43 決闘
午後の授業は久しぶりに、合同授業から始まった。
空席となったオーディーのパートナーにはそのままエルーシアが配置される。
今日の授業から夏の校外実習へ向けての調整だが、魔の森ではなく毒沼地帯向かうと聞いて、生徒たちは安堵した。いくらみな無事だったとはいえ、魔の森はトラウマが大きすぎる。
今日もまたパートナーごとに分かれ、各自で調整と号令がかけられそうになったところで、エルーシアが手を挙げた。
「皆様に私の実力のほどを示しておこうと思いまして」
エルーシアはそう言ったが、特に誰も彼女の実力を疑問視してはいなかった。王子の婚約者の護衛につくくらいなので、まあ強いだろうな、と。この学園でバルドリックの次に強いのはオーディーだ。そのパートナーになるのは順当なことだった。
それでも数人は、エルーシアがどんな魔法を使うのか、どんな戦い方をするのか気になるものがいたようだ。教師もエルーシアの実力は知らなかったようなので、模擬戦を行ってもいいかなと乗り気になる。
「模擬戦をするなら、俺が相手をしましょうか?」
オーディーはにこやかに前に出ようとする。が、エルーシアはそれを掌で制した。
「いえ。お相手は殿下にお願いします。あと、これは模擬戦ではなく決闘です。私の実力がわからなければ、大切な婚約者様の護衛が私では殿下も不安でございましょう。ご自分でその実力をお確かめください」
そういってエルーシアは腰に佩いている剣をすらりと抜いた。生徒たちは息をのむ。鍔から先が見えなかった。透明な剣だとかろうじて分かるのは、エルーシアが腕を下ろした独特の構えをとった時に、切っ先が地面をえぐったからだった。磨きこまれた刀身は、その存在を完全に隠している。
ウルスラの心がざわつく。紅の魔王も、かつては透明の剣を使っていた。エルーシアは、それを知っていて敢えて透明剣を使っているのではないか。
バルドリックは教師に目を向けた。教師もまた、バルドリックにこわばった視線を向けている。学園では当然私闘を禁止している。今は、建前としてエルーシアの実力を見るものだと言っている。そして、バルドリックが彼女の実力を知りたいのも事実。
エルーシアはウルスラを守るにふさわしいのか。何よりも、謎に包まれている預言者の力の一端を見る機会でもある。
「この勝負、受けよう」
「有難く存じ上げます。魔法も武器も暗器も扱えるものであれば、すべてありで。勝敗の決定は、どちらかが降参するまで。オーディーさま、どうか周囲に結界を」
生徒たちは運動場の端まで下がり、オーディーが魔法の余波を食らわないようにと結界を張った。
緊張した面持ちで、オーディーはウルスラの隣に腰を下ろす。あの事件以降、オーディーとまともに顔を合わすのは始めただ。ウルスラは顔をこわばらせた。視線はオーディーに向けず、運動場の真ん中で体をほぐし始めたバルドリックを見る。バルドリックは片手剣を持っていた。刃をつぶしてある、模擬戦用の剣だ。
「ウルスラはどちらが勝つと思う?」
何事もなかったかのように、オーディーは話しかけてきた。もしかして、アダリーシアのことなど何一つ知らないのではないかと思わせるほど、自然だった。
教師が開始の合図を出す。軽く剣を構えたエルーシアが、バルドリックまで一気に間合いを詰めた。気負うことのない様子で、初撃が繰り出される。
「それはもちろん、殿下です」
バルドリックは危なげなくエルーシアの剣を受け止めた。透明の刃と鋼がぶつかり合った瞬間、青い火花が舞い上がる。透明剣には何らかの魔力が付与されているようだ。
バルドリックはウルスラの婚約者でパートナーだ。たとえ負ける勝負だったとしても、バルドリックが勝つと言うに決まっている。
「そうだな。どう考えても殿下が勝つ。もし彼女が勝つなら、君はいらないってことになるのだから」
「どういう意味ですか?」
ウルスラは声を小さくする。周囲の生徒は、バルドリックとエルーシアの決闘に集中していて、ウルスラの言葉には気づかない。
「魔王を殺せるのは、聖女だけだ」
「エルーシアさんこそが聖女なのかもしれませんよ。例えば、純白の聖女の生まれ変わりとか」
エルーシアを見た時から感じていたことを告げる。バルデマーのそばにいた白い少女。全く同じ顔を持つエルーシアは、いったい何者なのか。バルドリックに向けられる、憎しみにも似た感情は、前世で殺された恨みでも果たしたいからなのか。
剣に重さなどないかのように、エルーシアは何度もバルドリックに打ち込む。攻撃をしていないときは、切っ先が地面にふれ、引きずるように移動する独特の構えだ。がりがりと削られていく地面が見えなければ、剣の存在を忘れてしまいそうだ。
「君は……すべてを思い出したわけではなかったんだな」
オーディーが驚いたようにつぶやいた。その言葉が持つ意味に、ウルスラは引っかかる。バルドリックとエルーシアの決闘も気にかかったが、オーディーの声に心を引っ張られた。思わず、耳を傾ける。
「すべてを思い出すって、どういうことですか?」
目はバルドリックに向けたまま、聞く。
エルーシアがすくい上げるように下から剣をふるった。踏み込もうとしていたバルドリックがバックステップで逃げる。透明剣がバルドリックの額ぎりぎりの位置を通り過ぎた。金色の前髪がはらはらと数本、舞い落ちる。
「そのままの意味だ。三百年前の前世でのこと。君はまだ、完全には思い出していない」
ウルスラは思わずオーディーの方を見る。濃い灰色の目が、にっこりと笑った。
「やっとこっちを見てくれたな」
オーディーはウルスラを見て、うっとりとした表情を浮かべる。なんとなく、危うさを感じる。エルーシアはバルドリックを危険だというが、ウルスラからすればオーディーの方が危険な気がする。
「三百年前の前世って」
ウルスラの声は震えていた。指先が冷たくなり、血の気も引いていく。
「ウルスラは俺を覚えていない。だが俺は覚えている。紅の魔王」
ウルスラは震える手を反対の手で握りしめた。おびえるウルスラを見て満足したように、オーディーは微笑んだ。
「君を殺した男のことも覚えている。彼が現世でだれなのかも理解している。ウルスラは疑っていたな、シュティルベルト嬢……アダリーシア嬢と俺がつながっているのではないかと。その通りだ。再び君を殺すかもしれない彼から君を引き離したくて、アダリーシア嬢を利用した。まさか、あんな結果になるとは思わなかったが」
聞くべきことがたくさんありすぎて、いろんな言葉がウルスラの頭の中でぐるぐると回る。
「覚えておいてくれ。俺はウルスラを助けたい、それだけだ」
オーディーは深い笑みをウルスラに向けた後、決闘している二人に視線を向けた。
「とはいえ、今の君の婚約者は、バルドリック殿下だ。彼の活躍を見ないと」
オーディーに言われるままに、ウルスラは運動場の中心を見る。だが、戦う二人を目では追っていても、内容は入ってこなかった。
オーディーは一体、だれなのか。そればかりが気になる。バルドリックを見た時のように、エルーシアを見た時のように、あるいはレオナードのせいを聞いて彼の祖先を思い出したようには、記憶の糸が手繰り寄せられない。
「俺のことを忘れてやっと、気にかけてもらえるなんて皮肉だな」
いっそのこと、ずっと思い出してもらえない方がいいかもな、などと嘯く。
ウルスラは唇をかみしめ、オーディーを盗み見た。バルドリックほどではないにしろ整った顔立ち、この国では珍しい限りなく黒に近いブルネットに灰色の目。何度見ても、前世の記憶があると言われても、思い出せそうにない。
視線に気が付いて、オーディーはウルスラに視線を向ける。甘ったるいほどの笑みを向ける。
「前世のことは思い出せなくてもいい。きっとバルデマーのせいで傷ついた君は、思い出さないことで心を守っているんだ。それよりもほら、ほら、前を見て」
促されて、ウルスラは戦う二人に目を向ける。
エルーシアは剣の切っ先を引きずりながら、間合いを図っていた。透明の剣がガリガリと音をたてながら地面を削っていく。ふとした瞬間に、張り詰めていた緊張が頂点に達する。それを合図に、エルーシアはバルドリックに突っ込んだ。
エルーシアが振り下ろす剣を、バルドリックは難なく受け止める。エルーシアの動きは、女性にしては早く、一撃も重い。エルーシアの剣はバルドリックの急所を確実に狙いに行っていた。首筋、心臓、鼠径部。太い血管のある場所へと何度も剣を打ち込む。動きも不規則で剣も見えない。
長剣ではあるが、大剣ではない透明の剣を、エルーシアは何度も引きずる。次第にガリガリという音が耳の奥でこだましだす。
「地味な戦いだな」
誰かがぼそりとつぶやいた。あれだけ焚き付けたエルーシアは魔法を使わない。
オーディーに結界を張らせたのだ。観衆は派手な魔法が飛び交うことを期待している。剣技については文句のつけようもないが、ただそれだけの決闘だ。二、三度剣を打ち合わせ、二人は距離を置く。エルーシアの剣が地面をひっかく。どちらも息は乱れていないが、バルドリックは眉間にしわを寄せていた。
「もっと派手なのを見せてくれよ!」
ヤジが飛ぶ。
戦いのさなか、エルーシアの目がヤジを飛ばす生徒を捕らえた。不敵に笑う。
「では、ご期待に応えまして」
エルーシアが軽く地面を蹴った。次の瞬間。
「え」
誰もが驚きに固まった。
バルドリックの前方、間合いの外にいたはずのエルーシアの姿が消えた。かと思うとバルドリックの背後に現れて剣を薙いでいる。反射的に剣を後ろに持っていき、バルドリックは一撃を受け止める。同時に魔法陣が剣を中心に表れる。風刃の魔法が展開されるかと思えば、魔法陣はいきなり霧散した。
エルーシアは剣を受け止められた直後に体を回転させながら態勢を整え、バルドリックの足元を狙う。魔法が不発なのをあらかじめ知っていた動きだった。腱を狙った攻撃はしかし、バルドリックの驚異的な回避能力で空振りに終わる。
「一応解説しますと」
バルドリックから距離をとったエルーシアは、すっと目を細めた。彼女の言葉は、バルドリックではなく、この決闘を見ている外野に向けて放たれていた。
「殿下は先ほどから数度にわたり、魔法を展開されております。そのすべてが、不発に終わっていますが」
「やはり君の仕業か」
苦痛に表情を浮かべ、バルドリックはうめく。
「オーディーさまに結界を張ってもらったのは、このためです。魔力を奪う対象を限定するため。私、あいにくと魔力は持ち合わせておりませんが、魔法は使えるんですよ」
そういって、エルーシアは剣の切っ先を地面に突き立てた。
白い魔法陣が結界内に浮かび上がる。エルーシアが何度も剣で地面をひっかいていたのは、このためだった。
「さあ、どれほど耐えられますかね、殿下」
エルーシアはかすかに笑みを浮かべた。魔法陣の真上に、白い球体が浮かび上がったかともうと、バルドリックの魔力を吸い上げていく。
「なるほど魔力を根こそぎ奪うわけか」
「魔力を扱う人間というのは、無意識のうちに魔力で身体能力を底上げしておりますので。その魔力がなくなれば、自然と防御力も下がります」
そう言うなり、エルーシアはバルドリックに切りかかった。バルドリックの反応速度は明らかに先ほどより落ちている。先ほどまでは防いでいたエルーシアの攻撃が当たるようになり、切っ先が何度も肌を浅く裂いた。
とうとう、バルドリックが地面に膝をつく。生徒たちの間に、どよめきが広がった。
「おつらいでしょう。全身をめぐる魔力の半分を失った程度で、この状態です。もう立ち上がるのもままならないのでは? それとも、この状態でもまだ策をめぐらそうとしておりますか? ですが、今ここには結界が張られております。以前のようには逃亡できません」
エルーシアは優雅な足取りでバルドリックに近づいた。バルドリックを睨みつける目は、異様な昏さを伴っている。
バルドリックの額には、びっしりと汗がにじんでいた。苦悶の表情を浮かべ、それでも剣を支えに立ち上がろうとしている。そうしている間にも、魔法陣の上の球はバルドリックの魔力を吸い上げていた。
「そこまで! 勝者エルーシア・ツヴァイ・シュティルベルト!」
異変を感じた教師が、決闘を早々に終わらせようとする。
「まだです。彼は降参しておりません」
エルーシアは教師の言葉を拒み、バルドリックの前に立ちはだかる。
教師は慌ててエルーシアを止めようとしたが、その腹に剣の柄を食らわせ、気絶させる。生徒たちは騒然とした。
教師の宣言で、エルーシアは勝利した。これ以上、何をするつもりなのか。誰の目にも明らかに、エルーシアの様子がおかしいと映り始める。エルーシアは透明剣をバルドリックの首筋に当てた。
「オーディー! 結界を解いて」
「結界を解いて、だれが彼女に勝てる?」
一撃で巨牙熊さえ主倒したバルデリックが、地面に膝をついているのだ。誰がエルーシアに勝てるというのか。結界を解くということは、他の生徒も危険にさらすということだ。それはできないとオーディーは主張する。
外野が騒然とし始めたことに、バルドリックは気づいているのかいないのか、エルーシアに不敵な笑みを向ける。
「降参といえば、君はそれ以上の行動やめるのか?」
魔力の大半を失ったことによって青ざめた顔で、だが怯えなどみじんも見せずにバルドリックは問う。エルーシアは感情のうかがえない目で、首を振った。
「やめません。たとえ打ち首になろうとも」
そういって剣を振り上げる。
ウルスラは反射的に飛び出そうとした。その手をオーディーがつかんで、阻止する。
エルーシアの剣が勢いよく振り下ろされる。
「ダメ!」
ウルスラは叫んだ。たとえ攻撃の魔法が使えなくても。防御することができなくても。バルドリックを守りたいと願った。
それは、魔法というよりはもっと根源的で、原始的で、混沌とした願いだった。魔力だけは有り余っている。その魔力をありったけ、結界の向こうへと投げつける。
エルーシアが振り下ろした剣は、バルドリックに触れる前に根元からボキリと折れた。まるで、何かに阻まれるように。
一瞬だけ、エルーシアはウルスラに目を向けた。視線が絡まることもなく、彼女はすぐにバルドリックと向かい合う。
「『参りました』。武器を失い、これ以上の戦闘は不能と判断します」
柄だけになった剣を無造作に放り投げ、エルーシアは両手を挙げる。剣が折れてしまったことに、驚いた様子もない。
「他人の魔力で魔法が使えるのに?」
顎から滴り落ちる汗を手の甲で拭いながら、バルドリックは尋ねる。エルーシアは冷めた目でバルドリックを見下ろした。
「魔力にも相性がありますから。殿下の魔力は、奪うのがせいぜいですね。あと、素手で殴るというのは問題外です。拳を痛めるのは好みません。あとは、ただの忠告です。あなたはご自分の魔力の強さを過信しておられます。強運の持ち主のようですので、そう簡単に死ぬことはないでしょうけれど、周囲を巻き込む恐れは高いかと」
そう告げた後、エルーシアはオーディーに顔を向けた。
「オーディーさま、結界の解除を」
「あ、ああ」
言われるまま、オーディーは結界を解く。封じ込められていた圧迫感が解き放たれて、一気に生徒たちの前に流れ込んでくる。濃密な魔力の強さに。一部の生徒が魔力酔いをする。この圧力の中で戦っていたのかと、盛大な拍手が二人に向けられる。
「エルーシア・ツヴァイ・シュティルベルト。職員室に来なさい」
いつの間にか意識を取り戻していた教師が、エルーシアの肩をがっしりと掴んだ。
「授業終了後ですか?」
「今すぐに!」
「断…れないようですね。伺います」
エルーシアはうんざりとしたため息をつく。
「他の生徒たちは当初の予定通り、パートナーとの演習を!」
足早に校舎に向かうエルーシアの姿を見て、オーディーは疲れ切ったように空を仰いだ。座っていたその場から、ゆっくりと立ち上がる。
「想像以上に苛烈な人だな。なるほど、魔王に復讐したい、か」
もったいぶった言い方をして、オーディーはウルスラを見る。
「彼女も三百年前のあの場にいた人だ。そして誰よりも魔王を恨んでいる」
挑発するような視線に、ウルスラはどう返せばいいのかわからない。ただ、オーディーはウルスラが知らない情報を持っているのは確かなことだ。
「知りたいのならいつでも教える。ただし、君にだけだ。覚悟があるなら、一人で俺のところに訪ねに来てくれ」
明らかに罠だとわかる言葉だった。警戒するウルスラに、オーディーは皮肉めいた笑みを向ける。
「ま、今すぐ決断なんて無理だろう。一応パートナーということで、俺もエルーシア嬢といっしょに説教を食らってくるよ」
そういって、オーディーは校舎に向かった。
バルドリックの魔力を吸い上げていた白い球は、いつの間にかなくなっていた。




