42 呪いと呪術と援護射撃
睡眠時間は足りていなかったが、翌日のウルスラは意外なほどすっきりとした目覚めを迎えた。
身支度を済ませ、寮母のもとに放課後の外出届を出しておく。
「国立図書館?」
届け出理由が国立図書館に行くと書かれていたことに、寮母は目を丸くした。タプファー学園の図書室はかなりの蔵書を誇る。それでも足りないのかと驚くのは無理もなかった。
昨夜、ウルスラとバルドリックが達した結論は、圧倒的な知識不足だった。身についている知識だけでは対処が難しい。まずは書を調べようということになったのだが、学園の図書室の書籍をほぼ把握しているバルドリックは、たぶん望むものを得られないと言った。
図書館に置かれている呪いに関しての書は基礎程度で前世の知識を持つウルスラには物足りないし、預言者に関しても表面を撫でる程度しか情報がない。合成人間に関しては、一切情報がない。
そうなれば、国内最大蔵書を誇る国立図書館に行くしかなかった。ここには、国内では発行された書のすべてが納められているという。魔法による検索も可能なので、学園内の書物探しよりも楽なのがいい。もっとも、閲覧制限がかかっているのは最初から予測されるのだが。
「もちろん私もついていきますよ」
いいなり背後から声をかけられて、ウルスラは肩をびくりと揺らす。振り返るまでもなく、声の主がエルーシアなのはわかった。優雅な足取りでウルスラの隣に並ぶ。今日もまた、全身白い。
「殿下と一緒に行くので、護衛はなくてもよいかと」
「その殿下が一番危険です」
言い切ったエルーシアの言葉に、寮母は首をかしげる。
ウルスラは慌ててエルーシアの腕をつかみ、食堂へ向かった。小声で話す。
「エルーシアさんは何をどこまで知っているんですか」
「シュティルベルト家として知っておかねばならないところまでは。預言者の預言は知っております。陛下が最も危惧しているのは、殿下があなたを害することです」
エルーシアもウルスラに合わせて声を落とした。感情のこもらない薄灰色の目が、静かにウルスラを見降ろす。
「殿下は私を殺しません」
「あなたは、呪いの恐ろしさを知りませんね。今までどれほどの勇者たちがその呪いに抗ってきたと思っていますか? 英雄としてふさわしい方は大勢いました。けれど最後には、どなたも呪いに負けて聖女たちを殺してきたんですよ」
「その呪いについて、国立図書館に調べに行こうとしているんです」
これは告げてもいいはずだ。むしろほんの少しでも呪いが解ける可能性があるなら、エルーシアだって協力してくれるだろう。
「国立図書館に、呪いに関する記述は一切ありませんよ」
思っていたのとは違う反応が返ってくる。呆れを含んだ声に、ウルスラは眉間にしわを寄せた。
「まさか。呪いに関する書は、タプファーにもあるのに? 国立図書館にはもっとあるでしょう」
「あるのは呪術に関する書ですね」
興味を失ったように、エルーシアはウルスラから視線を外す。食堂に向かうスピードがわずかに上がった。各部屋からちらほらと生徒たちが出てきて、食堂を目指している。まだ早い時間なので、その姿はまばらだが。
「呪いも呪術もいっしょですよね?」
「呪術は、呪いを学問にまで高めたものです。呪と呼ばれるものを相手に放つための手順や作法を体系的に、理論的に組み立てています。もちろん、解呪法も確立されています。対して、呪いとはもっと根源的な、原始的な、混沌とした、理論も道理も通用しないものです。子供がかんしゃくを起こした結果起きたような現象ですよ。呪った本人でさえ、コントロールができないようなものは、解呪しようもありません」
「なぜエルーシアさんはそんなことを知っているんですか? 預言者だから?」
「誰からそれを?」
食堂に向かっていた足を止め、エルーシアは静かな目をウルスラに向けた。
しまった、とウルスラは表情をこわばらせる。昨夜、バルドリックから聞いたことだ。バルドリックと出会っていたことを知られるのはまずい。
「かまをかけてみました」
「あなたのことを侮っていましたね。預言者といっても、この国において神は重要な位置にはいませんから、あまり公言してはいません。ですが、王家にとっては有用な情報を教えてはくれます」
「どういう神なの?」
「それを教えてしまっては、私はもう神の声を聴けなくなってしまうので、どうかご容赦を。あと、できるならばしばらくは校外に出ることをお勧めはしません」
「なぜ?」
ウルスラの問いに、エルーシアは答えず、前方を示した。アネッサが新聞紙をもって目を輝かせて近づいてくる。
「ウルスラ! どこに行ってたの。探したのよ」
そう言いながら、アネッサは持っていたゴシップ紙をウルスラに突き付けた。一面にはなぜか、ウルスラの写真が掲載されている。『第三王子の婚約者決まる』という見出しとともに。
「なんで?」
王族は、基本的に成人を迎えるまでお披露目はない。ただ、まったく表に出ないわけでもない。実際、ナハトから盗品を取り返した時にバルドリックは大々的に、このゴシップ紙が取り上げている。購入させるためか一面に載る記事は嘘とまではいかなくても大げさに書くことで有名なので、購買層は限られているが。
「この写真、この間の」
デートの時の写真だ。市場を二人で楽しく歩き回っている様子がしっかりととらえられている。バルドリックの顔はそこまで知られていないが、例のゴシップ紙のカメラマンであれば一目瞭然だろう。バルドリックの婚約は昨日発表されたし、ウルスラと結び付けてもおかしくはない。実際正解している。
「学園内はプロテクトがかかっていて物理的に許可のない写真を撮ることはできませんが、外に出ればいくらでも映像が取れます」
「スクープ狙いの記者が待ち構えていると? 国民的には第三王子の婚約者なんて興味ないのでは?」
怪盗ナハトを捕らえるかもしれない、という意味では一部で注目されているかもしれないが、私生活にまで興味が及ぶとは思えない。そんな期待を込めて、ウルスラはエルーシアとアネッサを見た。
「内政や外交に絡んでくる第一王子、第二王子ほどではないでしょうね」
「でもそこはほら、やっぱり王子様の話題だから今日のこの新聞が結構売れていたよ」
エルーシアがそっけなく言い放つのとは対照的に、アネッサがうれしそうに報告する。
「そこで三人固まって、何話してるの?」
あくびをかみ殺しながら階段を下りてきたハンナに、アネッサは新聞記事を見せた。ハンナはうーんと首をかしげる。
「五十点かな。ウルスラはもっとかわいい」
「はいはい、ハンナは相変わらずウルスラ大好きね」
「で? 何か問題でもあるの? 特にエルーシアが怖い顔してたけど」
エルーシアを胡散臭いと思っているハンナは、本人ではなくウルスラに確認する。
「こんな感じで勝手に写真を撮られるから、しばらくは外出を控えろって」
「ウルスラ、出かけたいの?」
そのことの方が驚きだ、とでもいうようにハンナが目を見開く。眠気が一気に飛んだように、顔立ちがはっきりとする。
「殿下と国立図書館に行こうと思って」
「デート? デートなのね。ちょっと待って。私もイム君と予定を合わせて国立図書館に行く。外出届を出してくる」
「お待ちください。話を聞いていましたか? 外出は控えていただくと――」
「出かける出かけないを決めるのは、ウルスラの自由でしょ。どうせ結婚したら第三王子の妻として終目されるんだから、今から写真とかバンバン取られて何か不都合でも? ウルスラはマナーの授業、いい成績を収めてる。というか、婚約者になったってことは王家からも認められているのだから、隠すことないじゃない」
ハンナは挑むように、顎を挙げた。自分よりも背の高いエルーシア相手に見下ろすように胸を反らす。
「それとも、この平和なスティード王国で、護衛のあなたはウルスラを守り切る自身はないというのかしら」
エルーシアはふう、とため息をつく。
「駄目とは言っておりません。ただ、控えていただきたいと。もし本気で止める気であれば先ほどの外出届を速攻で廃棄していますよ」
そういえば、エルーシアは自分もついていくと言っていた。確かに、ウルスラが提出した外出届を処分するようなそぶりはない。
とはいえ、ハンナの援護射撃がなければ、エルーシアにうまく言いくるめられて、ウルスラは外出を断念していたかもしれない。どうも、エルーシアに対して苦手意識を持ってしまうのだ。
「ウルスラ、外出を控える必要なんてないんだからね。学園内だと人目が気になるだろうから、たくさん外出して殿下とのデートを楽しんで! 今日はまず、ダブルデートってことで」
「そこは決定なんだね」
「国立図書館で調べものがしたかったから、ちょうどいいわ」
ハンナはイムルと付き合い始めてからずっと、ウルスラに恋人ができたらダブルデートがしたいと言っていたから、それが実現しそうで嬉しいのだろう。エルーシアの冷めた目も気にせず、外出届だしてくるねと寮母のもとに向かった。
「エルーシア、大丈夫だよ。殿下も強いし、心配することないって」
アネッサが、気楽にエルーシアの肩をたたく。エルーシアはそのバルドリックを警戒しているのだが、アネッサはそれを知らないのだから仕方ない。
「そうですね。確かに殿下はお強いです」
エルーシアの言葉に、アネッサはにこやかにうなずくと、次のターゲットを見つけてゴシップ紙を見せに行く。
「ですから、まずはその自尊心をたたき折ることから始めましょう」
そうつぶやいた時のエルーシアの目は、まるで呪いでも唱えるかのように、昏かった。
サブタイトルを思いつきませんでした。なので内容に沿ってはいるけども適切かどうかはわかりません。




