーシアの動きは、女性にしては早く、一撃も重い。エルーシアの剣はバルドリックの急所を確実に狙いに行っていた。首筋、心臓、鼠径部。太い血管のある場所へと何度も剣を打ち込む。動きも不規則で剣も見えない。

 長剣ではあるが、大剣ではない透明の剣を、エルーシアは何度も引きずる。次第にガリガリという音が耳の奥でこだましだす。


「地味な戦いだな」 


 誰かがぼそりとつぶやいた。あれだけ焚き付けたエルーシアは魔法を使わない。

 オーディーに結界を張らせたのだ。観衆は派手な魔法が飛び交うことを期待している。剣技については文句のつけようもないが、ただそれだけの決闘だ。二、三度剣を打ち合わせ、二人は距離を置く。エルーシアの剣が地面をひっかく。どちらも息は乱れていないが、バルドリックは眉間にしわを寄せていた。


「もっと派手なのを見せてくれよ!」


 ヤジが飛ぶ。

 戦いのさなか、エルーシアの目がヤジを飛ばす生徒を捕らえた。不敵に笑う。


「では、ご期待に応えまして」


 エルーシアが軽く地面を蹴った。次の瞬間。


「え」


 誰もが驚きに固まった。

 バルドリックの前方、間合いの外にいたはずのエルーシアの姿が消えた。かと思うとバルドリックの背後に現れて剣を薙いでいる。反射的に剣を後ろに持っていき、バルドリックは一撃を受け止める。同時に魔法陣が剣を中心に表れる。風刃の魔法が展開されるかと思えば、魔法陣はいきなり霧散した。

 エルーシアは剣を受け止められた直後に体を回転させながら態勢を整え、バルドリックの足元を狙う。魔法が不発なのをあらかじめ知っていた動きだった。腱を狙った攻撃はしかし、バルドリックの驚異的な回避能力で空振りに終わる。


「一応解説しますと」


 バルドリックから距離をとったエルーシアは、すっと目を細めた。彼女の言葉は、バルドリックではなく、この決闘を見ている外野に向けて放たれていた。


「殿下は先ほどから数度にわたり、魔法を展開されております。そのすべてが、不発に終わっていますが」

「やはり君の仕業か」


 苦痛に表情を浮かべ、バルドリックはうめく。


「オーディーさまに結界を張ってもらったのは、このためです。魔力を奪う対象を限定するため。私、あいにくと魔力は持ち合わせておりませんが、魔法は使えるんですよ」


 そういって、エルーシアは剣の切っ先を地面に突き立てた。

 白い魔法陣が結界内に浮かび上がる。エルーシアが何度も剣で地面をひっかいていたのは、このためだった。


「さあ、どれほど耐えられますかね、殿下」


 エルーシアはかすかに笑みを浮かべた。魔法陣の真上に、白い球体が浮かび上がったかともうと、バルドリックの魔力を吸い上げていく。


「なるほど魔力を根こそぎ奪うわけか」

「魔力を扱う人間というのは、無意識のうちに魔力で身体能力を底上げしておりますので。その魔力がなくなれば、自然と防御力も下がります」


 そう言うなり、エルーシアはバルドリックに切りかかった。バルドリックの反応速度は明らかに先ほどより落ちている。先ほどまでは防いでいたエルーシアの攻撃が当たるようになり、切っ先が何度も肌を浅く裂いた。

 とうとう、バルドリックが地面に膝をつく。生徒たちの間に、どよめきが広がった。


「おつらいでしょう。全身をめぐる魔力の半分を失った程度で、この状態です。もう立ち上がるのもままならないのでは? それとも、この状態でもまだ策をめぐらそうとしておりますか? ですが、今ここには結界が張られております。()()()()()()()()()()()()()()


 エルーシアは優雅な足取りでバルドリックに近づいた。バルドリックを睨みつける目は、異様な昏さを伴っている。

 バルドリックの額には、びっしりと汗がにじんでいた。苦悶の表情を浮かべ、それでも剣を支えに立ち上がろうとしている。そうしている間にも、魔法陣の上の球はバルドリックの魔力を吸い上げていた。


「そこまで! 勝者エルーシア・ツヴァイ・シュティルベルト!」


 異変を感じた教師が、決闘を早々に終わらせようとする。


「まだです。彼は降参しておりません」


 エルーシアは教師の言葉を拒み、バルドリックの前に立ちはだかる。

 教師は慌ててエルーシアを止めようとしたが、その腹に剣の柄を食らわせ、気絶させる。生徒たちは騒然とした。

 教師の宣言で、エルーシアは勝利した。これ以上、何をするつもりなのか。誰の目にも明らかに、エルーシアの様子がおかしいと映り始める。エルーシアは透明剣をバルドリックの首筋に当てた。


「オーディー! 結界を解いて」

「結界を解いて、だれが彼女に勝てる?」


 一撃で巨牙熊さえ主倒したバルデリックが、地面に膝をついているのだ。誰がエルーシアに勝てるというのか。結界を解くということは、他の生徒も危険にさらすということだ。それはできないとオーディーは主張する。

 外野が騒然とし始めたことに、バルドリックは気づいているのかいないのか、エルーシアに不敵な笑みを向ける。


「降参といえば、君はそれ以上の行動やめるのか?」


 魔力の大半を失ったことによって青ざめた顔で、だが怯えなどみじんも見せずにバルドリックは問う。エルーシアは感情のうかがえない目で、首を振った。


「やめません。たとえ打ち首になろうとも」


 そういって剣を振り上げる。

 ウルスラは反射的に飛び出そうとした。その手をオーディーがつかんで、阻止する。

 エルーシアの剣が勢いよく振り下ろされる。


「ダメ!」


 ウルスラは叫んだ。たとえ攻撃の魔法が使えなくても。防御することができなくても。バルドリックを守りたいと願った。

 それは、魔法というよりはもっと根源的で、原始的で、混沌とした願いだった。魔力だけは有り余っている。その魔力をありったけ、結界の向こうへと投げつける。

 エルーシアが振り下ろした剣は、バルドリックに触れる前に根元からボキリと折れた。まるで、何かに阻まれるように。

 一瞬だけ、エルーシアはウルスラに目を向けた。視線が絡まることもなく、彼女はすぐにバルドリックと向かい合う。


「『参りました』。武器を失い、これ以上の戦闘は不能と判断します」


 柄だけになった剣を無造作に放り投げ、エルーシアは両手を挙げる。剣が折れてしまったことに、驚いた様子もない。


「他人の魔力で魔法が使えるのに?」


 顎から滴り落ちる汗を手の甲で拭いながら、バルドリックは尋ねる。エルーシアは冷めた目でバルドリックを見下ろした。


「魔力にも相性がありますから。殿下の魔力は、奪うのがせいぜいですね。あと、素手で殴るというのは問題外です。拳を痛めるのは好みません。あとは、ただの忠告です。あなたはご自分の魔力の強さを過信しておられます。強運の持ち主のようですので、そう簡単に死ぬことはないでしょうけれど、周囲を巻き込む恐れは高いかと」


 そう告げた後、エルーシアはオーディーに顔を向けた。


「オーディーさま、結界の解除を」

「あ、ああ」


 言われるまま、オーディーは結界を解く。封じ込められていた圧迫感が解き放たれて、一気に生徒たちの前に流れ込んでくる。濃密な魔力の強さに。一部の生徒が魔力酔いをする。この圧力の中で戦っていたのかと、盛大な拍手が二人に向けられる。


「エルーシア・ツヴァイ・シュティルベルト。職員室に来なさい」


 いつの間にか意識を取り戻していた教師が、エルーシアの肩をがっしりと掴んだ。


「授業終了後ですか?」

「今すぐに!」

「断…れないようですね。伺います」


 エルーシアはうんざりとしたため息をつく。


「他の生徒たちは当初の予定通り、パートナーとの演習を!」


 足早に校舎に向かうエルーシアの姿を見て、オーディーは疲れ切ったように空を仰いだ。座っていたその場から、ゆっくりと立ち上がる。


「想像以上に苛烈な人だな。なるほど、魔王に復讐したい、か」


 もったいぶった言い方をして、オーディーはウルスラを見る。


「彼女も三百年前のあの場にいた人だ。そして誰よりも魔王を恨んでいる」


 挑発するような視線に、ウルスラはどう返せばいいのかわからない。ただ、オーディーはウルスラが知らない情報を持っているのは確かなことだ。


「知りたいのならいつでも教える。ただし、君にだけだ。覚悟があるなら、一人で俺のところに訪ねに来てくれ」


 明らかに罠だとわかる言葉だった。警戒するウルスラに、オーディーは皮肉めいた笑みを向ける。


「ま、今すぐ決断なんて無理だろう。一応パートナーということで、俺もエルーシア嬢といっしょに説教を食らってくるよ」


 そういって、オーディーは校舎に向かった。

 バルドリックの魔力を吸い上げていた白い球は、いつの間にかなくなっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ