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41 決意

 鉄格子の向こう、(ラッテ)は恐怖で引きつった顔でウルスラを見る。

 不完全な分離の魔法をかけられるのは苦痛でしかないだろう。前世でも、実験体が発狂していく様をウルスラは何度も見た。肉体の痛みではない。精神に蓄積された記憶は、肉体が痛みを忘れていても消えることはない。ゆっくりと発狂を始める。


 使い物にならなくなった動物たちを、ウルスラは何度手にかけてきただろうか。せめて、その死が無意味ではないようにと、ウルスラはできるだけその肉を食べるようにしていた。たとえ、毒をはらんでいようとも。

 おそらく、前世のウルスラも徐々に狂気で満たされていったのだろう。そうでなければ、祖国を裏切って魔族側につくだなんて大それたことを考えない。それでも救いたかったのだ。誰からも見捨てられた人たちを。

 そして、より多くの犠牲者を出すことになってしまった。


(この魂は汚れているのに)


 それなのに、生まれ変わって聖女と認定されるだなんて、笑わせる。

 ウルスラは何度か、ラッテとネズミを分ける魔法を展開したが、結局二つの要素が分かれることはなかった。魔法陣の展開は間違っていないはずだ。だが、融合は魂という人間には不可侵の領域にまで及んでいるらしく、なかなか思うように魔法陣を組み立てられない。

 結局、泡を吹いてラッテが倒れたところでバルドリックがウルスラを止めた。


「君自身が倒れたら、元も子もない」

「倒れそうになってなんか……」


 魔力はまだ有り余っている。ラッテが倒れようとも、魔法はまだ使える。


「だったらなぜ、そんなに青い顔をしているんだ」


 バルドリックは無理やりウルスラの手を引き、地下牢から地上に出た。ウルスラの指先に触れたバルドリックの手が、熱いと感じるほど熱を持っている。いや、ウルスラの体温が極端に下がっているのだ。

 外はすでに暗く、落ちてきそうなほどのたくさんの星が空に瞬いていた。

 星の位置に多少のずれがあるが、三百年前と変わることなく降り注ぐ星明り。目の奥が熱くなり、ウルスラは思わず瞼を閉じた。どこで何を間違えたのだろう。いつだって、自分が正しいと思うことをやってきたはずだ。それなのに、状況は悪化していくばかりだ。


 前世で、王家の呪いを解くために研究をした。呪いを解く方法など見つからず、副産物として人間と魔獣を融合させる魔法を開発してしまった。その結果、軍事力を欲した国の力により、街一つが犠牲になった。犠牲者たちを逃したくて、ウルスラはバルデマーの代わりに魔王になろうとした。街の住人は助けることはできたが、逆にその子孫を苦しめることになっている。


「ウルスラ、無理はするな」


 声は怒っていて、それなのにすこし優しくて。ウルスラは閉じていた目を開けて、バルドリックを見上げた。

 空色の目がウルスラを見降ろしていた。ウルスラはすさんだ目で、見つめ返す。


「無理もしたくなります。人間と動物、人間と魔獣を融合させる魔法が存在する以上、元に戻す方法も確立しておかなければ、世界は混乱する」

「世の中にある魔法は、不可逆のものばかりだ。ひっくり返した水は地面に吸い込まれる。時間は戻らない。融合してしまった以上、それを受け入れて過ごす方法を考えるのも、一つの道だ。どうして君が、そんなに傷つく必要がある?」

「傷ついているのは私ではありません」


 傷ついているのは、犠牲になった者たちだ。原因であるウルスラが、傷ついていいわけがない。


「お願いです、殿下。私には優しくしないでください。私のせいで、多くの人が傷つきました。中には死んだ者もいる。そして今も、ラッテにはひどいことをしている。私は裁かれるべき人間です」


 だからといって、今更引くわけにはいかない。前世でも目的を遂行したように、今世でも為すべきことを諦めるつもりはない。


「そうだな」


 バルドリックは納得したように頷くと、ウルスラの手を取り、掌に何かを乗せた。手の中を見ると、複雑な魔法陣が浮かび上がる水晶のピアスが星明かりをきらりと反射している。


「これ……」


 ウルスラは驚いて、バルドリックを見上げた。驚くほどやさしい顔で、彼はウルスラを見ていた。


「約束していた通信機だ。俺は自分自身に誓ったから、何があっても君を守る。たとえ君が、前世で罪を犯していたとしても」


 守ると宣言した時のバルドリックは、まっすぐな視線をウルスラに向けていた。何一つ偽りのない言葉に、ウルスラは心を動かされる。そして、だからこそ苦しくなる。


「アーベントイアーの人たちが魔獣と合成されたのは私のせいなんですよ?」

「君は研究に携わっていただけで、実際に魔獣と合成させたのは君じゃない。しかも、君は彼らを助けようとした」

「逃がすだけ逃がして、こんな場所に閉じ込めて、結局今、ゆっくりと死に向かっているじゃないですか」

「そう、ゆっくりとだ。今日明日でどうにかなるわけじゃない。この街の民を救うために、君は行動を起こしている。それが大事なことだろう?」

「でも、私は無力です。治癒魔法しか使えないのに、それすらも役に立っていない」


 秘密警察が守る死者の書が、必ずしも王家への切り札になるとは限らない。一番いいのは、魔獣と分離し、普通の人として国民の中に紛れ込むことだ。それすら、戸籍や住む土地など、問題は山積みだというのに。


「大丈夫。君はやり遂げる。絶望的だった校外実習の時も君は奇跡を起こした。きっと君はみんなを救う方法を見つけ出す」


 バルドリックは、ピアスを持つウルスラの手をそっと握りしめた。大きく心強い掌は温かく、ウルスラの心は落ち着いていく。

 バルドリックの反対の手が、ウルスラの頬に触れた。心地よさに、ウルスラは目を細める。

 バルドリックがウルスラを見る目は、触れた手と同じように熱っぽい。


「俺は君を、信じている。君の前に立ちふさがる困難は俺がすべて退けよう。君に害をなそうとするものはすべて、払いのけよう。俺は君を――」


 バルドリックの顔が、鼻先にふれそうなほど近づいてきた。

 美しい空色の目に、呆然とするウルスラの顔が映っている。

 ウルスラは息を詰める。ただただバルドリックを見上げ、成り行きを見守っている。

 こつん、と二人の額がぶつかった。互いの息が混ざり合う距離で、バルドリックは目を見開く。まるで、自分の行動が信じられないとでもいうように。

 彼の唇が、こんなつもりは、と声もなくつぶやいた。眉間にしわを寄せ、複雑な表情を浮かべる。ウルスラから離れ、握っていた手も放し、深い溜息を一つついた。


「俺は、君を守る。いつか、君を殺すことになるかもしれない俺自身からも」


 今、本当は何をしようとしたのか、とか。こんなつもりじゃなかったとはどういうことか、とか。気にかかることはあったが、そこには触れてはいけない気がした。その代り、ウルスラはもう一つの重要なことを聞く。


「……私を殺すかもしれない?」


 バルドリックは幾分ほっとした表情を浮かべる。ウルスラが、バルドリックの行動の意味を訊ねなかったから。


「君は、魔王を殺せる三百年ぶりの聖女だ。同時に、聖女が魔王に殺されるという未来も消えていない。君に特殊な護衛が付いたのは、そのせいだ。なぜ、預言者が特別なのかもわからないが……」


 聞いていないことまで口早にまくしたてるのは、罪悪感からか。


「エルーシアさんが純白の巫女の生まれ変わりだという可能性は?」


 彼女は、前世でバルデマーのそばにいた。バルドリックと因縁の深い人であるのは間違いない。だからといって、どう関わってくるのかもわからないが。


「俺は、君こそが純白の巫女の生まれ変わりだと思っていたんだが……。そうか、君は紅の魔王の生まれ変わりだったな。俺のあこがれの人だ」


 好きだと告白されたわけでもないのに、ウルスラの鼓動がドクンと高鳴る。たぶん、直前にキスをされそうになっていたのも影響している。


「憧れの人の生まれ変わりが、頼りなくて失望したのでは?」


 攻撃魔法も使えないし、運動能力もがたがただ。肝心の治癒魔法でさえ、合成獣人をもとに戻すことすらできない。あと一歩、何かが足りない。


「いや? 君でよかったと思うよ。君は多分、誰かを傷つけることよりも、守ることを選んだから攻撃のための魔法を捨てたんだ。そしてその分、治癒魔法が優れている。言っただろ。俺は君を信じている。今足りないのは、知識だ」

「そんな風に考えたこと、ありませんでした」

「そういうものだよ。君は多くの人を助けることができる。だからいざという時は、迷うことなく俺を殺してくれ」


 無様に生にしがみついて、君を傷つけてしまう前に。

 バルドリックは、ウルスラの耳元でそう囁いた。

 ウルスラの中にあった、疑問がするりと氷解する。

 一時、なぜバルドリックがウルスラを避けるそぶりを見せたのか。バルドリックが、ウルスラを殺してしまう可能性が高かったからだ。


 ウルスラだって、そこまで鈍感ではない。それが、完全に恋なのかどうかまでは判断できなくとも、好意であることくらいは分かる。バルドリックは、好意がそれ以上育ち、愛情になることを恐れてウルスラから離れていこうとした。

 だが、そこでもたらされた預言に、すがることにしたのだ。

 殺されるのと、殺すのと、果たしてどちらがつらいのだろう。


 三百年前を経験したウルスラなら知っている。

 ウルスラなら、絶対に殺す側には回りたくはない。それが愛している人ならなおのこと。どちらかが死ななくてはならないのなら、どうか愛にあふれているうちに殺してほしい。少なくとも、バルデマーに殺されたあの瞬間、ウルスラは幸せに満ちていた。


 愛した人を殺してしまう恐怖にさいなまれる。バルドリックが今こうして苦しんでいるのも、ウルスラの行動の結果だ。ひっくり返した水は地面に吸い込まれ、二度と戻ってくることはない。だが、また新たに水を汲んでくることはできる。できることならば呪いからの解放を。そうでなければ、ウルスラが彼の苦しみに終止符を打つ。


 それだけではない。不可逆といわれる融合を分離させるのも、アーベントイアーの街を新たに作るのも、ウルスラに与えられたチャンスなのだ。

 罪は、償わねばならない。

 ならば、アーベントイアーのため、そしてバルドリックのため、ウルスラはすべてをささげようと決意をした。

 恋心はいらない。ただ、前世の罪をあがなおう。

 ウルスラは、バルドリックからもらったピアスを耳につけた。


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